02-5:初めての異界の夜
謁見の間から出て通されたのは、15畳程度の部屋だった。
天蓋付きの大きなベッドに、小さなテーブルと椅子。
書き物机、木箱、それに暖炉まである。
2つあるガラス窓は波打ち、厚みも均一ではなかった。
石壁には壁紙の代わりにタペストリーが掛けられている。
「湯の準備が整うまで、しばらくお待ちください」
部屋まで案内してくれた老年の宮廷長官に向き直って頷く。
宮廷長官の背後を、数人の男が大きな丸い樽のようなものを持って通り過ぎた。
次いで、小走りで桶を運ぶ女性が部屋の前を通り過ぎていく。
「あの、何してるんですか...?」
セナはなんだか嫌な予感がして、廊下を覗き込む。
隣室が騒々しい。
「隣室にて湯の準備をしております」
微笑む宮廷長官に、セナは目を見開いた。
風呂といえば、ボタン一つで浴槽いっぱいの湯が自動で溜まるというのが常識だった。
まさか室内に浴槽が運びこまれ、湯を人力で持ってくるという発想はセナになかった。
早々にセクシー美女アデラインが通りかかり、
「友達サービスよ」とウインクして、魔法で浴槽に湯を満たす。
使用人たちはかなり恐縮してアデラインにペコペコと頭を下げていた。
セナもアデラインと使用人らしき人々に頭を下げて礼を言う。
入浴が人騒がせになるなんて、まさか思いもしなかった。
「……もしかして入浴習慣があまりない…?
魔法でパパっと何でもできるんじゃないの?」
入浴介助の申し出を断って、
木製の樽のような浴槽に入ったセナは、頬を手で挟みながら言った。
ちなみに床には、プラスチックでもなければタイルでもない。
布がたくさん敷かれていて、どう見ても急遽用意した仮浴室のようだ。
ペロは、別の小さな木桶に入り、
縁に手をかけると溜息をついた。
「そもそもお前んとこの国は、水にかなり恵まれてる上にインフラが強いからな。
お前の基準や習慣は、地球現代でもかなり贅沢だぞ」
木桶に横になり、顔だけを湯から出したペロが更に続ける。
白い毛に覆われた足を交互に動かし、チャプチャプと湯の音が響いた。
「それと確かに、ンー、魔法があれば、ある程度はできる。
さっきの部屋も魔法で保温されてるぞ。温かいが、乾燥もしない!
エアコンもボイラーも不要!
12世紀文明レベルが基準だが、随所に地球以上の文明もあるってことだ!」
つまり、魔法が使えるか否かで、生活レベルがかなり違ってくる。
セナは、もう一度マナを感じようと目を伏せ、胸に手を当てる。
だが、何も感じなかった。聞こえるのは、心音だけだ。
「……ペロ、あんた偉大なる大精霊にして最強神でしょ?
ササッと私が魔法使えるようにしてよ」
面倒になったセナは湯桶の縁に右肘を置き、
気持ちよさげに湯につかるペロを見下ろした。
「ムリ~。んなもん無数にあるどの異界の神も妖怪も悪魔も大精霊もムリ~」
ペロは桶にプカプカ浮かびながら、歌うように「ムリ~」と連呼するせいで、
セナは若干イラついた。
謁見の間での腹いせも込みで、ペロの顔目掛けて湯を飛ばす。
「うお!? やったな! マジカルビーム!」
ペロの指から水鉄砲のように勢いよく水が出てきた。
セナの顔に勢いよく当たる。
「うっわ、魔法とか卑怯! このモフモフ最悪!」
「ギャハハハ!このマジカルキュートな大精霊にして最強神に敗北はない!」
セナは目を瞑り、顔から湯を滴らせたまま、
右手を振って、もう一度ペロに水滴を飛ばした。
ギャーギャーとペロと騒がしく入浴を終えて、
セナはリラックスしたのか、逆に疲労させられたのか分からないまま隣室に戻った。
ハーブ臭のする石鹸で髪を洗ったせいで、セナはキシキシになった髪と格闘する羽目になった。
「いっそ坊主にしたらどうだ? 楽だぞ」
ペロがセナに手を向けると、温かな風に包まれて髪が靡く。
「あんたの毛を全部むしってからね。…うわ、もう乾いてる!本当に魔法って便利だね」
あっという間に髪は乾いたが、手櫛でとかすも、やはり髪はキシキシだ。
異界にいるうちに、セナは髪が傷んで抜け落ちないか心配になった。
そんなことを思っていると扉を叩く音が響く。
セナはペロと顔を見合わせた。
「誰だろ?」
「さあな。開けてくる」
ペロが、スイーっと宙を滑るように飛んで行く。
扉を開けると、茶色の長いワンピースを着ている女性が複数の小瓶が乗ったトレーを持っていた。
「第四王女殿下より、勇者様へお渡しするようお持ちしました」
ペロのせいで勇者呼びが定着してしまったようだ。
一人一人に「違います!七瀬です!」と触れ回ることを想像したセナは、その案をすぐに却下した。
そんなの面倒すぎる。
女性はキビキビとトレーをセナの眼前のテーブルに置いて言った。
「右から、花水、ハーブ水、香油、白粉、紅でございます」
「お、化粧品か!」
ペロがフムフム頷いて、瓶を嗅ぎ出す。
セナはそれを横目に頭を下げた。
入浴後すぐのタイミングだ。
どうやら部屋に戻るまで待っていてくれたのかもしれない。
「わざわざ、ありがとうございます。お待たせしてごめんなさい。とても助かりました。
王女殿下へ感謝の気持ちをお伝えください」
「承りました。他にご入用な物がございましたら、なんなりとお申し付けください」
指を組んで例の三角ポーズとともに深々と頭を下げられる。
セナも頭を下げて、扉が閉まるまで見送った。
助かるが、落ち着かない。
セナは溜息をついて、椅子に戻ってだらしなく凭れ掛かる。
風呂に入るだけ。
自己メンテするだけなのに、いちいち人の手を借りなければならないのは、ストレスがかかる。
「ほれ、こっちが化粧水もどき。これは顔と髪に塗っとけ!」
花水と香油の小瓶を差し出される。
セナは言われるがまま異界の化粧品を試した。
テクスチャーは、ほぼ水と油である。
ただ匂いは柔らかいフローラルな匂いと、柑橘系のいい匂いがした。
白粉や紅の瓶も開けてみる。
「真っ白に、赤褐色…」
紅にいたっては、セナには扱い方がかなり難しそうだった。
人は偉大である。
スイッチ一つで風呂が沸かせる、一人で髪を乾かせる、
あらゆる人が「似合う」を選べる道具や技術を開発して定着させた。
「……先人に感謝だよ。
これまでの地球人類の偉大さを噛み締めて寝る」
セナは立ち上がり、バッタリとベッドに倒れ込む。
自室のベッドよりもふわふわで、フカフカでいい匂いがした。
ここに限っては、自室よりも上等だった。
それでも自宅のベッドの方がいいかもしれない。
来て数時間にして既に何度目かのホームシックだ。
「なんだ? 化粧品が気に入らなかったのか?
いっとくが、自分のマナを感じて循環できりゃ、シワもシミもオデキもできないぞ?」
セナは勢いよく起き上がる。
「何それ!? 化粧品要らずってこと!?」
「血行促進、ターンオーバーの上位互換だな!
マナで状態を保ってる。爺さんはともかく、他の導師と星霊は若いままの姿だろ」
セナはアデラインと星霊フィアの顔とプロポーションを思い出す。
100歳、もう一人に至っては2000歳を過ぎているとは到底思えなかった。
つまり、セナも自分のマナを感じられるようになれば、
紫外線やら肌年齢やらシミシワを気にする必要がないというわけだ。
最早やるしかない。
先ほどと同じように胸に手を当てて深呼吸をするが、やはり何も感じない。
「うぅー、私の中のマナ、目覚めてよ…!」
「目覚め? 誰もが生まれてからずっと循環してるぞ。
停止してたら死んでる」
おとぼけ担当の白いモフモフに突っ込まれ、セナはペロを睨みつけた。
「うるさいな。こういうのは、格好から入ると相場が決まってるのよ!」
「お、知ってるぞ!右目が疼いてからが勝負か!変身曲がいるか!?」
ペロが謎にノって来た。
ちなみに、セナは人生で右目が疼いたことは一度もない。
返事も待たずにペロが魔法少女のアニメオープニング曲を歌い始めた。
「普通に集中できない!」
セナは文句を言いつつ、ベッドにぱったり倒れる。
どうしてだか、そのままウトウトし始めた。
「……早く、帰る前にマナの感覚を覚えないと……」
コツをアデラインに聞く時間はあるだろうか。
それに、メモを取って今日のことを整理しないと忘れてしまいそうだった。
(2000歳少女がフィア…。
サンタお爺ちゃんがウォルター…。でこっぱちがジェラルドさんで、
アデラインの三人が、ゼラート魔導都市国家のお偉いさん。
今いるのがルミア王国…。……それから『フィブラリス』ってなに……)
思考が途切れて、セナの視界が黒く塗りつぶされていった。




