第十三話
この屋敷では誰も私に注意を払わない。だからこそ、好都合だった。厨房で粥とおかずを作ってもらい、それを1日3回部屋へ運ぶ。粥には毎回、コニャックと少量の睡眠薬を混ぜておく。セデュイールの抵抗を弱めるためだ。手錠は、舞台演出家だった父が生前に持ち帰っていた小道具だ。子供の頃の私にとってそれは、ぬいぐるみや人形と同様の、遊び道具のひとつだった。
ベッドの桟に繋がれたセデュイールはぐったりと横たわり、悪い夢に魘されるように呻る。
上着は寝かせる前に脱がせて、ソファに掛けてある。ネクタイも外して放り棄てた。清潔な、染み一つない白いシャツは今は汗と、吐瀉物で汚れている。濡れた布巾で拭ったけれど、汚れが落ちないのだ。まるで彼に染み付いた汚名のように。
セデュイールは男を抱いているのか、抱かれているのかは知らないが、いずれにしても、彼はもう穢れてしまったのだ。だから、こんな汚れは些細なことだ。
衰弱したセデュイールは粥を口に含むことを拒む。匙を口元に持って行っても、ぷいと横を向いてしまう。
「食べなくては駄目よ、ますます身体が弱ってしまうわ…」
「……」
口にすればアルコールと睡眠薬のせいで、ますますセデュイールの意識は朦朧となる。彼にはそれがわかっているのだろう。
拘束から逃れようと藻掻き、声が嗄れるほど叫んでも聞き咎めるひとのいないことに絶望し、それでも無駄な抵抗を重ねるセデュイールは愛らしい。苦難に立ち向かう、少年時代の彼のようだ。嗜虐心に胸を高鳴らせ、私は彼の上に跨って、両脚で彼を抑えつけ、無理矢理に匙を口に突っ込む。けほけほと彼が咳込み、またシャツを汚す。私は無力になった彼が愛おしくて仕方がない。私の影響下でしか生きていけない、弱くてかよわい生き物になったセデュイールが、愛おしくて仕方がない。子供が生まれたなら、こんなふうな気持ちになるのかもしれない。けれど私に子供はいない。…もし、セデュイールと、私との間に子供ができたら。ああ、そうしたら私は、その子供を誰より慈しみ、愛おしんで育てることだろう。
――セデュイールとの間に、子供ができたら。
シャツのボタンをひとつずつ外すと、彼の素肌が露になる。私は布巾で彼の身体を拭う。汗を拭き取る。汚れを拭い去る。ズボンのチャックにも手を触れて、看護婦のようにてきぱきと下着をずらし、洗面器を添えて排泄を促す。
屈辱に顔を歪めたセデュイールが私を睨みつけるのを、私はぞくぞくとした快感と共に受け入れる。セデュイールの視界には今は私しか映っていない。彼の愛する人も今は遠く手の届かないところにいる。私は初めて勝者となったのだ。彼の心は手に入らないけれど、少なくとも彼の身体は私のものだ。私の思うがままだ。
もう昔のような穏やかな関係性ではいられなくなってしまったけれど、私は後悔してはいなかった。この魅力的な、美しい男を独占する喜びに比べたら…穏やかな対話など、どれほどの価値があるだろう。
「セデュイール、子供を作りましょう。私と貴方の間の子よ。従姉弟同士なら、婚姻も可能でしょう。私と貴方の間に血縁はないし…レヴォネ家の世継ぎですよ。みんな祝福してくださることでしょう…」
「……やめてくれ、聞きたくない…」
セデュイールはぐったりと項垂れる。拘束初期に抵抗したせいでその手首は赤く擦れて傷になっている。看護婦のように彼に触れることはできても、男性経験のない私は性的に彼を悦ばせる術を知らない。彼に跨って下腹部を刺激しても、脱力した彼がいきり立つことはない。それがひどくもどかしい。
「貴方の恋人は、こんなときどうするのかしら。教えて…私も同じようにやってみせます。貴方を悦ばせたいの、貴方にも楽しんでいただきたいの…」
「無駄だよ、私は…君を愛せない…」
セデュイールは瞳を閉じて私を拒む。けれど私はもう、戻れない場所まで来てしまったのだ。あとは共に、貴方を道連れに、墜ちていくしかないのだ。
「愛してるわ、愛してる…初めて会ったときから、貴方だけを、ずっと…」
「……」
貴方は私に応えない。どれだけ呼びかけても、応えてくれることはない。
一間しかない狭い小部屋で、私たちの愛の巣で、私は孤独で、けれどじゅうぶん満たされていた。
生まれて初めて。
「おかしいわ。おかしい!」
ナタリー様は腕を組んで不満げに鼻を鳴らす。幼き頃よりお仕えしているが、ナタリー様は子供の頃から変わらない。間違ったことをそのままにしておけない、一途なご性格なのだ。執事である私は、彼女のその懸命さを、眩しく思う。
「どうされましたか、ナタリー様」
「パーティーの夜からこっち、お兄様がどこにもいないのよ! いつ帰ったかもわからないし、ホテルに電話しても出ないし! まさかもうパリにお帰りになったのかしら? でもお父様やお母様に別れのご挨拶くらいされるはずだし…」
「それは、おかしいですな」
「でしょう! そう思うわよね、ノルベール!」
ナタリー様は地団駄踏んで、応接間のソファからすっくと立ちあがる。その黄金色の瞳がきらりとよからぬ企みにきらめいて、私を見上げる。
「行きましょう。ついてきて! お兄様のホテルに行くわよ!」
「お部屋番号はご存じで?」
「お兄様に聞いたわ! レヴォネ家執事の特権を使って、お兄様の部屋を襲撃するわよ!」
まるで凱旋であるかのように胸を張って客間を飛び出していくナタリー様を私は追う。この数日、親戚同士の話し合いに参加されないナタリー様の面倒をよく見ておくようにとのオスカー様からの伝言もある。セデュイール様の行方知れずについても、そのままにしておけない思いがあった。彼はこの家の次期当主だ。たとえ彼本人が望んでいなかったとしても、私ども使用人はそれを心より望んでいる。誰にも分け隔てなく心優しく、高潔な人格者であるセデュイール様が、レヴォネの家を継ぐことを。
ベルクール広場から徒歩数分の場所にあるホテルで、レヴォネの名を出し部屋を開けてもらったが、そこはもぬけの殻であった。
ホテルの人間も、セデュイール様をここ数日見かけてはいないと言う。セデュイール様はリヨンでも知らぬ者のいない有名人で、あれだけの美貌だ。まだホテルに滞在しているなら、すぐに見咎められることだろう。しかしホテルを引き払った形跡もなく、本当に、忽然と姿を消してしまったようなのだ。
「おかしいですな、ますます…」
「行方不明よ。失踪よ! でも人が煙のように消えてしまうなんて、そんなことありうる?」
「何か裏があるのでしょうな、おそらく…」
「……」
セデュイール様のホテルの部屋でデスクに腰かけ顎に手を当てて考え込んでいたナタリー様は、ふと閃いたように顔を上げた。
「お姉様、ミレーユお姉様にも相談しましょう! きっと力になってくれるはずよ、お姉様もお兄様のことは大好きだもの!」
こうしてはいられないとばかりに立ちあがり、疾風のように駆けていく。唖然とするホテルマンに謝意を示してから、私はまたお嬢様の後を追った。




