八月一六日①
「本橋君、大変なことになっているみたいだよ」
戸橋が、本橋に耳打ちした。
「なんですか?」
「例のNPO法人のブログ。かなり歪曲した事実関係だと思うんだけど、うちの署や本橋さんの名前を出して、攻撃的な内容の記事をアップしているよ」
本橋は、自分の端末にNPO法人魂の共同体ネットワークのブログを表示させた。「杉並労働基準監督署の本橋労働基準監督官の怠慢を告発する」という表題でその記事は始まっていた。
「株式会社杉並能登運送サービスでトラック運転手として懸命に働いていた依元一雄さんの給料が不当にも支払われていません。困った依元さんは、杉並労働基準監督署に申告しましたが、担当者である本橋監督官は、会社側へ指導をせず、この問題を長期間放置しました。彼の職務怠慢のため、依元さんは労働者の権利として当然支払われるべき給料を受け取ることができず、生活に困窮しました……。そして今日食べるものにも事欠いた彼は……やむを得ず万引きをし、逮捕されてしまいました。彼のやったことは犯罪です。しかし、その原因を招いた責任は杉並労働基準監督署の本橋監督官と彼の管理責任を怠った杉並労働基準監督署にあります。国民の税金で運営している国の行政機関とその職員の怠慢は決して許すことはできません。当団体は、来る八月二〇日に杉並労働基準監督署に赴き、本橋労働基準監督官の責任を追求する予定です。皆様のご支援をお願い致します」
八月二〇日に署に陳情に来る、当然東郷から事前通告はなかったし、するつもりもないだろう。本橋達がこのブログの書き込みに気付かないまま当日を迎え、慌てふためく様子をブログで披露すれば良い宣伝になるとさえ思っているだろう。
「本橋さん、ちょっと」
署長室で打ち合わせをしていた斎城に本橋は呼び出された。本橋はキーボードから手を離すと「はい」と返事をし、署長室へ向かった。署長室のソファーには署長、副署長、一主任が座っていた。斎城に勧められ、本橋もソファーに腰を下ろした。
「ちょっと困ったことになってね」
一主任が口を開いた。
「NPOのホームページに、うちの署と本橋さんを誹謗する書き込みがあったんだ。それを見た、正確にはそのNPOからそのことを通告された局監督課から、状況を報告するよう指示があってね」
「言いがかりの類なのでしょうけど、指示された以上、報告しないといけないから」
斎城が付け足した。予想どおりか、と本橋は思った。
「NPO法人魂の共同体ネットワークですよね、きっと」
本橋が平然と発言すると、副署長がいらついた口調で咎めた。
「そういうところからクレームがないように気をつけるよう、いつも言っているじゃないか」
「小心者が」と本橋は心の中で毒づいたが、ここにいる皆が周知の事実を改めて指摘しても仕方がないと思い、「ご迷惑おかけしてすみません」と謝罪した。
「事実関係を説明してもらっていいかな」
一主任は、杉田の非難もそれに対する本橋の謝罪もまるで無かったかのように話を進めた。




