第七話
宛がわれたのは窓からお庭が良く見える、2階の部屋だった。モスリンの緑のカーテンに、緑のベッドカバー、肘掛け椅子。クッションも壁紙も濃い緑で統一してある。荷ほどきしながら僕は部屋をきょろきょろ見回して、電話がないことに少しガッカリする。
…階下の玄関ホールに電話があったはずだから、後で使わせてもらおう。早くセデュと話したい。セデュの声が聴きたい。話す内容はなんでもいいんだ。彼の低い声が、僕の耳の傍で囁くのが好きだから。ゾクゾク気持ちよくなっちゃうくらい。
…ベッドルームじゃなくて玄関ホールだから、テレホンセックスはまたお預けだけど。
セデュのやつ、ガッカリするかなア。ガッカリしたことを隠して平気そうに振舞うセデュのことを考えると頬がにやける。あいつ、結構すけべだからな。精力絶倫だからな! それで僕のことが、一番大好きなんだもんな…。
「えへへ…ふふ…」
「なーにニヤニヤしてるんすか? なんかいいことあったんすか?」
唐突に声を掛けられて僕は飛び跳ねる。振り向くと扉のところに、呆れたような顔のリアが立っていた。
「あっ、君も着いたんだ! 君のお部屋はどこ? どんな感じだったア?」
「おんなじよーな感じっすよ。部屋の広さも、調度も…アタシの部屋の基本色は青っすけど」
「そっかア。後で遊びに行ってもいい?」
「いいっすよー夕食までまだ間がありますし。庭とかにも出ません? ピレネーがいるんすよ、こんなにおっきいの!」
「へえ、すごいねえ! 君、犬は大丈夫?」
「大好きっす! あんたは?」
「僕も好きー。今は人ん家にいるから飼えないけど。家主が潔癖症っぽくてさア。動物と暮らすのなんか考えたこともないってカンジでさア」
「へー。同棲相手っすか? それともパトロン?」
「……」
やべえ。話し過ぎた。リアは飄々としていて拘りがない感じだから話しやすくて、ついつい余計なことまで喋っちまう。僕とセデュとの関係は秘密なのだ。大手を振って言いふらせはしないのだ。寂しいけど仕方ない。僕とセデュとが、一緒に暮らすためなんだから。
「…る、ルームシェア?」
「なんで疑問形なんすか」
「それより早く外いこ! ワンちゃんなでなでモフモフしたい!」
「そっすね! 行きましょ!」
ホットパンツ姿でオレンジ色のマフラーをぐるぐる首元に巻いてるリアと襟元の緩い大き目のセーターにチェックのレディースのパンツを履いた僕はコートを羽織って外に行く。屋敷の前には次々とモデルさんたちが到着し、艶やかな色彩で満ちていた。
3匹もいたピレネーをよしよしモフモフして遊び倒して、日が暮れたのでそれぞれの部屋に戻ってかっちりしたシャツとパンツスーツに着替えて――これは旅立ちの前にセデュが僕に買ってくれたものだ――夕食の席に就く。
蝋燭で照らされたテーブルには白のレースや光沢のある紫のドレスを着たモデルさんたちが座っている。リアは僕の向かい側で、鮮やかなオレンジのミニスカートドレスだ。
マチウはこの席にはいない。マネージャーは、また別のテーブルに就いているみたいだ。なので、今このテーブルに男性はテイラー氏とオービットさんと、僕だけ。あとは煌びやかな装いのモデルさんたちばかりだ。いい匂いの美人さんに囲まれて嗅覚と視覚が悦んでる。これで皆優しかったら、言うことなしなんだけど…。
モデルさんたちは僕とリアとを徹底的に無視するみたいにして、テイラー氏やオービットさんに話しかけ、談笑する。
完全アウェーの僕とリアとはテーブル越しに目を合わせて、黙々と面前の皿を空にしていた。
「リーヴェ君は、モデルは初めてだそうだが、見込みはあるのかな? オービット」
唐突に名前を呼ばれて、ムール貝を穿っていた僕はびくりと跳ねる。
オービットさんはワイングラスを口元に持っていきながら鷹揚に頷いた。
「私のお気に入りだもの、きちんと仕込んだわよ。男の子で、あれだけのスタイルを維持しているのは驚異的よ。今後も私のショーに出てもらいたいわ。今回だけと言わず…」
ちらりとモデルさんたちの視線が僕に向けられ、冷や汗が出てくる。もうムール貝どころじゃない。ぶどうの豊潤な香りを放つ濃い赤ワインのグラスを引っ掴んで煽る。とろりとした苦味が喉を通っていく。
「ねえ、いいわよねえ? リーヴェちゃん」
「あっ、えと、んん、まあ、はい…」
「やった! 秋冬の新作発表会でも呼ぶわね。ぜひそのスタイルを保持しておいて頂戴。暴飲暴食は禁物よ。あとお酒の飲みすぎも…」
「あ、はは…」
強引なオービットさんに流される僕を、モデルさんたちの冷ややかな目が見ていた。
…そんな目はやめてくれよう! 僕だって場違いだってことはわかってるんだからさあ!
夕食後、ぐったり疲れた僕はお仕着せを着た執事さんに断って、玄関ホールの電話を使わせてもらう。
ポケットに入れていた紙片を取り出し皺を伸ばすようにして、ダイヤルを回す。セデュに聞いていたホテルの番号だ。
薄暗い玄関ホールで、受話器を耳に当て、コール音を聞く。ばかでかい肖像画が僕を見ろしている。勲章だらけの軍服を着たテイラー氏、その足元に纏わりついている愛らしいピレネー犬、…。
駄目だ。空しいコール音が響くばかりで、セデュは応答しない。この時間まで、外にいるのだろうか。それとも家族会議がうまくいかなくて、まだ拘束されているとか?
大体、ご実家に行くのにホテルに宿泊するって点がもうちょっとおかしかったよな。家族に引き止められて、ご実家に起居しているとか? 充分考えられるな。元貴族のお屋敷っていうと、それこそ、テイラー氏の別荘みたいに、部屋は溢れるほどありそうだし。…
セデュの声が聴きたかったけど、仕方ないや。名残を惜しみつつ僕は受話器を置く。ふうとため息を吐くと、身体から力が抜けていく。たぶん明日も、セデュは間に合わないだろう。僕の晴れ舞台を観てもらいたかったけど、…仕方ない。僕のせいでセデュは窮地に立たされてるんだから、僕がいなけりゃセデュはご家族に責められるようなことも、なかったんだから。…
あーあ、と僕は灯りの消えたシャンデリアを仰ぐ。玄関の明り取りの窓から射す星明りに装飾がちかりと光る。
月が見たいなアと思って、僕は苦く笑った。




