04-3:リエズ第二王女
ユーインの表情は、絶好調だとはお世辞にも言えなかった。
エイベルが小声で、ユーインと二、三言話すと、セナに振り返る。
「ルフォス様、リエズ第二王女殿下より、滞在中の宿所および糧食の提供の申し出がありました。このまま向かいますが…」
「……はい、分かりました。それは…ありがたい、ですね…?」
セナの返事は語尾が上がり、疑問系になった。
有難いのか、ややこしいのか正直なところセナには分からない。
第二王女はルミア王家の人間だから、悪いようにされないはずだ。
それに、見返りを求められるほどのものを、セナは持っていない。
セナが断らないと分かると、ユーインがガックリと肩を落とした。
「……ルフォス様、相手は毒蜘蛛だとお考えください。
既に巣を張り終えているので、おそらく巣を荒らさない限りは手を出してきません」
「ユーイン、不敬に過ぎる。
それに、お前の個人的感情でルフォス様を必要以上に脅かすな」
エイベルがユーインを睨みつけた。
ユーインの方は、「お前は知らないからだろ」とブツブツ文句を垂れている。
よほど王女と確執があるらしい。
「ありがとうございます、ユーイン殿。エイベル殿も…」
セナは苦笑いした。
こういったアドバイスは、セナは素直に受け取るようにしていた。
ユーインが、セナに悪感情を抱いていない限り、大抵において、こういった情報は正確なことが多い。
もちろん、ユーインとセナは違う人間だ。
だから、第二王女がどういった出方をするかは分からないけれど、人間の性根というのは、そう変わらないものである。
セナたちは、バルアータの街の東側にあるバンクス邸へと向かった。
街の中心部に近づくほど、ざわめきが聞こえて騒がしかったのに、東方面の奥に行くほど静かだった。
やがて、二階建ての石積み邸宅が並び、一軒ごとの敷地も広くなっていく。
同じ茶色がかった石で揃えられた壁が整然と続いた。
通りはいつのまにか石畳に変わっていく。
けれど、幌馬車一台と馬が横並びになるのがやっとの道幅だった。
馬の蹄の音と幌馬車の車輪の音がよく響く。
一つの大きな邸宅の前で、エイベルとユーインが止まった。
「お待ちしておりました。ルフォス様はどちらでございましょうか」
エヘンと奇妙な咳払いと、気取ったような声が響く。
「……はい、私です」
セナが声を上げると、エイベルとユーインを掻き分けるように、背の低いネズミを思わせるような男がやって来た。
「おお、ルフォス様!若奥様がお待ちでございます。
さあさ、こちらへどうぞ」
さっそく件の王女とご対面のようだ。
セナは息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出してから一歩を踏み出す。
ペロも隣を飛んでついて来た。
心強さ半分と、また変な事を言わないか不安が半分だ。
「馬をお預かりします」
バンクス邸の下男だろうかが、すっと手を出した。
セナは馬を預け、ネズミのような男の後をついて歩く。
邸内の内装は、ルミア王城とそう変わらないように見えた。
無骨な石と木で組まれ、タペストリーや所々に細やかな装飾、金や銀のオブジェが飾られている。
角を二つ曲がって、装飾が施された大きな木製扉の前で止まる。
ネズミ男は、エヘンと咳払いして、声の調子を整えると息を吸い込んだ。
「若奥様、ルフォス様がお見えにな――」
最後まで言葉が終わらない内に、扉が開く。
地味な焦茶の長衣を着た女性が、ギョロリとネズミ男を見たあと、セナに軽く頭を下げた。
「どうぞ、お入りください」
「……失礼します」
セナは一歩足を踏み入れた。
侍女らしい彼女は扉の傍に立ったまま、動かなかった。
セナは仕方なく足を前へ進める。
足元は毛足の長い絨毯が敷かれていた。
小さい窓が幾つかあり、ガラスが嵌め込まれ、日の光が差し込んでいる。
燭台も多く、室内は明々と照らされていた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
突如、声がしてセナの足が止まる。
声がした右手側に顔を向けた。
手入れの行き届いた艶やかな濃紺の髪は結い上げられ、金の宝飾品と緑色の髪紐で飾られている。
茶色の目が垂れて、柔らかく微笑んでいた。
目元がルミア王にそっくりだった。人の良さそうな笑顔も。
「遠路はるばるこの地までお越しいただき、
伏してお礼申し上げます、フィブラリス」
第二王女リエズは、指を組んで三角のポーズを作り、膝をついた。
また例の挨拶である。
セナは彼女に駆け寄り、その腕を引き上げて立たせる。
「こ、こちらこそ…。お招きいただきましてありがとうございます、リエズ第二王女殿下」
セナは、この立たせるまでの一連が慣れて来てしまった。
やめてくれと言う前に、立たせてしまった方が早い。嫌な学習だ。
そして、ユーインが毒蜘蛛だと言っていたことを思い出し、すぐに三歩距離を取る。
セナは、今のところ刺されてはいない。
「挨拶は終わったか? んじゃあ、温かい飲み物でもくれ!」
どこまでも自由なペロは、勝手に椅子に座った。
「あなたがラッセルの言っていた精霊ペロですね」
リエズはクスクスと笑ったあと、扉の前にいる侍女へ手を振って合図を送る。
侍女が出て行くと、王女は椅子に座るように手を差し向けた。
「フィブラリス。どうぞお座りください」
「……失礼します」
ちゃっと挨拶して、ちゃっと帰るつもりが、椅子を勧められてしまった。
え、座るの?マジで?と言えるわけもない。
セナは戸惑いつつも言われるがままに指定の木製椅子に座った。
「この地には王座もなく、私もただの一夫人でございます。
貴女様の尊い号を広く知らしめるべきですが、その庇護も及ばず…。
恐れ多くも、友のように振る舞うことをお許しいただけますか?」
「くど…むぐ!」
ペロが開けた口を、セナは手で塞いだ。
ジェラルドが送ってくれた石本に、この白モフの口をチャックできるような魔法があれば、セナは風呂をどうこうするよりも、そちらを先に覚えるべきかもしれない。
「はい、もちろん。是非お願いします」
フィブラリスではなく、セナ・ルフォスとして扱うと云った王女に、セナは笑顔で頷く。
「………では、失礼して。改めて、リエズ・ルミア・バンクスよ。
家の者たちには、古い友が来たと伝えているの。セナ様とお呼びしても?」
王女の堅苦しい雰囲気は突然に飛散した。
彼女はまったく王女らしくなく、ピンと美しく伸ばしていた背をダラリと崩し、椅子の背もたれにもたれかかった。
「あ、はい」
唐突のキャラ変に戸惑いつつも同意する以外の答えなんてない。
セナは目を白黒させた。
「どうぞ、セナ様も気軽にリエズと呼んでちょうだい」
「……はい、リエズ様」
リエズは、にこりと愛想良く微笑んだ。
「ところで、ルミアは相変わらずかしら? 兄弟姉妹とは会った?
最悪だったでしょう? 父王は更に最悪で、退屈な男よ。
さっさと退けばいいのに」
笑顔のまま、矢継ぎ早に質問と悪口が飛んで来る。
セナは何を言われているのか一瞬よく理解ができなかった。
一王女(それも降嫁している!)が、王の退位云々をこうも明け透けに話すなんて、セナの知識的に、これは異常事態だ。
「…みなさま、温かく迎えて下さり、滞在の間とても良くしていただきました」
なんとか、セナも笑顔のままテンプレート社交辞令を口にする。
ユーインの云う『毒蜘蛛』と云うのは、毒舌家のことだったのだろうか。
リエズは、セナへの興味を失ったように目力が抜けた。
それから彼女は、眉を上げて呆れたような表情を浮かべた。
「……気を使わなくて結構よ。着飾って美しく見せても、中身は歪んで腐ってる。
特に王家の女は、見えずとも苛烈だから気をつけた方がいいわよ」
セナはどう返事をしていいのか分からなかった。
ルミアは、よく見る歴史上の王家と変わりないように見えた。
王位を巡って親子や兄弟が殺し合った話なら、地球の歴史にもいくらでもある。
王家なんて、案外どこも似たようなものなのかもしれない。
「……ご忠告、痛み入ります」
綺麗事を並べ立てるのは悪手な気がして、セナは微笑んで謝意を述べるに留めた。
リエズ王女の意図はまるで掴めない。
セナのルミア王国への心象を見ているのか。
はたまた、ただの自己開示なのか。
「……流れる川のような方ねぇ」
リエズは、はぁと溜息をついた。
嫌味か、褒めているのかは分からない口調。或いは半々かもしれない。
ペロのモフモフした手に、ベシベシと手を叩かれた。
セナは、口を抑えていた手をどけてやる。
「ぷは!殺す気か!」
ペロがセナを睨むけれど、セナは鼻まで覆ってはいない。
それに、いつも鼻呼吸していることは知っている。
「まあいいわ。既に種は撒かれている。私の基本姿勢は、ルミアと同じよ、セナ様。
金や物に関してなら用意できる。今のところの不足は?」
「……特に不足はありません」
本当は、フィブラリスについての資料云々と要求したいことは多かった。
でも、じゃあアレコレソレ必要だからちょうだいね、という図太さや無神経さは無かった。
それに依頼するにしても、まずはエイベルやユーインに話をしてからだろう。
ルミア側に話がいってなくて、トラブルになるのも面倒だ。
「……そう。セナ様、私はルミアにいる兄弟姉妹と違って、権力欲も物欲もさほどないし、欲しいものは幾らでもお渡しできるの。
いくらでも邸に居ていただいても構わないわ。
けれど、ただ一つだけ気をつけていただきたいの」
リエズ王女の甘栗色の目が、何故だか燃えているような気がした。
言葉の端々に圧があり、まるでベテランが勝手に作ったルールを、目をつけた新人に懇切丁寧に教えるような嫌味ったらしい雰囲気が漂う。
リエズ王女は、自分の左腕を飾る、少し幅のある金の腕環に右手で触れた。
丁寧に指で這うように触れる様は、なんだか蜘蛛が歩いている姿にも見えた。
「……はい、なんでしょう」
セナはそれを無視して、にこにこと微笑み、尋ねる。
「いくら貴女が、救世の主といえど、夫はやれないわ。
あの人の心を奪うことだけは許さない。覚えておいてちょうだい」
リエズが真顔になり、目を吊り上げてセナを睨む。
「……は…はぁ…?」
まるで、今生の仇でも見るように凄まれたセナは呆気に取られた。
セナの耳がおかしくなってしまったのかもしれない。
彼女は今、なんと言った?
「コイツ、なに言ってんだ? お花畑か?」
ペロが椅子の上に立ってセナを見上げる。
まったくの同意見だった。多分、薔薇色一色なのかもしれない。
「何を言うの、精霊ペロ。うちの夫ほど愛に溢れ、優しく器の大きな人はいない。
あの人はね、何も求めずに与えられる人よ。
だから、害虫も多くて困るのよねぇ」
夢見るようにうっとりした顔で言ったかと思ったリエズ王女は、困ったように溜息をついた。
「……貴女は、伝承の存在よ。
本来なら、この家のためにもバンクス家でもてなすべきなのも分かっている。
けれど、万が一を考えると、夫と会わせたくないのよねぇ」
「お前、くだらねぇこと考えてんな!
コイツは今んとこ、魔法と…イーソーくらいにしか興味ないぞ!」
まったくその通りなので、セナは相槌を打っておいた。
「あら、本当に?」
「……人様の恋人や伴侶に興味関心は、一ミリもありません…」
セナは半目で言った。
「本当に? 彼は本当に優しくて素敵なのよ。初めて出会ったのは…」
話がおかしな方向へ向く。
リエズ王女は、楽しそうに昔話を始めた。
友人の彼氏の惚気を延々と聞かされる夜中の電話をセナは思い出した。
長くなりそうな気がして、セナはペロと二人分の温かい飲み物を要求した。




