鉱山都市のシスター(3)
〈神話〉を教えて欲しい、というと、ザイオンさんは嬉しそうに笑った。
「そうね、今、司祭様を呼びにいってもらったから、到着されるまで少し話しましょうか。ちょうど最近、この教会にやってきた子が、とってもお話が上手なのよ~。だから、彼にお願いするわ」
そこでザイオンさんは、少し遠くにいた男性に声をかけた。
黒の神父服を着た人が、ザイオンさんの声で振り向く。
が、完全に振り返る前にあたしの姿を目にしてぎょっとし、半身のまま硬直する。
「あ、宝石泥棒の神父さんだ」
「泥棒じゃねえよ! 結局お前たちのせいで何一つ盗めなかっ……」
と、彼はそこではっと口を押さえた。
ザイオンさんが首を傾げる。
「あら、カイくんは、リーネットちゃんの知り合いなのかしら?」
知り合いかと聞かれると微妙。まあ、顔見知り程度と言ったところだろうか。
というか、この神父さんの名前、カイっていうんだ。フリーの光術師で、逃げ足が速くて、光術に対する耐性が高いとリーダーに称された、同じ年くらいの男の子。
どうやら光術に使う宝石が足りず、就職できずに教会へ転がり込んだらしい。
カイくんは、ザイオンさんとあたしの顔を交互に見た挙句、脱兎のごとく逃げ出した。
「あっ、待ちなさい!」
ザイオンさんが止める暇もない。さすがの逃げ足だ。
もう、仕方ないわねっ、と言いながら、彼は――彼女は一番前の席に座るよう勧めた。諭されるまま、あたしはレンミッキさんと並んで座る。
「やっぱりアタシが話すわ。子供たちにするのと同じお話でいいかしら?」
「はい、お願いします」
こほん、と軽く咳払いしたザイオンさんは、とても分かりやすい言葉で語り始めた。
世界が始まる前、この世には異海しかありませんでした。どこまでも湛えられた広い広い、深い深い異海です。
しかし、ある時、異海の中に『何か』が生まれました。
何か、って何ですか?
それは何かよ、リーネットちゃん。神話には書かれていないの。世界そのものの意志、と解釈する学者さんが多いわね。
その『何か』が蠢くと、次第に異海からふつふつと光素が沸き上がってきたのです。その光素は19種類。今も知られている光素と同じね。
その19種類の光素は、泡がくっつくようにだんだんと一つに合わさって大きくなっていきました。
そうして、最初に生まれたのが、六晶系の神々です。
荒々しい炎の神『トゥリヴォレン』
物静かな水の神『ヒュオキュアルト』
自由を愛する風の神『トゥーレンブースカ』
空間を割る雷の神『サラモインティ』
癒しと豊穣の女神『ラウレケヘル』
すべてを断ち切る邪神『エリステュス』
彼らは異海に生まれてすぐ、彼らの住む土地を作りました。
それがこの大地、〈カンタキエリ大陸〉です。
「この大地は、六晶系の神々が作られたのよ。だから、アタシたちは皆、大地に祈りを捧げるの。大地から生み出される宝石を使って」
なるほど。やっぱり神様と光術は連動してるんだ。
以前、リーダーが光術の話をしてくれた時、『宗教的な意味を一切排除して』教えてくれたけれど、やっぱり共通点はたくさんある。
炎の光術師は、炎の神〈トゥリヴォレン〉の加護を受けており、炎の光素に愛されているのだ。
実際は、魂と呼ばれる〈エーテル空間〉の光素体に、個人それぞれ集めやすい光素があるのだろう。もしかすると、魂それ自体も結晶構造を持つのかもしれない。
物理的な結晶系と神様の話を脳内で結びつけると、いろいろな事が理解できた。
「じゃあ、話を続けるわね」
大地が出来たあと、神様たちはそれぞれ一頭ずつ神獣たちをお作りになったわ。その神獣たちは、それぞれ、神の作り給うた大地に恩恵を与えました。
最初に降り立ったのは、水の神獣でした。なにもなかった大地に雨を降らせ川を作り、循環を整えました。
次に、風の神獣と雷の神獣は空を作りました。続けて太陽や雲を作り、この世界に天候をもたらしました。
そして次に降り立ったのは、紡の神獣です。彼女は、大地に実りを与えました。植物が繁茂し、あっという間に大地は緑に覆われました。
そして最後に、炎の神の神獣が降り立つと……なんと言うことでしょう。大地に繁茂していた植物があっと言う間に燃えてしまったのです。
他の神獣たちは怒りました。なんと言うことをしてくれたんだ、と。
でも、紡の神獣だけは違いました。炎の神獣にお礼を言ったのです。
焼いてくれてありがとう。これで、最初の植物が栄養となり、土壌となり、とても豊かな大地になります。
さて、その間、断の神獣はなにもしなかったのでしょうか?
いいえ、違います。彼は、大地に大きな裂け目を作っていました。底の見えない深淵のクレバス。
炎の神獣はそれを見て、恐怖しました。まるで、この世に生まれたものがすべてつき落とされてしまうようだ。
そして大きな大きな炎を吐いて、そのクレバスを埋めたのです。
クレバスは、赤い炎をチロチロとあげる大地の裂け目となりました。
「さあ、こうしてようやく、世界は形を整えました。神獣たちは大きかった体を分裂させ、何千、何万もの宝石となり、神様たちの作った大地に眠りついたのでした」
「宝石は神獣たちの体の欠片なんだね」
「そうよ~。だからアタシたちは宝石を捧げて、神に祈るの」
「それが……光術?」
あたしの問いに、ザイオンさんはにっこり笑った。
「神獣はあのタペストリーに描かれている生き物なの?」
「ええ、そうよ。炎の神獣は鷲、水の神獣は亀、雷の神獣はカウニス、風の神獣は猫、紡の神獣はヴァルミス、断の神獣はハイリタに例えられることが多いわね」
……知らない生物が混じってる気がします。
でも、教会に神様の像じゃなく、神獣のタペストリーがかかっている理由が分かった。
大地を作ったのは神だけど、世界を作ったのは神獣だ。
なるほど。
「ここまでが天地創造の神話よ~。この先は、長くなっちゃうから今日はここまでにしましょうか」
ザイオンさんはそう言ってウィンクした。
「何か質問はあるかしら?」
「はい」
あたしは手を挙げた。
「それぞれみんな、どの神様かの加護を受けているの? そうだとしたら、あたしも得意な光術の系統があるのかな?」
「うふふ、リーネットちゃんは〈紡〉の『ラウレケヘル』にとっても愛されているわ。こうしているだけでも、光素が集まってくるのが分かるわ」
楽しそうに笑ったザイオンさん。
ちょっとだけ、見慣れてきた。何より、笑った顔はとっても優しそうだ。お化粧を落としたらきっと、クマさんのようにつぶらな優しい目の人が現れるに違いない。
何より、ザイオンさんのお話は分かりやすい。リーダーやクーちゃんのように、あたしに対してかみ砕いた説明をしてくれる。
あたしは、出会い頭にマックス値まであがっていた警戒を、半分くらいまで下げた。
「じゃあ、次の質問。ザイオンさん。『歌姫』って何なの?」
「難しい質問ね。『歌姫様』自身であるリーネットちゃんが、一番分かっているのではなくて?」
全然わかんないよ。
あたしがふるふると頭を振ると、ザイオンさんは困りながらも話してくれた。
「神様の使い、とも呼ばれる、太古の人種の事よ。女性なら『歌姫』男性なら『吟遊詩人』。歌うことで光術を行使するという、少し変わった性質を持つの。神話に登場することから先祖返り、って呼ばれることもあるわね」
さすが、シスターであるザイオンさんの解説は詳しい。
「だから、珍しいけれど全くいない、っていうわけじゃないの。ただ――」
「ただ?」
「時代の節目になるとね、大きな力を持つ歌姫が現れるのよ。まるで、新しい時代を象徴するかのように。そして、疲弊した人々の心と、傷ついた大地を癒す役目を負うの。もしかしたら、世界を守るために神様が歌姫様を連れてきてくれるのかしらね」
そこでザイオンさんは長いまつげ(もちろん作りものだ)を伏せた。
歌姫。
歌を媒介に光術を発動する女性のことをそう呼ぶらしい。あたしと同じく、大きな器を持ち、皆のために歌う聖女。そんなイメージが沈着しているようだ。
そしてあたしは、もしかしたらその歌姫が異海からやってくるのではないかという事を知っている。たとえばあたしや、あたしの母親のように。
「だからみんな、歌姫様が大好きなのよ」
「えっ?」
「大変な時代に現れて、みんなの為に歌ってくれる『歌姫』。ユマラノッラ教を信仰する人なら、例外なく、歌姫様に会いたいと思うのよ」
あたしに何かが出来る訳じゃない。
クーちゃんやリーダーのように誰かの為に動ける訳じゃないし、戦えないし。ララさんのように力強く皆を説得できるわけじゃないし、グーリュネンの人たちのように自分の町を愛し、頑張れる訳じゃない。
いったいあたしに、何が出来ているというんだろう。
あたしは、お母さんと間違われてこの世界に落っこちただけなのに、あたしがこの世界へ来た意味なんてあるんだろうか。
自分の無力さが、胸をえぐっていく。
力を持ったのならば何かしたいという心と、お前にそんな力はないと言う理性があたしの中で喧嘩する。力の使い方も分からないのに? よく知らない力を外に表す方法なんて誰も教えてくれないのに?
何より、元の世界に帰るのに?
その最後の言葉が、あたしのすべてを否定する。
この世界に心を残すべきじゃない。何もすべきじゃないと囁きかけてくるのだ。
胸の中でぐるぐると悪い感情が、整わない光素の渦がぐるぐると。吐きそうになる。
見られたくないな。こんなにぐるぐるしているなんて、知られたくないな。リーダーにもクーちゃんにも。
「……前の、歌姫様は?」
あたしはぽつりと呟いた。
「前の歌姫様は、どんな人だったの?」




