04-4:バンクス邸にて
セナは、ようやくリエズ王女の惚気話「夫との運命の出会い編」から解放され、部屋を出た。
「46分23秒…長い恋愛ドラマ第一話だったな」
ペロは、首と手足を垂れ、ダランとしたポーズで浮いている。
セナも初対面の女性の重量ある恋バナを聞くのはなかなか堪えた。
でも、終盤でリエズ王女が幸せそうな顔だけに注目すると、さほど苦痛ではなかった。
「とりあえず、バンクス氏には近寄らないでおこう。
全員に周知しといた方がいいかも」
周囲には、侍女も案内人もいなかった。
セナはコソコソ小声で喋りながら、キョロキョロと周囲を見回す。
すると、廊下の向こうで、侍女と深い緑色の長衣を着た落ち着いた雰囲気の女性が現れた。
「……セナ・ルフォス様…?」
深緑の長衣を着た女性と目が合った瞬間に、彼女の目が僅かに開かれた。
「誰だ、おまえ?」
ペロが首を傾げる。
侍女は立ち止まったままだが、女性はツカツカと規則正しい靴音を立てて近づいて来た。
濃い灰色髪を一つに丸めて纏め、余った髪は左に流している。
同色の目は切れ長でキツそうな印象なのに、口角が上がって目が垂れた。
「……初めてお目にかかります、『海の馬商会』会首のロレーヌと申します。
…ルフォス男爵夫人の姉でもあり、あなた様の――」
ロレーヌは、言いづらそうに言葉を切った。
ルフォス男爵夫人の姉。つまり、セナ・ルフォスの伯母だ。
「は、初めまして」
お世話になっています、とは違う気がして、その先の言葉がセナは続けられない。
けれど、ロレーヌは微笑みを浮かべたまま軽く頭を下げた。
「お会いできて光栄です」
「ロレーヌ殿、ご挨拶は後ほどされてはいかがでしょう」
侍女の声が急かすように廊下へ響いた。
ロレーヌは静かに頷き、元の道へ引き返す。
セナとペロもそれに続いた。
王女の私室がある場所から、元の玄関口に戻る。
今度は反対方面へと歩き、一つ角を曲がった先で侍女が扉を開けた。
「若奥様より、ルフォス様にこちらの客室をご案内するように仰せつかりました」
一人で使うには広い部屋だった。
庭が見える小さなガラス窓が二つ。大きな木製窓は閉じられている。
家具は、大きなベッドが一つと、書き物机と丸椅子。
来客用のテーブルと、椅子が四脚、衣装箱のようなものが一つ。
暖炉には薪が焚べられ、部屋は暖かい。
「んー、まあまあ広いな!」
ペロが飛び出し、部屋をスイーッと見て回る。
「右隣の室に、湯桶がございます。左隣の室には侍女の方をお通ししております。
ご用の際には、呼び鈴をどうぞ」
「はい、ありがとうございます」
左の部屋にお通しされた侍女って誰だろう。
仕事は終わったと言わんばかりに、侍女が踵を返す。
「あ、あの、他の商隊員はどこに?」
「庭を挟んだ向かい側です」
指差され、セナは庭の向こうの家屋を見た。
多少離れてはいるが、庭を横切ればすぐの距離だ。
今度こそ侍女は歩き出したが、ロレーヌは立ち去ることはなかった。
「……中へどうぞ」
セナには、何の用件かも想像がつかないが、ひとまず灰色の髪をまとめた伯母に席を勧めた。
「いいえ、このままで…。
お困りのことがあれば、お助けするようにと殿下から言われております」
どこか困惑のような、同情するような色が、ロレーヌの灰色の目にはあった。
この異界で初めて向けられる種類かもしれない。
その優しい眼差しに、この旅を嘆く言葉が溢れそうになった。
でも、冷め切った頭が即座にそれを切り捨てる。
ペロは側にいる。そして、セナはいつでも日常に帰れる方法がある。
危険な瞬間に対する文句を言う権利はあっても、セナは不幸な被害者じゃない。
「はい、ありがとうございます」
本当は、分からないことだらだ。
助けて欲しいと口にしたい気持ちもある。
けれど、絶対的な味方であるペロも、いる。
ちょっと変なところがあるけれど、頼りになるカリーナも、友人のように接してくれるシェイだって、遠い場所からお菓子を送ってくれる人もいた。
(商売もフィブラリス業も、何とでもなるでしょ)
大変だが、一人ではない。
セナは気合いを入れ直して、ぐっと拳を握った。
ロレーヌが退出していく。
閉まった扉を数秒見て、セナは覚悟を決めた。
テーブルの上のバッグから、羊皮紙の束を取り出して置く。
「うお、なんだこれ?」
「できる限り放置したかったんだけど、このまま商隊するなら、絶対読まないといけないやつ」
「なんだ? 『大陸交易同盟 加盟規約』ぅ?」
ペロがパラパラと羊皮紙を捲る。
だんだんと嫌そうに眉間に皺が寄った。
「オレは、トリセツや公的文書の類は嫌いだ!」
まるで汚いものを避けるかのように、ペロはサッと加盟規約から離れた。
「分かる!分かるよ!!
でも、規約第3章に『税と報告義務』があるんだよね!?
3-1-1条項に、『四間収支報告』があるんだよ!
これはもう、アレじゃん!?
絶対避けられない、財務局…税務署への決算報告義務みたいなもんじゃん!」
セナは、自分に言い聞かせ、奮い立たすように捲し立てた。
「商い担当者だ!そいつらに丸投げすりゃいいだろ!そのための人員だ!」
セナも、カリーナやエイベル並みに商要員が頼もしければ、間違いなく押し付け―――頼んだ。
けれど、二人に頼むのは、かなりリスクを抱える予感がした。
そして、こういったセナの予感は大抵当たる。
この人に任せるとまずいと思うと、大抵まずいことになって、尻ぬぐいをさせられる。
予感を無視して任せると、自分が二倍三倍しんどい目に合うことが多い。
「責任者欄を見てよ!そういうわけにもいかないでしょ!
誰よ、責任者を私の名前にした奴は!!」
セナは、小声で喚いた。
まさか異界に来て、税や制度について、細かく堅苦しい言葉で書かれた規約を読まされる羽目になるとは思いもよらなかった。
コンコンと、控えめなノックが響く。
セナとペロは顔を見合わせた。
「誰だよ、トリセツ中だぞ!」
ペロが、スイーッと扉まで飛んで行き、扉を開ける。
セナも「そうだ、そうだ!トリセツ中だぞ!」とペロに続きたかったが、流石にやめておいた。
扉の先には、エイベル、ユーインが居た。
ユーインの紫色の目と視線が合うと、
明らかに彼は安堵したように息を吐き出した。
「ああ、良かった…。無事だった」
彼は、リエズ王女を魔物か何かと勘違いしているのかもしれない。
セナは、リエズ王女よりも、手に持つ『大陸交易同盟 加盟規約』の方が、よほど厄介な存在のように思えた。




