03-1:城外の世界
『星霊の託宣』で、北上を続けること5日目。
セナは、朝から初めて馬上に一人でいた。
「セナ様、乗馬姿勢、安定してきましたね!」
すぐ後ろから、護衛につくルミア王国の女騎士のシェイラ・アグロンが、セナを褒めてくれる。
「あ、ありがとうございます。シェイ」
セナは、引き攣った笑みを返した。
リアルな乗馬旅は、セナの筋肉に地獄を見せているせいだ。
まず、初日に揺れでお尻が悲鳴を上げ、
次の日から太ももが限界の雄叫びを上げ続けている。
そのおかげなのか、『レベル・アップ・デイズ』アプリのステータス上昇音が鳴り止まない。
体力と耐久が上がるのに比例するように、疲労値も上がる。
昨日は宿場で一泊したあと、半日の休息があった。
のんびりとベッドに引きこもり、出発の昼まで二度寝、三度寝して疲労は若干回復したが、セナは今日も酷い筋肉痛だった。
町や村の観光なんて、まともにできる余裕はない。
ガラゴロと音を立てて、幌馬車が整備されていない街道を行く。
昨日立ち寄った大きな町は印象的だった。
あとは、たまに村と田園がポツポツとあるくらいで、ほとんどは草原と原生林。山や川だけだった。
地球では毎日のように聞こえていた車の音も、人の喧騒も、この異界にはない。
たまに鳥の鳴き声はするが、世界はとても静かだった。
午後からは、幌馬車の荷台後部に座っていることが多い。
セナは、たいていマナ感知訓練をしたり、
ペロや、親しみやすいシェイとお喋りするのが日課になりつつあった。
だが、本日の後部の護衛配置は、トリスタン・パリッシュと、
あの若草色の髪のレンツ・ダ・ブライスという騎士である。
セナは、馬上のトリスタンからの視線に耐えきれずに顔を上げる。
明るい水色の髪。同色の目と視線が合った。
彼は優しげで穏やかそうだが、目が全く笑っていない。
『水色の腹黒優男』とセナは記憶していた。
「……ルフォス様の纏う風は、お美しい。あなたの華やぐ波を、つい目で追ってしまうご無礼をお許しください。…ですがお会いした時から、その輝く流れに引き付けられてやみません」
芝居かかった口調で、ポエムな言葉。
セナは、彼の認識を『水色ポエマー男』に変えるべきかもしれないと一瞬迷った。
「おい、トリスタン」
隣にいるレンツが注意するように声をかけたが、セナは気にせずに微笑んだ。
トリスタンの水色の目を「太陽に煌めく美しい湖のようですね!」と、同じようなノリでセナは返せた。でも、その必要性をあまり感じない。
もちろん、真摯な気持ちなら流しはしないけれど、彼の目には熱量がない。
ご機嫌取りなのはすぐに分かった。
それならば、話題転換する方が良い。それに、セナはかなり暇だった。
「ありがとうございます、トリスタン殿。
そのお言葉にトリスタン殿の教養が感じられるようです。
ルミア王国では、…文法……言葉の表現方法など習う場所はあるのでしょうか?」
「……は、文法ですか…?」
「はい。数や文字など一般教養を習う場所とか」
トリスタンがたじろぐ。
代わりに、レンツがセナの疑問に答えた。
「ここにいる大抵の者は、家で基礎教養を身に付け、他家や王城などで仕えながら更に学ぶことが多いのです」
若草色の髪のレンツ・ダ・ブライスは、まさしく『ザ・優等生』という雰囲気だった。
融通の利かない学級委員長タイプというより、柔軟で頼りになりそうな印象だ。
運動部のキャプテンをしているイメージがピッタリ合う。
ガタンと幌馬車の荷台が、石を踏んだのか大きく揺れた。
隣で寝ていたペロが「んご!」と声を上げる。
「お二人には思い出深い学びなどありますか?
印象深い先生…師などがいらっしゃったら、ぜひ聞かせてください」
「…思い出深い、ですか…」
セナは、この異界のことを少しでも知りたくて、元の会話相手であるトリスタンに視線を戻した。
すると、彼は悩ましげな表情になってしまう。
青春時代の面白おかしい話なんて、それなりにあるはずだ。
まず授業中に、定規で太陽の光を反射させるのは鉄板だ。
回し手紙が飛ぶのを見て、「綺麗な放物線だ。もう一度やれ」と数学の先生からリクエストされた日もあったし(もちろん、手紙は没収された!)、
歴史の年配の先生は、突然歌い出すから「ソリスト」と友人らと渾名を付けて、リクエスト曲リストも作ったりした。
セナのネタは、学生時代に限らず山ほどある。
ペロが欠伸をして目を擦りながら、セナの隣に座った。
「コイツらは、ゆるゆるなJKが送る青春は送ってないぞ?
早朝から深夜まで雑用と訓練して、なんかありゃ叱責されるからな」
ペロの言ったことを肯定するように、レンツが苦笑する。
「……恥ですが、環典暗唱をよく噛んで打たれましたね」
「…いただいた指導は厳しいものでした」
トリスタンも具体的には言わないけれど、何やら遠い目をしている。
詩的表現でも怒られたのだろうか?
二人には惜しんで懐かしがるといった空気はない。
よほど過酷な日々だったのかもしれない。
「……騎士になるって大変なんですね」
よろしくない話題だったことを、セナは察した。
深刻そうな口ぶりで感想を呟く。
武力があって、戦上手ならそれでいいのかと思いきや、地道なスパルタ教育を受けているようだった。
「あまり勧めることはできませんね」
トリスタンが微苦笑する。
おかしな社交辞令を口にする時よりも、ずっと雰囲気が良かった。
これが、トリスタンの素なのかもしれない。
「もし騎士以外ならば、お二人は何をされて――」
セナは何気なく、視線を西の方角へ向けた。
200メートル先に黒い大きな何かを見つける。
思わず言葉が止まった。
クマか、イノシシだろうか。2メートル近くありそうだ。
レンツが、セナの視線を追いかけると、ハッとしたように息を飲み込む。
「ルフォス様、失礼いたします!」
慌てたようにレンツが前方へ馬を駆け出した。
すぐに、エイベル・ウォードの鋭い「止まれ!」という号令が響く。
「な、なに?」
幌馬車が止まった。
セナが動揺してキョロキョロと首を動かし、ペロはまた悠長に欠伸をしている。
ほどなくして、レンツがエイベル・ウォードと共に戻って来た。
「……ルフォス様。あれは魔物です」
エイベル・ウォードの声は、やや緊張を含んでいるみたいだった。
「魔物」
「姿が見えてるのは一体ですが、他にも潜んでいる場合、御身の近くで戦闘になる可能性があります」
魔物や戦闘と言われても、セナには現実味がない。
それに、何をどうしていいのかも分からない。
大きな黒い物体は遠く、ただじっとしている。
今、恐怖を感じることは難しかった。
とりあえず、セナは頷くことしかできなかった。
「わ、分かりました」
「レンツ、皆に合図を」
「は、ただちに」
エイベル・ウォードは、セナの返事を聞いてすぐに指示を飛ばす。
レンツが剣を抜いて馬を走らせる。
すると、あちこちから鞘と刃が擦れる音が聞こえてきた。
「駆除するのですか?」
魔法士のカリーナが、馬をゆっくりとこちらへ歩かせて来た。
カリーナが首を傾げると、灰色のウェーブの髪がわずかに揺れる。
相変わらず淡々とした喋りで、彼女からは、あまり緊張も感じられない。
「カリーナ嬢、」
エイベル・ウォードがカリーナに視線を向けて首肯した。
「一体だとしても片付けておくべきだと考える」
「同意します。ですが、わざわざ赴く必要もありません。
見えている一体は、私が引き受けます」
カリーナが、セナに許可を求めるように視線を向けた。
セナは戦闘の素人だ。
そろりとエイベル・ウォードにお伺いを立てるように目を向ける。
でも、特に意見はないようだ。
セナに持てる答えなど一つしかない。
再びカリーナの蜂蜜色の目に視線を向ける。
「よ、よろしく、カリーナ」
「はい、お任せください」
カリーナは満足そうに頷き、馬を反転させた。
「火司りし法行、来るものは灼熱を、行くものは楽喜を与えん」
カリーナが言葉を紡ぎ始めると、
彼女の眼前に赤い複雑な円陣図式と、文字のような羅列が空中に描かれていく。
セナは緊張も忘れて、鮮やかな赤い魔法陣に見入る。
アデラインもジェラルドも一瞬で魔法陣が現れて消えてしまった。
だが、カリーナの魔法は丁寧にゆっくりと式が描きあがる過程が分かる。
どうしたって、胸の高鳴りが止まらない。
「我、礼を持って理の扉を開きし陽朱。我が意に応えて敵を撃て」
カリーナの右手が天に向けて掲げられる。
魔法陣が完成したようだった。
「ファイアー!」
強い声と同時に、手が黒き魔物に向かって振り下ろされる。
魔法陣から何が出てくるのだろうと、セナはワクワクした。
次の瞬間、炎の球がどこからともなく現れた。
炎球はイノシシに当たると、爆音を立てて弾ける。
セナの身体がビクッと跳ねた。
無意識に隣のペロを守るように、軽く抱き寄せる。
黒いイノシシのような魔物は、炎に包まれながら大地へと横たわった。
ゴオゴオと燃え盛る炎とは反対に、セナの身体は冷や水を浴びたように熱を奪われていく。
魔法への興奮は、最早セナの中に残っていなかった。
(……超高性能な、爆弾みたい)
便利で美しく、かっこいい。
楽しさや、夢や希望に溢れているものだと思っていた。
『国によっては、魔法士は蛇蝎の如く嫌われてるしな!』
ルミア王城で、ペロが言った言葉がふと頭をよぎった。
あの時、セナは「蛇も蠍も嫌いじゃない」とフォローにもならない台詞を言った。
だけど、彼らを蛇蝎と表現する理由を理解した。
強大な力が、恐ろしいからだ。
無慈悲な攻撃が、自らに向くことを畏れている。
「妙ですね。一体だけのようです」
カリーナが、拍子抜けだと言いたげに馬首を戻す。
同時に、燃え盛る炎はまるで嘘のように一瞬にして消えてしまった。
それに、倒れた魔物の姿までも消えている。
セナは、ペロに触れていた手を離した。
緊張で心臓が高鳴るのを落ち着かせようと、静かにゆっくりと息を吸って吐き出す。
とにかくも驚いた。
「ええ。最近の魔物は知恵をつけています。
あのように単体で、それも動かないのも奇妙なことです」
レンツは思考をまとめているのか、視線を下げつつカリーナに同意した。
「下級魔法で一撃なので、さほどの強さはないはずです。
まるで此方の出方を見ているような―――」
淡々と話すカリーナの語尾が消えていく。
眼前で交わされる会話は、深刻そうだ。
今起こったことといえば、
ちょっと遠くでこちらを見ていただけの巨大イノシシが、爆発する魔法攻撃一発で殺されたくらいだ。
セナには深刻度が測れなかった。
もちろん、セナは「可哀想」なんて口が裂けても言わない。
200メートル先から見えるほどの大きさだ。
至近距離で襲われたらひとたまりもないことくらい、想像することは簡単だ。
金髪の無表情な騎士エイベル・ウォードは、
黙って話を聞いているセナに視線を向けた。
「ルフォス様、そろそろ日も消えます。
急ぎ先へ進み、念のために丘地で野営にしたく存じます。
ご苦労をおかけいたしますが、ユーインとともに騎乗ください」
エイベルの言う通り、動かない太陽は明るさが弱くなっている。
「分かりました」
セナは腰かけていた幌馬車の後部台から降りた。
エイベルの指示が続く。
「レンツ、トリスタン、他2名を連れて、魔消痕を確認。
カリーナ嬢、後方にて援護を頼みます」
レンツとトリスタンが頷き、
カリーナも了承を伝えて馬の手綱を引いた。
「これより、幌馬車を4頭引きに組み替える!」
エイベルの鋭い指示が飛ぶと、騎士らがすぐさま動き出した。
誰がどんな動きをするか、決まっているようで迷いがない。
騎乗していた数名が馬を降り、革ベルトなどの馬装具を幌馬車から取り出して装着している。
まさしく訓練された動きに、セナは圧倒され、ただ所在なく立ち尽くした。




