鉱山都市のシスター(4)
「〈黄昏の歌姫〉イルタ様の事? そうねえ、アタシも生まれたばかりの頃の事だから、あまり知らないのよ。でも、とても美しい女性だったという事は聞いているわ。歌が上手で、心優しくて、いつも自分よりも誰かの幸せを優先して願うような人だったそうよ。体が弱くて、とても儚い雰囲気の女性だったらしいわ」
あまり知らない、といいながら、ザイオンさんはまるで会った事があるかのように話してくれた。
「いつも悩んでいたそうよ。自分が歌姫である意味があるのか、って。誰かのために何もできないのに崇拝されて、困っていたんでしょうね……今の、リーネットちゃんみたいに」
はっとした。
もしかして、あたしの中でぐるぐる渦巻いている光素が見えてしまっているのだろうか。
「前の歌姫様が現れたのは、ちょうど20年前の隣国との戦争の頃だったわ。大きな力を持った歌姫様が現れるのは、いつも大きく情勢が動くときでしょう? もしかして戦争が終わるかも、なんて空気が国内に漂い出して……だからその期待に添うように、国境付近でずっと疲弊した皆を癒す活動をしていたらしいわ。何より、その戦争をやめさせようと誰よりも尽力なさった方よ」
美しく儚い、黄昏の歌姫。
戦争を止めようと努力して――
「ただ、先代の歌姫様は愛されているけれど、恨まれてもいるの」
ザイオンさんの言葉にはっとした。
「20年前、未だ隣国と戦争状態にあったユハンヌス=ルース王国は、疲弊していく兵と泥沼化して先行きの見えない情勢を打開しようとしたの。そうして、歌姫様の提案で、〈正大走駒〉で決着をつけることになったの。彼女もその試合に参加したとの事よ」
そこでザイオンさんは、走駒って分かる? と聞いた。
あたしはこくりと頷いた。
何しろ、参加したことだってあるのだ――〈宝〉という立場だったけれど。
「知っていると思うけれど、その大勝負で負けてしまったでしょう? 提案した王様や歌姫様に非難の目が向けられたのは、ある意味、仕方のないことなのよね」
あたしは、母親の面影を脳裏に描いた。
病弱で、儚げで、いつも困ったように笑っていた母親。父親の暴力を、自分に課された当たり前の罰であるかのように受け入れていた。
胸がちくりと痛む。
少しだけ、母の過去に近づいた気がして。
「だからこそ、リーネットちゃんの存在は大きいわ。鬱屈とした冬の時代を越えて、キルヴェス・タルヴェラ将軍の革命で共和国政になり、ようやく落ち着いたところに、癒しの歌と豊穣の歌を知る歌姫様が現れたんだもの。きっと神様は、内紛で疲弊した人たちを癒すために歌姫を使わされたのね」
「でも、あたし……何もできないよ?」
光術が使える訳じゃない。
人のために何かできる訳じゃない。
力の使い方だって分からない。
「そんなことないわ。だってリーネットちゃんが笑うと、周りの人はとっても幸せになるの。それって、とっても大切よ?」
「でも」
「アタシだってとっても嬉しいわ」
ザイオンさんは、そう言ってにっこりと笑った。
子供にするように、あたしの頭をなでながら。
「リーネットちゃんはこれから、否応なしに人の前に引っ張り出されると思うわ。歌姫だと分かった時点で、それは避けられない」
そういう世界なのよ、と。
「きっと悩んだり、困ったりするでしょうけど、そうなる時は相談しなさい。誰だって助けてくれるわ。アナタにもいるでしょう? 守ってくれそうな人たちが」
にっこり笑ったザイオンさんに、胸のどこかがぽうっと暖かくなった。
ザイオンさんは、再びあたしの頭をぐりぐりと撫でる。やっぱりその手は男の人のもので、とても力強い。
「……ザイオンさんも?」
「ええ、アタシは神に仕える身ですもの。そうね~、もしリーネットちゃんがその力に困ったら相談して頂戴。アタシならきっと、力になってあげられるわ。きっと、リーネットちゃんの連れよりずっとね」
その言葉で、あたしははっとした。
「もしかして、リーダー……じゃなくて、ルース・コトカって人を知ってるの?」
「ええ、よく知っているわよ」
蛍石と同じ色をした瞳に少し哀愁を乗せて、ザイオンさんは笑った。
あ、今ちょっとだけ女の人っぽかった……気がする。笑い方が。
リーダーの知り合い。それだけで、あたしはザイオンさんへの警戒をゼロまで落とした――うん、大丈夫。この人きっと、いい人だ。
ほわん、と自分の中の光素が活性化したのが分かった。
「ああもう、可愛いわねえ! 嬉しそうにしちゃって、もう、もうっ! こんな素直に喜ばれたら、簡単に好きになっちゃうわよ!」
……また感情が外に漏れだしてたみたい。
あたしはリーダーの過去を知らないし、クーちゃんの5年間も知らない。その間に知り合った人たちがどんな人なのかも知らない。それでも、リーダーの知り合いってだけで警戒を解いてしまう程度には、あたしはリーダーを信頼しているみたい。
あ、そうだ。ザイオンさんが知り合いなら、もしかして彼の好きなものも知っているだろうか?
そう聞こうとした時、優しげな声がかけられた。
「お呼びでしたか、ザイオン殿」
その声の方向を見ると、優しい声にとてもよく似合う柔和な男性が佇んでいた。おじいちゃんと呼ぶには少し早いくらい。でも、濃いブラウンの髪には白いものが混じり始めていた。
ザイオンさんはさっと立ち上がって頭を下げた。
「ごめんなさいね、司祭様。急にお呼びしてしまって」
「いいのですよ。ところで、入り口でカイ殿とすれ違ったのですか、彼は? 何やら慌てていたようですが」
「すみません。カイくんは、あとでアタシが連れ戻してきます」
くねくねしながらホホホ、と笑ったザイオンさん。
「リーネットちゃん、こちらが鉱山都市ロヴァニエミの教会の司祭である、ロウハン・グルド様。司祭様、こちらは歌姫様よ」
紹介されて、はっと立ち上がった。
「リーネット・ベイです。司祭様、初めまして」
ぺこりと頭を下げると、司祭様はにっこりと微笑んだ。深いしわが目元に刻まれ、とても優しい表情になる。
見ているだけで幸せになれそう。
あたしもつられて微笑んだ。周囲に紡の光素がほわほわと集まってきているのが分かる。
あ、これって、感情に光素が反応してる……?
司祭様もそれに気づいたのか、ほう、と声を漏らした。
「初めまして、歌姫様。今日の良き日に出会えたことを、運命をつなぐ紡の神『ラウレケレル』に感謝いたします」
両手を組んで祈りを捧げた司祭様。その手には、ぼうっと白色の光素が灯っていた。
司祭様もきっと、あたしと同じ〈紡〉の神様に愛されている。
「お噂は耳にしています。グーリュネンの祭日に、豊穣の祝福をお与えになったとか。私もその光景を拝見したかった」
やっぱり、あれか。
グーリュネンのお祭り広場で歌って、目立ったのがよくなかった。リーダーが歌っとけって言うから……!
「もしよろしければ、このロヴァニエミにも祝福をいただけませんでしょうか。益々の繁栄と平和を願って」
司祭様に問われたけれど、すぐには答えられなかった。
いろんな感情が邪魔をして。
「そのお話は後でもいいんじゃないかしら? それよりも、折角ですからリーネットちゃんのお話が聞きたいわぁ」
「そうですね。ザイオン殿、奥の部屋に準備をお願いできますか?」
はいもちろん、と言って、ザイオンさんが教会の奥の部屋へ引っ込んでいく。
あたしはレンミッキさんを見上げた。
どうしたらいいの、と。
「司祭様は、歌姫様を歓迎したいのよ。だから、ご厚意には甘えておきなさい。大丈夫よ、みんな、歌姫様の事が知りたいだけなの」
司祭様は甘党だから、きっと秘蔵のおいしいお菓子が食べられるわよ、と言われ、あたしはあっさり陥落した。
おいしいお菓子と、優しい司祭様と、ザイオンさんと、レンミッキさん。
てっきり、歌姫の事や力について聞かれるのかと思ったけれど、他愛ない話をするばかりだった。
あたしは、これまでの旅の事を話した。
最初の町で光化種に出会って怖い思いをしたこと。でもリーダーとクーちゃんがあっさり倒してしまったこと。グーリュネンでダン商会の大きなお店で買い物をしたこと。新しい鉱山をかけて行われた大走駒の試合のこと。
こうやって振り返ってみると、ずいぶん長い間、リーダーとクーちゃんと一緒にいる気がした。
でも、ほとんど時間は経ってないんだよね。
まだ季節は夏のまま、秋まではもう少しありそうだ――この世界に、というよりこの地域に四季という概念があればの話だけれど。
司祭様は、最初の印象通りとても優しいおじちゃんだったし、ザイオンさんは明るく盛り上げてくれたし、レンミッキさんは静かにあたしの話を聞いてくれた。
とても楽しいお茶会だった。
ガランガラン、と大きな鐘の音が鳴って、ようやく気付いた。
ずいぶん、長居している。
「しまった、もう教会を閉める時間か。いやいや、時間を忘れてしまったよ」
「仕方ないわよ、司祭様。とっても楽しかったもの。これで歌姫様の報告書を出せるかしら?」
「はい、十分です」
……報告書?
あたしが首を傾げると、司祭様はにっこりと笑った。
「今後、どこの町に行っても、歌姫様の事を分かっていただけるように、各協会に流布する報告書を作成するのです。グーリュネンでは、教会を訪問されなかったようですね。あの町の司祭は悔しがっていましたよ」
お茶会の、こんな話で作成される報告書って、どんななの?!
「歌姫様の報告書を作成する日が来るとは……本当に、大変、光栄です」
あたしの不安を他所に、司祭様はとっても嬉しそうだった。
……うーん、優しいけど、ちょっと変な人かも?




