03-15:戦いの傷痕
「私ですが」
暖炉の側に座っていたカリーナが、女性のもとに歩いて来た。
抱えられた血まみれのオレンジ髪のお下げの少女は、あの人形を見せてくれた子だった。殺されたところを見た少女でもある。
少女を抱えている母親の顔には、泥と血が付き、結い上げた髪は乱れていた。
そして、今にも崩れてしまいそうなほど震えている。
「お願いです!うちの子を助けて下さい!
なんでも、なんでも差し上げますから…!」
母親は、涙を流しながら悲痛な声でカリーナに懇願した。
カリーナは一度視線を左下に落としたが、再び母親を見つめて淡々と告げた。
「私に創治魔法は使えません。そもそも死人を生き返らせる理法はありません」
「……そんな…。嘘よ、どうして…!?魔法士ならできるでしょう! どうしてよっ!」
我が子の死を受け入れることができない母親の嘆きが、痛いほど響いた。
両目から涙が流れて少女に落ちるが、奇跡は起こらない。
母親の姿を見て、言葉を聞くのは胸が重かった。
やることはまだある。早く立ち去らなければならない。
でも、セナは縫い止められたように足が動かなかった。
「……あなた達のせいよ…」
やがて嗚咽とともに搾り出された声は、怒りと憎しみが混じっていた。
セナは顔を上げる。
「あんた達が来たから!」
女はカリーナを睨みつけて叫んだ。
もう、これ以上聞く必要なんかない。
セナは、カリーナの手を引いて暖炉の方へ向かった。
(……分からないでもない……)
子を亡くす親の痛みはどれほどだろう。
手足をもがれ、身体中に杭を打たれるほどの痛みかもしれない。
誰かのせいにしなければ、心が壊れてしまうほどの痛みを、セナには想像もできなかった。
けれど、人を助けて負傷したカリーナに言うことではない。
(……こうは、なりたくない)
村人らに抱き起こされながら泣き叫ぶ女を一瞥して、セナは歩を更に進めた。
「お嬢様」
「温かいスープを作るね」
カリーナを席に座らせて、セナは小さく笑った。
「……あなたが?」
蜂蜜色の目がセナの目をじっと見上げている。
まだカリーナの側にいたかったけれど、セナは彼女の肩を叩いて食堂を後にした。
再び台所に戻って来たセナは、レンツに下ろしてもらった鍋を再度かけた。
「どうしようかな」
木箱に置かれた野菜を見つめる。
なぜか、頭に獣人の恐ろしい怒りの顔が浮かぶ。
全身が冷たくなり寒気がして、更に傷ついた人やおびただしい血を思い出すと思考が停止してしまう。
セナは、頭の中のことを追い払うように首を横に振った。
「なに作るんだ?」
ペロがパンを齧る。
セナは気を取り直して、桶にある白い液体を見つけ、匂いを嗅いでみた。
草の匂いが混じる、ミルクのような甘い香りがする。
少し匙にとって舐めると、濃い牛乳のような味がした。
少しクセはあるけど、ほんのりと甘い。
「……うーん、豆と野菜のスープ。もう一つは、ミルク入り野菜スープ」
村人も温かいスープを飲めば、少しは気分が紛れるかもしれない。
本当はココアがあればもっといいが、なさそうだ。
厚い刃の包丁を持って、セナは玉ねぎを刻む。
「……重っ。嘘でしょ……切りにくっ…」
「お前、セラミック包丁だったもんな。適当な大きさでいいだろ」
包丁は切れ味が最悪で、押し切るようにしか切れなかった。
セナは若干イライラしつつ玉ねぎを小さく切っていく。
「……うわ、涙出てくる…」
「泣くな!オレの華麗なる包丁捌きを見せてやる!」
ペロが皮付きイモに向かって適当に包丁を振り下ろした。
途中から村の女性たちが作業に加わってくれたおかげで、ペロの無茶苦茶な大きさのイモも、なんとか大きさが整った形に仕上がった。
スープは、それほど時間はかからずに出来上がった。
まずは宿にいる手当を終えた怪我人や付き添いの人、騎士たちに行き渡った。
コップ一杯程度の温かいスープは、傷ついた心は難しくても、指先くらいは温めてくれる。
「……金は払わんぞ、商人」
台所で、余った湯でジョッキや皿を洗っていたセナは、背後からの声に振り向く。
ガミガミ老人が、皿を持って不機嫌そうにこちらを見ていた。
セナの心の余裕もあまりない。
ガミガミ老人の相手は、今は避けたかった。
「宿にあるものを使っているから、私たちのお金も物資も使ってない」
一度だけ礼儀的に微笑んで、セナは再び洗い桶に向き直って洗い続ける。
「気取った他所者め。村でも乗っ取る気か」
「父さん!」
次いで茶髪の青年が入って来て、先ほどと同じように嗜めた。
けれど、今回はそれで終わりじゃなかった。
「素直にありがとうも言えないのかい?
私がルフォス様なら一発その顔にお見舞いしてやるよ」
一緒にスープを作ったふくよかな村の女性が、
パン生地をこねながら声を大にして言った。
「まったくさ。纏め役だからって偉そうに。
昔から、疑い深い肝の小さい男だったけど、年食って更に磨きがかかったね」
今度は、スープを混ぜる年老いた女が、しゃがれ声で応戦する。
セナは流石にたじろいだ。
言われ放題のガミガミ老人は、傷つくだとか落ち込む素振りはなく、元気に反論した。
「黙れ、喋るしか脳のない女どもめ!」
「嫌味が言えるくらい元気なら、外のみんなにスープを配るから器を持って来るよう伝えてきな!」
ガミガミ老人の方は、ブツブツ言いながら台所から出て行く。
出発までもう彼の顔は見たくないとセナは思った。
パン生地をこねる、ふくよかな女性がセナに振り返る。
「悪かったね。……こんな事は初めてだから、みんな動揺しちまってる」
「本当さ。この村は海から距離があるってのに。ハイノーレンの獣人が襲ってくるなんて、いよいよこの地も環神様に見放されたのかもしれないね」
スープを混ぜる女が溜息をつきながら腰を叩く。
「馬鹿言わないでおくれよ。
環神が理と共に生きる私たちを見捨てるはずがない。悪いのは略奪者さ」
セナは、彼女たちの話を聞きながら、黙って洗う作業を再開した。
この村には、村を覆う囲いもなく、戦うには頼りない人たちばかりだ。
次の攻撃があればどうするのだろう。
セナは、もしもを考えたけれど、すぐまた頭から考えを追い出した。
明日には、出発する。
気にかかるけれど、セナの目的は、この村を助けることじゃない。
「俺も手伝うよ」
茶髪の青年が腕まくりをしてやってきた。
セナは、ちょうど最後のジョッキの水を切って少しだけ微笑んだ。
「気持ちだけもらっておきます。ありがとう」
「そうか。……いや、あの、俺も、ありがとう。
金髪の男に礼を言ったけど、君に礼を言うように言われた。村を助けるように決めたのは君だって」
セナは視線を床に落とした。
礼を言われても、セナ自身は何もしてない。
シェイが正義を振り翳さなければ、きっと早々に村を後にしていたはずだ。
「これ」
青年は、首にかけていた何かを取ってセナに差し出してきた。
「祖父さんが作ったものなんだ。
あんたにとっては、それほど価値はないだろうが、せめてもの礼だ」
男の手にある銀の小さくて薄いメダルは、かなり黒ずんでいた。
その上に、不自然に何かで貫いたような跡がある。
よく見れば、草と盾、何かの動物(貫かれて分からない)のような紋章が描かれていた。
ペロが飛んで来て、覗き込む。
「いいとこ15コペ、ンギャア!」
久しぶりにセナはペロの尻尾を引っ張って黙らせた。
いつから、このモフモフは中古品鑑定士になったのだろう。
受け取ろうと手を伸ばす。
けれど受け取ることが、セナには、あまり良くないようなことの気がした。
15コペルなら、パンが5つは買える。
金や物ではなく、気持ちだという母の教えと、自分の直感がぶつかる。
セナは、銀の薄いメダルに触れた。
細かな傷が幾つもついている。
何かで貫かれたような跡は盛り上がってはいるが、先が潰れて奇妙な手触りだった。
宿の扉が開く音が何度かして、食堂が少し騒がしくなる。
ガミガミ老人が、村人らにスープを配ることを伝えたのだろう。
セナは立ち上がった。
「ありがとう。あなたがくれると言ってくれたこと、これから先も覚えています。
……私、物は持って帰れないから…」
青年が僅かに目を開いた。
セナは気づかないふりをして、食堂の方へと足を向けた。
「もらっときゃ良かったのに。旅のどこかで役立つ時もあるかもしれないだろ?」
後ろからついて来るペロが言った。
「私より彼の方が役立つ場合が多そう…」
セナは宿に入って来た獣と人の特徴が混じった亜人の子どもたちに、足が止まる。
ゾワッと軽く背中に悪寒が走った。
牙を剥き、襲い来る獣人の姿がフラッシュバックする。
「スープをいただきに来ました」
人間の女性が、セナに皿を差し出す。
「は、い」
なんとか頷き、セナは皿を受け取った。
子どもたちも母親を真似て皿をセナに差し出して来る。
つい数時間前のことだ。
セナは亜人の子どもと言葉を交わしていた。毛に覆われた手さえも握った。
襲撃者とは違う存在だと分かっている。
亜人の子どもから皿を受け取ろうとすると、その毛深い手がセナの親指に当たった。
身体が強張り、右目が僅かに引き攣る。
セナは、小さな微笑みを浮かべて無理矢理ごまかす。
「今、入れてきますから、少し待っててくださいね」
ほんの一瞬だったのに、より獣の特徴が強い子どもの耳が垂れ、尻尾がペタリと落ちた。
明らかに気落ちしたように視線を下げて、人間の母親の手を握る。
セナの目は、それを全て見逃さなかった。
傷つけた。
罪悪感が浮かぶが、セナはすぐに踵を返して台所へ戻った。
謝罪に意味はなく、重ねる言葉はどれも言い訳にすぎない。
それに、つい先ほど味わった恐怖は薄まっていない。
台所に皿を置き、セナは台所の裏戸口の扉を開けた。
「薪を持って来ます。配膳をお願いしていいですか」
「ああ。あんたももう休んだらどうだい、ルフォス様」
スープを混ぜる女性が言った。
気が張っていて、動かないと落ち着かなかった。
シーツのないベッドで眠れるかも分からない。
セナは小さく頷き、裏戸口から出た。
静まり返った村に、パチパチと焚火の音だけが響いている。
セナたちが歩いて来た山からは、なんの音もしない。
「さみーな!」
ペロが両手で腕をさする。
セナは薪を抱えて、台所へ戻ろうとしたが、何かが折り重なっているような暗い影に気がついた。
「どうした?」
「あれ、なんだろ」
薪を置いて、盛り上がった影に近づく。
焚火の僅かな明るさで、足のシルエットが見えた。
冷たい風に、セナの髪が揺れ、同じように足の白い毛が揺れる。
襲撃者の亡骸が、投げ捨てられたように折り重なっていた。
「……なんか、ゴミみたい……」
村人の立場であれば、当然のことかもしれない。
セナだって恐い思いをさせられた。最悪、死んでたかもしれない。
おそらく、騎士やカリーナ、ペロに何かあれば、襲撃者の死体の山になんて足を止めることもないはずだ。
(……なのに、なんだろう、この嫌悪感)
離れろと頭は言うのに、強い何かに引っ張られてセナの足は止まったままだ。
「死体見る趣味なんかあったのか、お前」
「ないよ。……ペロ、髪乾かす時、風の魔法みたいなの使うよね」
ペロは嫌そうな目でセナを見た。
「オレは、死体を切り刻む趣味はない!
ついでに、コイツらは獣人だ!狼じゃないから絶対不味くて食えない!」
「…あんたの中で私はどういう人物像なわけ…?
土とかも操れないか聞きたかっただけだよ」
ペロの明後日の主張に、セナは額に手をやって溜息をついた。
「なんだ、埋めんのか?」
言って、ペロが手を払うかのような動作をすると、土が獣人にかかった。
セナも薪を置いて、厩舎に立てかけていたシャベルを持ち出す。
固い地面を掘っては、土を獣人たちに被せていく。
心に何かが浮いてくることはなかった。
土を被せていると、ほとんどの獣人が痩せ細っていることに気づいた。
でも、セナにはそれが暴力に繋がる正当性があるとは思えなかった。
また、その死体が放置されているのも違うような気がした。
「ルフォス様」
背後からレンツに呼ばれ、ギクリと肩が跳ねる。
悪いことを見つかった人間のような心境で振り返ると、レンツはシャベルを持っていた。
「……レンツ殿」
「二人より、三人の方が早く終わります」
「いえ、三人より四人の方が早い。私に土魔法は使えないので人力ですが」
更に背後から足を負傷したカリーナがやって来た。
「い、いいよ。カリーナは、怪我してるし休んでて。ちょっと気になっただけで…。放置してたら、疫病になっても恐いし。ペロとすぐやっちゃうから」
セナは気まずさと手を煩わせる申し訳なさに、首を横に振って言い訳を並び立てた。
「この程度の怪我は大したことありません。何に気遣っているのかわかりませんが、死者となれば敵味方に関係なく、最低限の礼は尽くすものです。
我々魔法士は、道理を外れれば、人からすぐに逸れてしまう。そう師から教わりました」
カリーナが迷いなく、折り重なった獣人の冷たくなった身体を掴んで、きちんと遺体を並べ直した。
セナは、礼を尽くす気持ちなんてない。
妙な気持ちが渦巻いて、土をかけることに集中した。
一時間経たずに、襲撃者である獣人の身体は土に覆われて見えなくなった。
セナには、これが弔いなのか処理なのか、よく分からなかった。
「土に還り、理に則し、環の巡りのままに」
カリーナが短く言う。
レンツはただ土の山を見ているだけだった。
手を合わせることもなく、供えるものもなく、セナは目を逸らす。
(……次の世があるなら、もう…)
その先は言葉にならなかった。
来世があるかなんて分からない。
その概念すら、彼らにあるか分からない。
冷たい風が吹く。
木々が揺れ、葉擦れの音と焚き火の音が妙に大きく聞こえた。




