03-17:あの日の予感
セナたちとは別のルート、東回りの渓谷沿いを行く幌馬車隊。
その進路に、魔物が増えているという情報を得たセナたちは、
彼らとの早期合流のため、再びオルフェド自治都市国家領から山中へ入ろうとしていた。
スモールードの村を出発してから、東に進むこと三日。
「ここです」
カリーナが、鬱蒼とした藪を指した。
生い茂る草木、倒木に蔦が絡まっている。
セナには、草木が通行止めだと言っているように見えた。
動かない太陽は雲に覆われ、光もかなり弱い。
早朝の暗さも手伝い、無人の荒れ果てた神社のような不気味さが漂っていた。
「うへぇ……確実に何か出そうだな。死装束着た髪の長い女とか」
ペロが嫌そうに顔を歪めた。
セナは目を擦って欠伸を噛み殺す。
「そっちの方が魔物より親切かもよ。話が通じるかもね。
私、帰ったらホラー映画100本くらい観れる気がする」
セナは首を竦める。
ちょっとやそっとのパニック系では、もう動じないかもしれない。
アトラクションパークの恐怖体験が楽しめないのは、人生の楽しさが減った気がした。
「…………………」
呑気なセナとペロとは違って、道なき道を通ることに反対なのか、エイベルは眉間に皺を寄せていた。
しかし、カリーナはエイベルの表情の変化なんて気にならないらしい。
腰に刺していた剣を抜き、藪漕ぎを始める。
数秒遅れて、エイベルが短く息を吐き、剣を抜いてカリーナの後を追った。
セナもユーインが入って行った後に、ペロとともに馬を引いて続く。
ガサガサと草を分け、切り落とし、ブチブチと薙ぎ倒す音がしばらく続く。
それも十五分くらいのことだった。
徐々に草丈が低くなり、木々の多い林へと変わっていく。
同時に太陽の明るさも増して、鳥が鳴き始めていた。
「ここから真っ直ぐ進み、峠を越えた先に渓谷沿いの街道へ出ることが可能です」
カリーナが息を整えて、額の汗を手の甲で拭う。
怪我は大丈夫かと聞きたかったが、流石にしつこいと言われそうで、セナは唇を結んだ。
「オルフェド自治都市国家から、こんな道があるとはね。
ファナン共和国側が知れば大騒ぎだな」
ユーインが軽い調子で言った。
国家間の秘密の道というわけだ。
セナにもそれがどう不味いかくらいは理解ができる。
間違いなく、軍事問題になる。
「……もともと400年前に滅んだオルタイユ王国が、ハイノーレン大陸の獣人らとの戦争時に、子女たちを逃すために作った道だそうです。
祖母からこの道を聞き、十の頃には度胸試しで何度か入りましたが、獣も多く、峠まで行く村人ももういません」
急な斜面を登りながら、セナはこの異界にも当然ながら歴史があることを実感する。
ルミア王城で、第三王女カーラから歴史説明を受けた時は退屈だったのに、カリーナの話は不思議と聞けた。
でも、セナは後半の方が気になった。
「……度胸試しで、よくこんな、山道、登れたね…」
斜面が急で、一歩進むのもかなり体力を使う。
お喋りもスムーズにできず、息継ぎが乱れた。
「山麓に住む人間は、山しか遊び場がありません。山中の度胸試しなど定番中のド定番です」
「こんな奥まで入るのは、お前だけだろ」
ペロが突っ込んだ。
周囲の騎士は、仲間同士で首を傾げたり、眉を上げたりと、声なき会話をしている。
どうやら、カリーナにとっての定番のようだ。
セナの周りの度胸試しなんて、池にある小さな石をうまく使い、向こう側に渡れるかとか、落ちたらずぶ濡れになるくらいの比較的可愛いものだった。
決して、危険な野生動物がいる山に入るなんて馬鹿なことはしない。
カリーナの子ども時代を少し想像する。
すぐ近くの宿もない小さなオルパス村が、カリーナの生まれ故郷らしい。
彼女は村に入ってからも外套のフードを深く被っていて、誰かに会いに行こうともしなかった。
何か深い事情があるのだろうか。
『魔法士は蛇蝎の如く嫌われている』とペロが言っていたことにも関係があるかもしれない。
「滅んだという事は、獣人に負けたの? そのオルタイユ王国って国は…」
セナは、歴史の話に戻した。
スモールードもオルパスの村も圧倒的に人間の方が多かった。
敗戦した不幸さが、セナには感じられなかった。
それに、二つの村には、亜人(異種族同士のハーフのことらしい!)と獣人もごく僅かだけど住んでいる。
「いえ、オルタイユ王国は辛くも勝ち、侵略して来た獣人を押し返しましたが…。
国家として内部疲弊し、政治も崩壊しました」
「……今のイガル辺境侯国、オルフェド自治都市国家、ファナン共和国が元の国土でしたね」
セナの隣を歩くレンツが、カリーナの説明に付け加える。
「……我々が街道へ出る際には細心の注意を払う必要がある」
前を歩くエイベルが重々しく言葉を告げた。
どこからともなく人と馬が急に大勢出てきたら、面倒ごとになるというわけだ。
セナは頷いたが、前を歩いていたユーインとエイベルが足を止めた。
何事かとセナも歩を止めて顔を上げる。
先導するカリーナが突然振り返り、急に声を大にして言った。
「この道は、国家に纏わる重大な機密です」
淡々とした温度のない声が森に響き渡る。
騎士一人一人と目を合わせるように、カリーナがゆっくり視線を動かした。
蜂蜜色の目が、誰一人として逃さないように鋭い。
「うるさいぞ、お前!
熊やら猪やら魔物やらが寄って来たらどうすんだ!」
ペロが顔をしかめると、異様な雰囲気は和らいだように感じた。
セナの後ろを歩いていたサイモンが真面目な顔で首を横に振る。
「しかし、精霊様。熊肉は美味いぞ」
「ん? じゃあ呼ぶか…?」
ペロは即座に意見を翻し、セナは呆れつつ鹿毛馬の首を撫でた。
熊肉を食べたいなんて思えなかった。
そんなものより、鶏の唐揚げの方が絶対に美味しい。
思い出したせいで、高温の油でジュッと揚げる音が、セナの脳内に再生される。
歯ごたえのある衣に歯を立てれば、サクッとした食感に、ついで醤油の下味がしっかりとついた柔らかな肉の旨味が蘇る。
セナは涎も出ていないのに、慌てて口元を拭う。
「……普通の熊って煩いと来ないし、呼べなくない?」
「なら、一緒に探しますか?!」
セナがペロに聞くと、後方でシェイの張り切る声が聞こえてきた。
探すほど美味しいのだろうか、熊肉は。
「熊肉はともかく。そう睨まなくても分かってますよ、カリーナ嬢。
俺たちは契約に基づき、これを墓場まで持って行く」
セナの前を歩くユーインが小さく息を吐いて、どこか諦めたような、呆れたような口調で言った。
カリーナは答えに納得したのか、再び歩き始める。
列が進み、セナも手綱を引きながら足を動かす。
「ん? 契約?」
セナは、思わず言葉を繰り返した。
レンツが頷く。
「ええ、魔法契約です。この任で我々が知り得た国家に関する機密。
これを他者に認識させる一切の行為を禁ずる――そういった取り決めを、ルミア王国とゼラート魔導都市国家、双方合意のもとで結んでいます」
レンツがコソコソと小さな声でセナに説明してくれた。
「そんなのあるんですか?」
セナが思いっきり顔を歪める。とても質が悪そうだ!
レンツは苦笑しながら首肯し、ペロも大きく頷く。
「あるぞ!正式名称は、マナ誓約だ。
つまり、あの魔法士が宣言したのは、こいつらに機密だって認識させる必要があったせいだな」
ペロが喋り終えると、レンツが笑みを消して真剣な眼差しでセナを見た。
「ルフォス様、もしも今後何か契約する場合は、血判は必ず避けてください。
この大陸では、ほとんどの国が魔法契約書の使用を原則禁止していますが…。
どこにでも抜け道はあります」
ユーインが振り返り、薄紫色のセミロングの髪が靡いた。
彼の髪は手入れなどしていないそうだが、ほつれもなく綺麗だった。
「そうそう。ただ、導師レベルが用意した強力な契約書なんて早々お目にかかれませんからご安心を。
まあ、市場に出るような程度の低い魔法士の契約書も馬鹿にはできませんがね。
契約を破ればマナが変質し、最悪消滅しますし」
「こっわ」
セナはドン引きして、素で言った。
とんでもない代物である。
できれば、人生で触りたくない類のものだとセナは思った。
「契約する際には、条件がかなり厳しく、契約者の状態も問われるので、過剰に恐れるほどではありませんが…」
レンツが補足し始めると、背後の筋肉饅コンビの片割れ、細目オレンジ髪のイーモンが思い出したように明るい声を出した。
「そういや、赤っぺらは興奮して何回も血判する羽目になったな」
「うるさい!」
案の定、シェイの怒声が背後から聞こえてきた。
周りの騎士もその時を思い出したのか声を出して笑っている。
初めて結ぶ魔法契約書にドキドキしているシェイがすぐに想像できて、セナはこっそりと笑った。
「ううー…」
場が小さな笑いで和む中で、
宙に浮いたペロが、急に情けない声を出しながら頭を手で掻いた。
ルミア王城で寝違えた時も同じような声を出していたことを思い出す。
「どうかした?」
セナが首を傾げると、ペロは、ガシガシとお尻を掻き始めた。
「尻が痒い」
「なにそれ。何かに噛まれたの?」
藪道を通ってきてから、随分と時間が経った。
自称精霊なのに、虫に噛まれるのだろうか?
「んなヘマするか! ううー、なんか気持ち悪い…」
今度は背中まで掻き始めた。
セナは右手の手綱を左手に持ち替えて、ペロの背中を掻いてやった。
「もうちょい右だ!右上!」
スマホに入っていた時よりも、口煩くなっているペロに、セナはウンウン頷きながら、指示通りに背中を掻いてやる。
その時、一陣の風が吹いた。
セナの手が止まる。
落ち葉がカサカサと風に流されて走る音が辺りに響き渡った。
胸の奥が妙にざわつく。
あの日。あの満月の夜を思わせるような不安が身体を巡る。




