02-20:旅立ちの祈り
とうとう出立の朝がやってきた。
少し雲が多いけれど、動かない太陽の日差しが柔らかく届いている。
客室でゆっくりと朝食を食べて、セナは旅装に着替えた。
白の長袖に、紺色の膝下までの長衣、
スキニーパンツ(タイツっぽいが、それより厚くて丈夫そうだ!)、
ヒールの低い、歩きやすいブーツ。
それから、金糸の刺繍が入った紺色のケープ。
服装というものは恐ろしいもので、可愛いとテンションが上がってしまう。
くるりと回ると、紺色のケープがふわりと揺れて更にセナの気分を押し上げる。
「……何やってんだ、お前」
ペロが呆れたように半目でセナを見た。
「可愛くない?」
自分の着ている白と紺を基調にした旅装を見下ろす。
ややコスプレ感が否めないが、悪くない。むしろ、かなりいい感じだ。
「まあまあだな。ほら、行くぞ」
ちなみに、セナは紺色のカッコイイ外套と毛皮の外套も支給されているため、ケープを外套に変えると、少し締まった印象にもできた。
「せっかちね」
セナは、7日間も寝泊まりした部屋にゴミや汚れがないかチェックしてから部屋を出る。
ようやく堅苦しい石造りの王城を出られるという安堵と、異界での新たな旅に一定の緊張が付き纏う。
服装は一種の戦闘服だ。
簡単に自信をくれる、最高の呪いだ。
ペロとともに室を出ると、
開いたドアの先スレスレのところに一人の女性が立っていた。
肩につく灰色のウェーブの髪に、蜂蜜を溶かしたような吊り上がった目。
彼女は茶色のローブに暗い緑色の長衣を着ていて、
その所属がセナには全く分からない。
「……お、おはようございます…」
「おはようございます」
とりあえず、挨拶したもののオウム返しされた。
何の色も浮かばない蜂蜜色の目にじっと見つめられる。
「なんだ、お前」
ペロがセナを守るように一歩前に出て、怪訝な顔で問うた。
すると、ちょうど何室か向こうの扉が開き、ジェラルドが顔を出す。
彼女はそちらに向かって頭を下げた。
「ドルシの家の子か。お前と共に来たもう一人はどうした」
「怖気づいたようで、言い訳を重ね、引き返して行きました」
彼女の回答に、こちらへ向かって歩いて来たジェラルドは、この8日で聞いたこともないくらい長く静かな溜息をついた。
「しかし、ラトリッジ導師。私一人で任務遂行は可能であると考えます。フィブラリスを如何なる危険からもお守りし、湯の準備に炊事洗濯もできる。
私は他の魔法士とは違います」
「大変不安だ」
二人とも表情一つ変えずに淡々と会話していて、逆になんだかセナは笑えてきそうだった。
平坦な声でバッサリと切ったジェラルドが、セナに向き直った。
「よく眠れただろうか」
ジェラルドは、おはようという挨拶の代わりに、いつもセナにそう問う。
「はい、おはようございます」
セナが笑顔で答えると、ジェラルドがチラっと灰色髪の女性の方を見た。
「勇者殿。ゼラート魔導都市国家の中央塔でユールタイド導師に師事している魔法士、カリーナ・ドルシだ。
魔法士としての腕は優秀ゆえ、あなたの身を守るに不足はないだろう。
……少々変わっているのは目をつぶっていただきたい。これでもまだ人格は良い方だ」
言い終わるが否や、ウォルター老の弟子らしいカリーナがセナを再びガン見してきた。
「やはり彼女が…?」
ジェラルドが頷いて無言の同意を示す。
カリーナは、戸惑うことなく例の三角礼を取って跪く。
「お目にかかれて光栄です。理を正す救世の使者にここへ変わらぬ忠誠を誓い――」
「いや、ちょ」
数日ぶりに膝をつかれて狼狽えるセナに、
ペロが我慢できないと言いたげに声を上げた。
「あー、御託が長いぞ、魔法士!」
カリーナは眉根を上げたが、何も言わずに立ち上がった。
それから隣に置いている袋からガサゴソと何かを漁り始める。
「あなた様は湯を好むと師より聞き及んでおります。
最高の浴布を選んできました。
ゼラート産の麻でよく吸水し、肌触りも良いです」
ずいっと、数枚ある畳まれた布地を差し出され、セナはとりあえず両手で受け取った。わりと重い。
「あ、ありがとうございます」
「それから、こちらは師を模した爪切り人形『賢者ウォルター・パッチンくん』です。一度に片手の爪が切れる大変優れもの」
30cm定規ほどの高さの、ぱっくり口を開けた人形を布地の上に置かれる。
人形は、大変可愛らしいウォルター老のデフォルメ顔で、三角帽子もチャーミングだった。
けど、でかい上に重い。
邪魔だなんて口が裂けても言えないが、これから旅に出るというのに、かなり場所を取りそうだった。
「お前んとこ、こんなもんを売ってんのか?」
「……私の領外だ」
ペロが『賢者ウォルター・パッチンくん』を見た後で、ジェラルドを見上げる。
ジェラルドは目を伏せて一段と声を低くして言った。
ちなみに、セナもペロもジェラルドも知らないが、『賢者ラトリッジ・パッチンくん』も、『賢者ルコント・パッチンくん』もゼラート魔導都市国家にて販売中である。
売れ行きはボチボチだが、最も人気なのが、長く国を守護するウォルター型だ。
更にカリーナはゴソゴソと袋内を漁って、大型の物を出して来た。
わりと大きめな40cm地球儀のような物体だ。
「こちらは、僭越ながら私が作った魔道具、埃吸引球になります。
周囲の埃を吸引して微弱マナを溜めることができます。
あなた様の健康を守ると同時に、およそ5年で低級魔法を一発打つことも設計・制作しました。どうぞ、お納めください」
更に重たい謎物体が、手に持つ布の上に置かれた。
セナは引き攣らないように笑顔を向ける。
「あ、ありがとうございます。初めていただくものばかりで嬉しいです」
「はい。必ず役立つものと確信しています」
「おい、いらねーって言ってやれ。魔法士に世辞は通じないぞ」
ペロが本人を目前に遠慮なく言い放つ。
いつか同じことを言っていたジェラルドが、同意するように静かに頷く。
(……いや、言えないでしょ)
セナは内心で愚痴った。
たとえ不要だろうと、似た物をすでに持っていようと、大事なのは物ではない。
全ての贈り物は気持ちなのだとセナは母から言い聞かせられてきた。
『セナ、あなたがもらったのは、物の大小やお金の価値ではなく、プレゼントをあげたいという気持ちなの。文句を言わずに、欲しいものは自分で買いなさい。
人に強請ることは見苦しいことよ』
いつだったか、幼少期に友人からもらったプレゼントがショボくて文句をつけた時に言われたことだった。
母の厳しくも優しい声が頭に蘇る。
思い出したら、途端に出汁の効いた卵焼きが食べたくなった。
「星霊は既に下でお待ちだ。ルコントはどうした」
ジェラルドの声に、母親との思い出が引っ込む。
そういえば、アデラインとフィアの姿が見えなかった。
「ルコント導師は、別れが寂しくなるから先に帰ると既に発たれたようです」
「…………」
ジェラルドが再び目を伏せる。一瞬だけ眉間の皺が刻まれた。
未来のことを何も知らなければ、セナは大変残念がったかもしれない。
だが既にフィアの預言を聞いている身である。
ジェラルドが無言でセナの手に抱えられた爪切り人形『賢者ウォルター・パッチン君』と埃吸引球を引き取って歩き出す。
セナは、改めてカリーナに向き直って、笑顔を向けた。
出発まであと僅かだ。
「……ドルシさん。セナ・ルフォスです。どうぞ、よろしくお願いします」
「敬語は不要です。どうぞ、カリーナとお呼びください。
使命を果たすまでお供します」
カリーナの蜂蜜色の目が、セナを真っ直ぐに見つめた。
王城の裏門近くには、既に幌馬車3台と何頭もの馬が揃っていた。
最終確認なのか、人が右往左往と忙しそうにしている。
セナが幌馬車に近づくと、王が大股で歩み寄る。
「おお、勇者殿。準備は整っただろうか」
「はい。大変お世話になりました」
深々と頭を下げると、王が首を横に振る。
「そなたが、遠い地から来たことに比べると大したことではないだろう。
まだまだ歓待したかったが、そうも言うてはおれぬ。……道中、気をつけてくれ。
旅が終われば、盛大な宴を催そう」
「………お気遣いありがとうございます」
終われば即帰る予定だが、
セナは微笑んで王からの一方的な固い握手に応える。
王の手が離れると、後ろで「何をしているのだ」と地の底から這いずる地獄の魔王のような低くて恐ろしい声が響く。
振り返ると、ジェラルドが頭からすっぽりとボロ布を被った御者席に背筋を丸めて座っている、到底アデラインとは思えぬ人物に声を掛けていた。
「……出発を待っております、旦那」
次の瞬間、ジェラルドの足元が僅かに光り、御者席にだけ突風が吹き荒れる。
御者のローブが脱げてボサボサの紫髪が現れた。
どっちが顔か分からない。
「降りろ。我らは同行できぬ」
「ルコント導師。魔塔条約第3条2節、ゼラート魔導都市国家に登録された魔法士による国外移動について、理を正す以外、正統なる理由なくして国外移動を禁ず。
移動の際は各魔塔への届け出に加え、渡航先について、全導師および評議員5名の承認を得ねばならない。
ちなみに、ルコント導師はアルセリア大陸23カ国中、承認されている国はたったの2カ国です。10カ国は入国後、武力攻撃も辞さぬとの抗議文を見たことがあります」
爪切りをくれたカリーナが、早口言葉のように言った。
セナが理解できたのは、
アデラインが国を移動できるのは2カ国ということだけだった。
「……条約なんて、あってないようなものでしょう。
セナ、誤解しないでちょうだいね? 戦で魔法を過剰に使用して、後始末もせずにマナ異常を起こす奴らが悪いのよ?」
髪を手櫛で直すアデラインは、一体他国で何をやらかしたのだろうか。
よく分からないが、あまり突っ込んで聞くのも恐ろしい。セナはウンウンと同意するように、赤ベコになりきる。
御者席を渋々といった体で降りたアデラインは、カリーナを見下ろした。
「自分の立場を理解してるわね?」
「はい。北牙傭兵団に所属、第五低位魔法士、カリーナ。
ミラガイア商隊、セナ・ルフォスより、商隊護衛依頼を受けて同行。
傭兵団証も持っています。問題はありません」
アデラインは、黙ったまま確かめるようにカリーナを見下ろしていたが、セナに向き直った。
「……しばしのお別れね」
「常に理環が側にあらんことを」
惜しむように言ったアデラインと、短い別れの言葉を告げるジェラルドに、セナは今度こそ心から微笑んで別れを告げた。
宴はいらないけれど、彼らとまた別れの挨拶ができればいいなと、セナは思った。
「勇者殿、お話中失礼します。出発の準備が整いました」
騎士服ではなく、旅装のエイベル・ウォードが足音を立てて近づき、出発を知らせてきた。
気づけば、護衛兵と商隊員がズラリと一列に並んでいて、何頭かの馬が出発を急かすように、その場で足踏みをしている。
「セナ様」
慌てたようにフィアが走り来る。
絹のような美しい黒髪が揺れて、眼前で止まった。
「こちらをお持ちください」
差し出されたのは、精巧な金装飾に紺色の石がついたペンダントだった。
「…綺麗。いいんですか?」
「はい。旅の幸運を祈った守りです」
セナが装飾を受け取ると、フィアが祈るように目を伏せた。
「……どのような力をもってしても、過ぎた時を取り戻すことはできません。
けれど、如何なる選択の先にも救いがあり、道は続くことでしょう。
……どうか、あなたの選択に祝福が多く、星の加護があらんことを」
濃紺の目が、ただただ真摯にセナを見つめる。
「ありがとうございます、フィア」
返す祈りの言葉は見つからず、いつもなら口にできるはずの軽々しい別れの言葉もどうしてか口からは出なかった。
「行くぞー」とペロが明るく言い、セナは弾かれたように顔を上げる。
雲が流れて、動かぬ太陽の日差しが道を照らした。
「出発」
エイベル・ウォードの一声で、馬が進む。
長い旅が今、始まった。
<02話 異界との接触 了>




