八月一六日②
「はい。この案件は、労働者一名に対する賃金不払いです。会社と接触したところ、賃金は支払うので直接取りに来て欲しいとのことだったので、申告者に対してそれを伝えようと電話をしていたのですが、応答してもらえない状態が続いていました」
よくある話だ、というふうに皆が本橋の話を聞いていた。
「ところが昨日、突然NPO法人魂の共同体ネットワークの代表と名乗る男性がやってきて、私の怠慢により申告者が生活に困り、万引きしてしまったと一方的に非難して帰っていったのです」
「本橋さんが申告者と全然連絡がつかなかったのに?」
一主任が尋ねた。
「そうです」
「じゃあ仕方がないよね」
一主任は、罫紙にメモを取りながらつぶやいた。
「その後、調べたところ、どうやら件のNPO法人は、他の署でも同じようなことをやっているようです。NPO法人名義の口座に賃金を振り込むよう指導しろと担当者に強要しているようです。私にも、同じような要求がありました」
「本人名義の口座ではなく、NPO法人名義の口座に振り込ませるなんて論外だな」
一主任が、首を横に振った。
「件のNPO法人の関与した事案を担当した他署の監督官に照会したところ、結局振り込まれた金銭が労働者本人の手に渡ったのか確認させてもらえなかったとのことでした」
「それが事実経過の全部?」
「そうです」
一主任の本橋へのヒアリングが終わると、それまでソファーにどっしりと座り、目を閉じて聞いていた署長が、
「本橋君の対応には落ち度はない、ということでいいか一主任」
と端的に総括した。一主任は、「そうですね」と署長に答え、それから「それでよろしいか」というようにその場にいる皆をぐるりと見渡した。斎城は異議なしというふうに頷いたが、副署長だけが「トラブルになりそうな出来事があったら、事前に上司に報告するように」と未練がましく注文をつけた。何か難癖をつけないと気が済まない副署長の陰険な性格に辟易としながら、「わかりました。以後気をつけます」と本橋は頭を下げた。
署長室から退室し、自席に戻る途中、斎城が「副署長はいつものことだから」と本橋にそっとつぶやいた。本橋は小さく頷いた。




