03-4:異界の硬貨と文字
翌日。
セナは馬上で、赤の他人の遺品を持ち歩いている気味悪さから早く解放されたい気持ちでいっぱいだった。
同時に、弔いをすべきだと云う考えも波のように引いては返す。
馬に揺られているだけの午前中は、そんなことばかりが巡る。
けれど、午後からのセナは大忙しだった。
通貨価値を学び、商品の原価を書き留め、
商隊の維持費を求めなければならない。
「ええと、パン一斤が3コペル…?」
銅貨3枚で、パン一斤が買える。
カリーナの言葉を思い出しながら、蝋板にメモを取る。
「スープが1コペル、チーズ2コペル、干し肉が6コペル。
毎食全部食べないけど、高く見積もって……1食平均9コペルくらい?」
蜜蝋を板に塗って固めた蝋板は、表面がデコボコで書きづらい。
それに、幌馬車の揺れもあってうまく書けない。
A3程度の大きさはあるけれど、ノートのように何ページも使えるわけではない。
それに、蝋に刻んだ文字は見づらかった。
不便さの文句が、湯水のように湧いてくる。
セナは、内心で「現代文明万歳!」と叫ぶ。
「共同生活だし、1人1食平均7コペルでいいだろ」
ペロが、セナの持つ蝋板を覗き込んだ。
指から火を出して、セナが書いた「9」を炙り消した。
文句を言いながらも蝋板を使用するのは、A4サイズの羊皮紙1枚が、かなり高いせいだ。
なんと、25コペル以上もする。
つまり紙1枚が、3食分に相当した。
セナは、高額である羊皮紙に手を出せそうにない。
「……余裕を見て26人分で計算すると、食費が1日……えー…546?」
蝋板の端に計算式を書いて解を求める。
「30コペルで、1バーシル銀貨。
20バーシルが1ゴルド金貨だから…、
1日の食費が、18バーシル6コペルだな!」
「あ、馬の食費忘れてる」
「そのへんの草食わせとけよ」
ペロは、ちっとも分かっていない。
可愛い馬には、大豆や麦、おやつのニンジンをあげると相場が決まっている。
だいたいの試算を終えたセナは、宮廷長官から支給された宝箱を開くと、ゴルド金貨がギッシリ入っていた。
きっと、これが商隊の運営費に違いない。
目がチカチカする。
「これ、現代価値でいくらだろ」
「あっちの金とは、材質成分違いすぎて捕まるぞ」
ペロが片眉を上げた。
「マジ? 夢がなさすぎる」
セナは、ガックリ項垂れた。そして、そもそも物は持って帰れない。
セナは気を取り直して、金貨をチャリチャリ鳴らしながら枚数を数える。
ゴルド金貨には、一方には、男性の横顔。
もう一方には、ケルト結びのような紋章の絵が描かれていた。
手持ちの皮袋に入っていた硬貨と合わせると、金貨はすべてで292ゴルドあった。
8枚は町で宿に泊まり、食材を買い込んだ時に使用した。
「不足分は払うって宮廷長官が言ってたよね?
宿とか雑費を諸々あわせて、月に金貨50枚くらいが必要経費?
6ヶ月分とか多くない?
……あ、同行者の給金入れたら話は変わるのか」
セナは、3ヶ月以内でパパッとマナ正常化を終わらせて帰る予定だ。
その間の維持費があれば、商いをしなくても良いかもしれない。
「どのみち、商売しないと豪遊はムリだな!」
ペロが、腰に手を当てる。
「言えてる。最新の家電も高級チョコレートも買えないかもね。
にしても、ペロ。ルミア王国はどういうつもりで、あの人員配置にしたんだと思う?」
商隊運営に2人と言っていたのに、蓋を開けたらド素人である。
セナは、声のボリュームを落とした。
昨夜は人前だった手前、聞けなかったことをコソコソとペロに耳打ちする。
「知らん」
ペロは、即答した。相談しがいのない白いモフモフだ。
気にすることなく、セナは更にヒソヒソ声で続けた。
「だって、あの宰相だよ? ジーンズとTシャツでも仕事デキる雰囲気だった。
このゴルド金貨の山は、商品は売らずに持ち帰れって意味?」
「オレは察さないぞ! 金がなくなったら投げ売りする!
美味いもんを食べない旅なんて終わってる!」
この旅は、マナ正常化のための北上旅だったはずだ。
いつのまにか、モフモフの食道楽旅に変更されている。
しかも、セナは温泉旅行に来たはずなのに、まだ温泉にすら入ってない。
「ルフォス様」
幌馬車の外から、若草色の髪をした騎士。
レンツの控えめな、気遣いの色が混じった呼び声が聞こえた。
「はい!」
セナはお喋りを中断して、慌てて立ち上がる。
それから車体を覆う後部の革をめくった。
「ミラ嬢がルフォス様にご用だと」
レンツの馬の横を、ミラが小走りで走っていた。
どうやら、セナとペロが話していたために遠慮して中に入れなかったようだ。
どれくらい走っていたのだろう。
セナは幌馬車の縁を手でぎゅっと握り、ミラに手を差し出す。
「ミラ殿、気づかなくてごめんなさい。今後は、気にせず入って来てくださいね」
ミラは戸惑いつつも意図を察したのか、セナの手を握り返した。
そのまま後部台に足をかけたので、セナはミラの手を引いて、引き上げる。
「ありがとうございます。
私、好きで走っていたので。お気になさらないでください」
ミラの紺碧の目が陽光に輝き、柔らかくセナに微笑んだ。
打算や裏表のなさそうな、純真な雰囲気のミラに、少しばかり肩の力が抜ける。
「走るのが好き? おまえ、見かけに寄らず体力バカなのか?」
ペロがまた余計な一言を口にした。
「普通に考えて、気遣いでしょ」
セナは、ペロを睨む。
「体力には自信があります! 使いっ走りも得意です!」
ミラが明るく言った。
人生で聞いたこともない特技だ。
「そ、そうですか。……素晴らしい特技ですね」
特に親しくもない相手をスルーすることもできず、
セナは無難で当たり障りのない一言で切り上げた。
「ありがとうございます。あ、ルフォス様、こちらを…。
担当した原価記載を終えました」
本題だろう、ミラから差し出された羊皮紙をセナは受け取った。
「揺れて大変だったのに、ありがとうございます」
午後から、セナ、ミラ、ダズマーの順番で、カリーナが分かる範囲で原価を読み上げたものを商品目録に追加記載していた。
休憩を挟んだら、次はダズマーの番だ。
セナは、ミラから受け取った目録を見つめる。
相変わらずよく分からない記号が書かれていたのに、すぐに日本語に変わってしまった。
「そういえば、ペロ。文字が読めるんだけど…」
「ああ、だろうな。お前が知ってる事や似たような言葉に置き換わるはずだぞ。
書くのは自力だろうけどな」
ペロは何でもないことのように言ってのけた。
セナは一体どういう仕組みなのか、全然分からなかった。
「なんで?」
「んー、教えてやってもいいけど、多分お前は理由を意識し始めると文字が読めなくなるし、今後は会話すら難しくなるぞ」
意思疎通できなくなるのは、とても困ることだ。
でも、意識し始めると、できている事ができなくなる?
セナは、言葉にできない漠然とした薄気味悪さが渦巻いた。
もう、あまり考えない方がいいかもしれない。
「書くのは、自力なんだ?」
「そうだぞ! ちゃんと、こっち側の字を見るって意識しろよ。
そうすりゃ認識できるから、あとは語学勉強だ!」
セナは、ハッとした。
それから商品目録に書いた自分の数字と、他の数字を見比べてみる。
ペロが言った通り、「異界の文字を見る」と強く意識すれば、日本語がセナの知らない文字になった。
けれどセナが書いた数字だけは、アラビア数字のまま変わらない。
ペロが気づいたらしく、「ブフー!」と吹き出す。
「ギャハハ!
お前、原価を知るより、こっちの数字書けるようにならないとな!」
商品目録に、アラビア数字。これでは、他の人は確認ができない。
「手習い~」
ペロが節をつけて歌う。
またもセナに課題ができてしまった。できない事が多すぎる。
セナは、『勇者』ではなく、赤ちゃんになってしまった気分だった。
「……あの、ルフォス様。私でよければ、お教えしましょうか?」
おずおずと切り出したミラの紺碧の目は真剣そのものだった。
「お願いします」
セナは素直にミラに頭を下げた。
「ふふ、少しでもお役に立てるなら嬉しいです!簡単ですし、頑張りましょう!」
こども園の先生のようにミラが優しく微笑んだ。
「私の蝋板を取ってきます!」
ミラの行動は速かった。
ピョンと幌馬車から飛び降りて、前方に韋駄天のごとく走って行ってしまった。
「あいつ、商隊員っつーか、騎士じゃねぇの?」
ペロがミラの背を見送りながら呟く。
セナも揺れる茶色の髪を見ながら無言で頷いた。
「ルフォス様」
幌馬車の後方を守るレンツが、またも遠慮がちに話しかけて来た。
「はい?」
セナがレンツに視線を向ける。
レンツは少しだけ幌馬車に馬を近づけて声を落として言った。
「給金の件はお気になさらず。我々は1年分を既に支給されております。
カリーナ嬢は分かりませんが、おそらく、使用人もミラ嬢やダズマー殿も同様かと思います」
「……あ、アー、ありがとうございます。レンツ殿」
普通に喋っていたせいで、レンツに丸聞こえだったらしい。
セナは、自分が喋った内容やら行動を思い出した。
『食費が1日……えー…546』
『これ、現代価値でいくらだろ』
それから、ゴルド金貨をチャリチャリ鳴らしながら、ペロと楽しく数えていた。
外から聞いてたら、金にガメつい人間のように聞こえたかもしれない。
恥ずかしくなって、セナは幌馬車の中に入ってしゃがみ込んだ。




