03-12:自らの選択の先
外からの甲高い悲鳴に、騎士たちのお喋りはピタリとやまった。
セナは何事かと声の方向に目を向ける。
だけど、木製の扉や窓は閉め切られていて、外の様子は一つも分からない。
「…なんだ?」
酒を飲んでいた村人が、立ち上がった。
言いようのない緊張感が周囲に漂う。
間を置かず、また悲鳴が上がった。
一つだったはずの声は、二つ、三つと増え、何かが倒れる激しい音が続く。
(な、何…? 何なの?)
セナは、無意識に宿の扉とは逆方向に半歩後ずさる。
「レンツ、状況確認。
ユーイン、ホルガー、イーモン。後方から出る」
エイベルが短く言った。
指示されたレンツは素早く身を翻し、宿の階段を駆け上がって行ってしまった。
セナがその後ろ姿を見送っている間に、
ユーインは、悲鳴の方向とは逆の木製窓を開けた。
ギイ、と鈍い音が場違いに小さく鳴る。
「おい、アンタら…」
村人や宿の主人らは戸惑うようにそれを見つめていた。
でも、ユーインやイーモンらは軽い身のこなしで窓から出て行く。
「ルフォス様、まずは外に出て退路の確保を」
エイベルが、突っ立ったままのセナの背に軽く手を置いて言った。
窓から早く出ろと言われている!
セナは戸惑いを抱えたまま頷き、ペロと一緒に窓へと早足で向かう。
その間も、悲鳴は鳴り止まない。
誰かが何かを叫んでいるようだが、絶叫に掻き消されている。
破壊音が大きくなり、窓が割れる音がする。
何かが、どんどん近づいてくるようだった。
また、魔物だろうか。
黒い巨大なイノシシの姿が蘇り、恐怖が広がっていく。
エイベルとユーインの手を借りて、セナは窓枠を越えて着地する。
宿は、村から追いやられるように端に建っていた。
だから、外に出ても村の状況が分からない。
「参りましょう」
裏の厩舎へと向かうのだろう。
ユーインに促されて、セナは一歩足を踏み出す。
すぐ先の民家から、ドサリと音を立てて倒れる子どもの上半身が見えた。
木でできた粗末な人形を宝物だと見せてくれた、オレンジ髪のお下げの女の子だった。
「あ、」
助けに行かないと。そう思うのに、足が動かない。
でも、行かないと!
一瞬の思考の先に、震えながらもセナの足が一歩前に出る。
「おい、セナ!」
ペロが叫ぶ。
「ルフォス様!」
ユーインの手がセナの腕を掴み、勢いのままに引き戻される。
次の瞬間、肉を裂くような鈍い音とともに、血飛沫が大地に飛び散った。
起き上がろうとしていたオレンジ髪の少女は、倒れ込んで微動だにしない。
「っ!」
殺された!
息を呑み、反射のように右手が口を覆う。
悲しみか恐怖か分からない痛みが、セナの胸を締めつける。
足は前へ行くどころか、半歩後ろに下がってしまう。
急に周囲の悲鳴が遠くなった気がした。
セナの思考が停止している間に、ほとんどの騎士が外に出揃っていた。
「速やかに離脱する。馬に乗れ」
エイベルの一言に、セナは思わず顔を上げる。
その指示は、この村を見捨てることを意味していた。
胸の痛みが鈍く強くなる。
でも、自分は助かる。
そう理解すると、安堵がどんどん広がって奇妙な心地がした。
「彼らを助けないんですか!?」
騎士たちが動かそうとした足を、シェイの怒りと戸惑いが混じった声が止めた。
エイベルの表情は変わらず、シェイを冷たい目で見下ろしている。
「……我々の任を忘れたか」
「でも!これじゃ、村の人たちが…!」
シェイの反論が響く。
悲鳴はまだ続いていた。
何処かで、金属がぶつかり合う音が響く。
「確かに、オルフェド自治都市国家は、ルミア王国の従属国です。
武力を振るうには何の問題もないかと思いますが…」
カリーナが、セナの横に来て言った。
すぐ背後から足音がして振り返ると、レンツが走って来た。
「報告を。敵は、獣人が約20人。ハイノーレン大陸の略奪者かと思われます」
レンツは息を乱さず、早口で言った。
「獣人の略奪者風情、20人なら、私たちで十分戦えます!」
シェイがエイベルを見上げて必死に叫ぶ。
一呼吸もない間に、
空気が唐突に変わったのがセナにも分かった。
「アグロン、もう一度聞く。お前は任を忘れたのか?」
怒りの圧。空気が重くなった。
低く這うように絞り出されたエイベルの声は、マグマのうねりのようで、セナはエイベルの顔を見られなかった。
思わず視線が下がる。
「ならば主人に許可をいただきます!」
畏れるものなどないと言いたげなシェイの強気の声が、空気を切り裂くように響いた。
セナは、シェイの言った言葉が理解できなかった。
内心で「は?」と言葉が落ちる。――――主人とは、誰だ。
「貴様、」
「セナ様、戦わせてください!」
エイベルの言葉を押し退けて、シェイがセナの目を見る。
彼女の赤茶の目に、恐怖や戸惑いの色はなかった。
ただ切実さと強い正義感だけが浮かんでいる。
もちろん、セナだって、この村を助けて欲しい。
でも、そう言っていいのかセナには分からなかった。
悲鳴は、まだ村中に響いている。
セナの心臓が、ドクリと大きく音を立てた。
「わ、私…」
血飛沫と倒れた少女の姿が、セナの頭に浮かんだ。
唇が震えるせいで、声までもみっともなく震える。
旅を共にする護衛騎士の身の安全か、はたまた村人の命か。
答えなど決まっていた。
旅を共にしてきた人たちの命の方が大切だ。
それに、なによりセナは怖かった。一秒でも早く離れたい。
でも、それで見捨てていいのか。
後悔しないのか。
そもそも、セナが「助けてほしい」などと厚かましく言える立場なのか。
判断材料もないのに、なぜセナが決めなければならない?
(……優先順位は、なに)
セナは目を伏せて息を吐き出した。
「ルフォス様、なりません。御身の安全が第一です」
上から響くエイベルの声は、焦りを含んでいた。
破壊と悲鳴の音が近くなっている。
馬たちが鳴き声を上げて、足踏みしている音が嫌に大きく響く。
考える時間は5秒もなかった。
悲鳴と、彼らを待たせているという圧と、命の刻限がセナの心を急かす。
心臓が早鐘のように打っていた。
「……私は、あなたたちの命の方が大事です」
震えた声で答えを出すと、シェイが息を飲む。
セナは目を伏せた。結局、言えるのは綺麗事だけだった。
「……一人も死なないと、危ない時は退くと、約束してくれるなら。
自分の命を優先し、確実に勝てるなら……助けてほしい。
でも、それが難しいなら、」
言葉を続けることすら嫌気がさして、セナは口を閉じる。
戦いの場に出て、一人の犠牲もなく終わらせろなんて、とんだ戯言だ。
世を知らぬ、愚かな子どものような言葉が出てくる自分に、セナは心底失望した。
正義に振り切れず、非情にも振り切れない。
中途半端が一番悪いと知っているから尚のこと質が悪い。
けれど、それ以外に言葉はなく、どうしようもないセナの本音だった。
エイベルが眉根を寄せた。それから、諦めたように短く息をついて目を伏せる。
同時に、ユーインがセナの前に一歩踏み出す。
「ルフォス様。死なない約束はできませんが、我々はこう見えて強いですよ。
余程の事がない限り、盗賊風情相手に死にはしません。
でも、多少の怪我は大目に見てください」
ユーインが小さく笑いながら、剣を抜いた。
呼応するかのように騎士たちも、武器を手に持つ。
セナの決定だ。
曖昧で誤魔化すように告げた言葉が、彼らの命を危険に晒した。
胸が痛み、視界が滲むが、溢れないように唇を噛み締めて頷く。
「カリーナ嬢」
エイベルが短くカリーナを呼ぶ。
「私はお嬢様を守りつつ、宿より魔法攻撃を行います」
カリーナの返答にエイベルが頷きながら剣を抜く。
「イーモン、ルフォス様と宿に戻り、護衛を」
エイベルの指示が更に続く。
「俺の出番なしですか!?」
「ハハ、お嬢様と高みの見物しとけ!」
イーモンとサイモンが楽しげに言葉を交わす。
これから戦いに行くとは思えないほどの軽快さだった。
次の瞬間、宿の角から出て来た二足の獣に、セナは息が止まった。
顔は、犬のそれだった。
部分的に獣の身体的な特徴はある。
でも、骨格は人間と変わらない
茶と黒の毛に覆われた手には、血まみれの斧を持っている。
セナの重心が完全に後ろに寄った。
倒れかかるのを、何とか踏み留まろうと右足を動かすのと、獣人の脳天に短剣が刺さったのは同時だった。
一歩後退したのは獣人で、そのまま二歩下がり、やがてドサリと音と共に地面に沈む。
「これで、19人に減ったな」
ユーインが揶揄うような口調でレンツを見上げた。
セナには、わずかにレンツが動いたことしか分からなかった。
獣人は、殺されてしまった。
そして、殺すことを選んだのはセナだ。
「殲滅する」
エイベルの小さな声は、けれど強く耳に響いた。
因果は巡る。
この選択の行く末は、いずれ、すべてセナに返ってくる。




