03-14:今、できること
襲撃者である獣人は、数人が生きてスモールードの村から逃げ去って行った。
イーモンが宿内の安全確認を終えたらしい。
セナは、震える足をのろのろ動かして宿屋の一階へ降りていく。
ひとまず、カリーナの傷を洗わないといけなかった。
怪我人も多いだろうから、傷を洗うための煮沸した水が大量に必要になるかもしれない。
それに、もうすぐ陽光が消える。
「ひどい有様だな、こりゃ」
ペロが珍しく声のトーンを落とす。
宿の主人と酒を飲んでいた村人は、食堂の壁にもたれるようにして座っていた。
宿屋の妻は、窓の方へ逃げようとした所を背中から斬られたのか、うつ伏せで床に倒れていた。
大量の血が床に広がっていて、誰もピクリとも動いていない。
セナの足は、階段を降りたところで止まった。
生きてるなら、早く手当をしなければならない。
(……怖い…)
ドクドクと、心音のリズムは一定なのに、大きく響く。
足が、まるで鉛でもついているかのように重たかった。
セナは、ぎゅっと手を強く握り締めて、自分を鼓舞する。
床に倒れている宿屋の妻の方へ足を向けた。
「やめとけ、もう遅い」
ペロの一言に、セナは足を止めた。
死を確かめなくていいと分かると、縮こまった身体の力が少しだけ抜ける。
そのまま広間の奥にある台所へと足を進めた。
台所は、小汚く雑然としていた。
壁には煤がこびりついて、汚れた皿や木製のジョッキが一纏めにして置かれていた。
野菜は木箱の上に無造作に積まれ、泥が残っている。
その隣の樽には水が溜めてあった。
石造りの調理炉には、薪が組まれて火が燃えている。
その上に吊り輪があって、そこに掛けられた鍋やヤカンからは、湯気が立っていた。
鍋を覗き込むと、昼間食べたスープが少量残されていた。
ぐつぐつと泡を立てて煮立っている。
「ミトンないの?」
セナがキョロキョロと周囲を見回すが、それらしきものはない。
「ルフォス様、ミトンとは…?」
背後から声が聞こえ、セナが勢いよく振り返る。
そこには若草色の髪の騎士――レンツが立っていた。
「レンツ殿…。無事でよかった…」
「はい、全員大きな怪我もなく無事です」
レンツが穏やかに微笑む。
「良かった…。ごめんなさい。……ありがとうございます」
セナは安心して大きく息を吐き出す。
けれど、感傷的になっている暇も反省している暇もなかった。
「あ、分厚い布の手袋を探していて…。鍋をおろしたくて」
「ああ、でしたら私が…」
レンツは、壁に立てかけてあった水桶を運ぶための天秤棒を取った。
鍋を吊る金具に棒を差し込み、レンツはそのまま鍋を床に下ろした。
セナは台に置かれていた空の鍋を取り、空いた吊り輪に掛けた。
それから桶で水を汲み、鍋いっぱいに流し込んだ。
(……もうすぐ日が消える……)
真っ暗になってしまう夜は、不安を助長させる。
大切な人を失った村人たちには、それどころではないかもしれない。
けれど、外に篝火があれば幾らかマシのように思えた。
セナは空の鍋をもう一つ持って、ペロに向き直る。
「ペロ、上からシーツ何枚か取って来て」
「いいぞ!」
宿の主人は、もう口を開くことはないから、許可は取れない。
でも、準備をするくらいなら許されるはずだ。
セナは台所から食堂に戻り、暖炉にある吊り輪にも鍋をかけた。
戻って水を取りに行こうとすると、既にレンツが水瓶を持って歩いて来ていた。
「水を入れますね」
「……はい、ありがとうございます」
シーツや布、食器や木製ジョッキを食堂に運び、セナは最低限の準備を終えた。
次の準備に、薪を四本抱えて宿の扉を開く。
外には、誰かの名を呼ぶ声と、泣き声が悲痛に響いていた。
冷たい空気が身を刺すように吹きつけてくる。
井戸のある村の中心部に出ると、鉄錆のような生臭い匂いが色濃く漂ってきた。
木片や干していた魚や肉が地面に散らばっている。
それに、民家の扉や窓が、幾つか破壊されていた。
血を流して倒れている人間や、獣人。
頭を抱えて座り込む人、ぼんやりと遠くを見る人、倒れた人に泣き縋る人。
広がっていたのは、この村に来た時とは全く違う景色だった。
他よりも少しだけ大きい民家の近くで、
茶髪の青年とガミガミ老人がエイベルと何かを話している。
炭や毛皮を購入した時に、中心となっていたのが彼らだ。
おそらく代表者に違いない。
セナは邪魔にならないように近づこうとしたが、無駄だったらしい。
エイベルがすぐに振り返った。
「ルフォス様…」
エイベルの顔や髪、衣服に血が飛んでいた。
本人に怪我はないようだ。
けれど、今は無事を喜んだり礼を言うよりも先に言うべきことがある。
セナは、老人に向き直った。
「勝手をしましたが、宿で大量に湯を沸かして、清潔な水を作っています。
幾らか敷布も下に運んでいるので、怪我人を運び込める準備ができています」
あれほどガミガミ喋っていた老人は、血で汚れた肩口を押さえながらセナを静かに睨んだ。
「……手間賃は払わんぞ。アンタらが勝手にやったことだ!」
「父さん!……すまない。ただ、悪いけど…」
茶髪の青年が申し訳なさそうにセナを見下ろす。
セナは彼らが何を言っているのか一瞬理解できなかった。
金の無心なんて、するわけがない!
「………そんなつもりは…」
ショック状態の人間に、次々とやるべきことを口にするのは控えたかった。
でも、他所者のセナは、好き勝手やるわけにはいかない。
なるべく気に障らないように声を小さく、トーンを低く調整する。
「……あの、すぐに日が消えます。
外に幾らか火を用意して、それから、宿の食材を使って温かいものを用意する許可がほしいんです」
「……ああ、そうだな」
茶髪の青年が、老人を伺い見てから頷く。
青年は、セナから薪を受け取ろうと手を出したが、エイベルがそれを制した。
「我々が火の準備を。あなた方は怪我人の誘導をすべきだろう」
「……ああ」
青年は薪へ伸ばしかけた手を下ろした。
老人が立ち上がって、宿の方へと歩き始める。
青年は怪我人の元へと走り行き、息を吸い込んだ。
「……怪我人は宿へ! 誰か、こっちに手を貸してくれ!」
セナは青年の背を視線で追う。
その近くで倒れている狼獣人の痩せた脇腹には、肋骨が浮いていた。
「ルフォス様、薪を」
「……いえ、エイベル殿は休んでください」
セナは薪を抱え直して拒否を示したが、
エイベルの大きな手に薪を全て取られてしまった。
「ありがとうございます。……願いを叶えて約束を守ってくれて」
「……礼は不要です」
エイベルは一瞬、何か言いたそうにセナへ目を向けたが、すぐに目を伏せた。
気になったけれど、問い詰めるのも藪蛇だ。
セナは追加の薪を取りに走る。
もう辺りは暗闇に飲まれ始めていた。
外で火の設置が終わる頃には、光源は完全に太陽から月に変わっていた。
セナが宿に戻ると、怪我人で溢れ、一角は切迫した空気が流れている。
「血が止まらない!」
「早く布を寄越せ!」
誰かが叫び、セナは既に裂かれたシーツを掴んで声の方へと向かった。
寝かされていたのは若い男性だった。腕が切断されている。
流れる夥しい血の量。
目を見開き、荒い呼吸を繰り返す男性を見て、セナは反射的に顔を逸らした。
早く止血のための布を渡さないといけない。
そう思うのに、迫り上がってくる吐き気に口を覆い、背を向ける。
「ルフォス様、」
レンツの声が頭上から降って来て、セナの肩に手を回し、場を離れるように押し動かされる。
気が遠くなり、視界が揺れる。
耐えられずに、セナはしゃがみ込んだ。
(……最悪、役立たずすぎる…)
詰りながら、セナは息を吐くことを意識して、呼吸を深くする。
「アホだな。無理せず部屋にこもっとけよ」
眼前にペロが飛んで来て、セナにジョッキを差し出した。
それを受け取って、水に口をつける。
まだクラクラするが、歩けないほどではない。
「……おっしゃる通り。でも、布がまだいりそう。……あと、温かいものも」
立ち上がって、セナは手を額に置いた。
戦闘技術もなく医療知識もない。
セナができるのは、周囲を見回して、何が必要かを察し、そのサポートくらいだ。
バタン、と乱暴に宿の扉が開く。
血相を変えた女性が慌てた様子で入って来た。
「魔法士がいるでしょう!」
その腕にはオレンジ髪のお下げの少女が抱えられている。
背が、血まみれだった。
怒鳴りつけるように叫ぶ女性に、カリーナが立ち上がった。




