03-18:帰途に繋がる言い訳
山道を歩き続け、沢で少しの休憩を挟んでから、セナたちはまた歩く。
動かぬ太陽の光が随分弱まり始めた。
あと数時間もすれば、日が消えそうだった。
周囲は誰も弱音を吐くことはない。
そのせいで、セナも「疲れた」「だるい」なんて口に出せるはずもなかった。
「フン、フン、フーン、フンフンフーン」
ペロはたまに身体を掻いたり、ウロチョロと飛び回っていたが、
今はご機嫌に鼻歌を歌って元気そうにしていた(山歩きにはピッタリな歌を歌い出した!)。
「そういや、熊にスタコラ追いかけられる歌があったな」
馬の背に寝転んだペロは、次の選曲にとりかかっていた。
セナは緩く首を横に振る。
「……女の子がスタコラ走るんだよ」
懐かしい童謡を思い出す。
「最後は伝説の白き剣を……ん?」
ペロが馬の背から起き上がる。
立ち上がって、急にキョロキョロと辺りを見回した。
もしかしたら、本当に熊でも見つけたのかもしれない。
突然、背後から一頭の馬が嘶きを上げた。
「どうどう、どうした」
誰かが馬を落ち着けようとする声が聞こえてくる。
何事かと振り返るが、馬は飛び跳ねたり、走って逃げて行くほどでもないようだ。
再び歩こうとするのに、すぐに前を歩くエイベルとユーインが立ち止まったせいで、前に進むことができなくなった。
「カリーナ嬢、何かあったのか」
エイベルが色のない固い声で尋ねた。
どうやら、先導するカリーナが足を止めていたようだ。
そろそろ休めるだろうかと、セナは期待もりのしながらカリーナを見上げる。
振り返って、何か言ってくれるのを待っていたのに、何故か振り返らない。
ただ突っ立ったまま、何も言わないカリーナの後ろ姿に違和感を覚える。
「カリーナ嬢、何があった」
エイベルの手が剣の柄に触れる。
セナはギョッとしたが、それを止めることもできない。
ユーインまでも、剣に手が伸びる。
これは少しまずい事態かもしれない。セナは、慌てて口を開いた。
「カリーナ?」
「……引き返した方がよいかもしれません」
呟くような声が、小さく森に響く。
「はい?」
カリーナのまさかの発言に、セナの声が上ずる。
苦労して急斜面をトコトコ、パカパカ登りに登った。
挙句、引き返した方がよいとは何事だ。
しかし、引率の先生だろうと、重役のお偉いさんだって道は間違える。
それ以上の言葉をセナは続けられなかった。
ようやくカリーナが振り返り、灰色のウェーブの髪が揺れた。
いつもの無表情が見えて、セナは少し安心する。
ユーインの手は剣から離れたが、エイベルの手は剣の柄に置かれたままだ。
未だに緊張感は残る。
「………どういうことだ」
エイベルの声が、また一段と鋭くなった。
森の空気まで重くなり、セナまで怒られている気分になった。
「………不確かで、根拠なきことを申し上げるのは憚られますが。……奇妙な感じがするのです」
「おいおい、奇妙な感じがするから引き返すと? ガキの遊びじゃないんだぞ」
カリーナは、自信がなさそうに目線を落とした。
ユーインが髪をぐしゃぐしゃと苛立たしげに混ぜる。
「……引き返すにしても、今からでは難しい」
エイベルは、ようやく柄から手を離した。
セナはただやり取りを見ているしかできない。
でも勘というのは、案外侮れないものだ。
その時だった。
「魔物だ!」
背後、西側から騎士の声が響き渡る。
最後尾にいるトリスタンの声かもしれない。
セナの身が一瞬にして固くなった。
駆け出しそうになるのに、騎士たちからは、次々と剣を抜く音がした。
「ユーイン、レンツ、カリーナ嬢。ルフォス様を」
エイベルが斜面を蹴って後方へ降りた。
「背後、西に三体!全て四つ足!」
「後列、六人で倒す。続け」
シェイの声の後に、エイベルの指揮が短くセナの耳に届いた。
「ルフォス様、馬を預かります」
いつもと変わらないレンツに手を差し出された。
セナはそれが手綱を渡せという意味であることに気づいた。
一瞬、渡していいものかと迷う。
おそらくレンツは、この賢い鹿毛馬を守る事はしない。
最優先は何か。そんなこと分かっているのに、心が僅かに拒否した。
セナは一瞬だけ鹿毛馬に目をやって、レンツへと手綱を渡す。
「……はい。お願いします」
「三体ならば、心配はいりませんよ。すぐに終わります」
微笑して、安心させるような優しいレンツの口調に、
セナは震える指先を止めるように握り込んで頷いた。
「……いいや、こりゃ心配した方がいいかもしれねぇな。
俺もさっきから、違和感があったが…。南方向からも来たぜ」
すぐ後ろに居るサイモンが斧を構える。
セナがサイモンを見上げ、それから南方向に目を向ける。
百メートルほど先、木々の間に黒い狼や鳥のような影がいくつも見えた。
木々の間から十体か、それ以上いるかもしれない。
「北もだ!さっきまで何もいなかったのに!」
イーモンが焦燥に満ちた声で叫ぶ。
「おお!左右と後ろも囲まれたぞ!いけ、魔法士! トルネードサイクロンだ!」
「……精霊ペロ。私は導師ではありません。至って普通の正常な魔法士です」
ペロが場違いなほど、面白がるような口調で言った。
カリーナが剣を抜きながら淡々と返す。
(え、どっち? 漫才するほど楽勝ってこと…?
魔物も数は多いけど、この間に比べたら小さい)
前回のように、騎士が簡単に倒せる相手にビビり散らかして過呼吸を起こしてはたまらない。
「ユーイン!連れて行け!」
背後からエイベルの切迫した大声が響いた。
さっき短い指揮を口にしたものとは全く違う、余裕のない怒鳴るような声。
次の瞬間、セナの右手首が、ぐっと引かれる。
「急げ!走るぞ!」
ユーインに痛みを感じるほど右手を引かれ、勢いのままに東に向かって走らせられる。
(なに!? なんで!?)
ペロはセナの横を飛んでいるけれど、カリーナも、レンツもついて来ていない。
あまりの勢いに、セナは走ることに精一杯で、後ろを振り返ることもできなかった。
セナは、俯き加減でつんのめるような形で走らされる。
息継ぎがうまくできなくなりそうだった。
けれど、それは百メートルほど走ったところで唐突に終わった。
「クソ、前からもかよ」
ユーインの舌打ちがセナの耳に小さく届く。
肩で息を繰り返しながら、顔を上げる。
東の進路の先に、木々の間から黒い猪が五体。
前回の猪より二回りも小さく見えるが、牙が大きく鋭い。
逃げ場が消えた。
ユーインはセナの手首を掴んだまま、ジリジリと右手に歩く。
一人がようやく隠れることができる岩に、セナを押し込み、自身はその前に立った。
まるで、前から来る魔物だけを受け止めれば済む形を作るようだ。
下では、魔物と対峙し円陣を組む騎士らの姿が小さく見えた。
「ペロ、」
ドクドクと心臓が嫌に音を立てる。
セナは、かなり危険な状況であることに気づいた。
だから、ただ一言「帰る」と告げるだけで、間違いなく楽になれる。
騎士たちも自衛に集中できれば、誰かは生き残れるかもしれない。
これで、ずっと探していた言い訳も立つ。
セナは不思議な、怖くておかしな夢を見ていただけだと自分に一生言い聞かせて、日常に戻ることができる。
ペロの目が見られない。
ユーインがセナの手首を離し、剣を構えた。
「私、」
なんのために来たのだと脳裏で誰かが責め立てる。
彼らは職務と義務で、命を懸けて立っている。
優しく気遣い、文句も言わずに、なにもできないセナと何日も共に歩いてくれた。
(……でも、頼んでなんかない。……それに)
もうどうしようもない。
だが、これで帰っても本当にいいのか。
口を結んで目を伏せた。
未来の自分がどう考えるのか、手に取るように分かる。
間違いなく、後悔するはずだった。
責めて責めて、ふとした時に思い出しては、また責める。おそらく、一生。
重心が後ろに寄る。
僅かに力が抜けたセナの背は、苔の生えた岩に体重を預けるはずだった。
「……え…」
あるはずの支えは、音も気配もなく消えた。
正確に言うならば、岩は消えてはおらず、存在はしていた。
ただ、セナが触れられなかっただけだ。
身体が後ろに倒れる。
間抜けな声を出したセナは、そのまま開かれた扉の内に倒れ込んだ。
目に見える範囲、ほとんどの魔物を巻き込みながら。




