第二十四話 敵方の患者
第二十四話 敵方の患者
宗助が運び込まれてから、数日が過ぎていた。
左の太腿に負った傷からの出血は、ひとまず抑えられている。だが、深い傷であることに変わりはなかった。宗助は起き上がろうとするたびに顔を歪め、食事もわずかしか口にできない。熱が上がったり下がったりするため、景継は傷の様子だけでなく、呼吸や脈、意識の変化も確かめ続けていた。
その朝、景継が診療の場へ入ると、小夜が宗助のそばから顔を上げた。
「夜半から、熱が上がっています。明け方には少し下がりましたが、今はまた額が熱くなっています」
「息はどうだ」
「昨日より浅いように見えます。呼びかければ目を開けますが、すぐに閉じてしまいます」
小夜は、時刻とともに書きつけた記録を差し出した。景継は目を通し、宗助のもとへ膝をついた。
「宗助。聞こえるか」
男の瞼が動いた。目は開いたものの、景継を見つめる焦点が定まらない。
「名前は分かるな。ここがどこか、覚えているか」
「……診療の、場……」
返事はかすれていた。言葉を続けようとした宗助は、眉を寄せて息を吐いた。
景継は額に手を当て、次に手首へ指を添えた。脈は速い。指先も冷たく、頬には血の気が乏しかった。
「傷を見せてくれ」
宗助はかすかにうなずいた。
傷を覆っていた布を外すと、周囲の皮膚が赤く腫れていた。布には血と、濁った染みがついている。景継は傷の周りを注意深く確かめたが、深い部分まで見通すことはできなかった。熱の原因が傷にあるのか、それ以外にも何か起きているのか、今の状態だけで決めつけることはできない。
ただ、昨日までと同じではなかった。
「小夜、昨日からの変化をもう一度教えてくれ。熱が上がった時刻と、返事の様子も」
「夜半に一度、ひどく汗をかきました。そのあと、寒いと言って身体を震わせています。今朝は水を飲んだあと、すぐに眠ってしまいました」
「分かった。引き続き、時刻と様子を記録してくれ。返事がさらに遅くなるようなら、すぐに知らせてほしい」
景継は千代に清潔な布を頼み、傷の周囲を汚さないように手当てを進めた。布を取り替えれば、それだけ消費が増える。だが、汚れた布をそのまま当て続けるわけにもいかなかった。傷を必要以上にいじらず、汚れを取り除き、新しい布で覆う。できることは限られていても、手を止める理由にはならない。
「この傷は、治るのですか」
宗助が目を閉じたまま尋ねた。
「まだ分からない」
景継は手元から目を離さずに答えた。
「熱が続いている。傷の周りも腫れている。今は悪くなっている可能性がある。だから、様子を見続ける必要がある」
「……私は、死ぬのでしょうか」
景継はすぐには答えなかった。
「死なせないために手当てをしている。だが、必ず助かるとは言えない」
宗助の唇がかすかに動いた。何か言おうとしたのかもしれないが、声にはならなかった。
景継は新しい布を当て、傷を覆った。宗助の顔色は戻らない。呼吸も浅いままだった。出血が止まったからといって、危険が去ったわけではない。むしろ、今は熱と全身の変化を見逃さないことが重要だった。
戸口で、足音が止まった。
「ずいぶん手をかけているようだな」
顔を上げると、腰に刀を帯びた男が立っていた。宗助を運び込んだ日、診療を止めるよう求めた男である。その後も何度か様子を見に来ていたが、宗助の身元について、確かな話は得られていないらしかった。
「容体が悪くなっています」
景継はそう答えた。
「それは見れば分かる。聞きたいのは、なぜそこまでして助けるのかということだ」
「傷があり、熱が出ているからです」
「それだけで済む話ではありません。この者が敵方とつながっている疑いは、まだ消えていない」
男の声に、近くで作業をしていた者たちが手を止めた。
景継は宗助の顔を確かめてから立ち上がった。
「疑いが消えていないことは承知しています」
「ならば、手当てを続ける理由を聞かせてもらいたい」
「身元を調べることと、傷を手当てすることは別です。身元については、確かめられることを確かめればいい。ですが、今ここで手当てをやめれば、この者の命が危うくなる可能性があります」
「敵方の者でもか」
「敵方の者だと、まだ確かめられてはいません」
男の目が細くなった。
「もし敵方の者だったなら、あなたは北条の敵を救ったことになる」
「私は、傷を負った人間を診ています。身元を確かめる役目まで引き受けたつもりはありません」
「ずいぶん都合のよい言い分だ」
景継は反論しなかった。言葉を重ねても、男の疑いがすぐに晴れるとは思えなかった。それよりも、宗助の呼吸が気にかかる。景継が目を戻すと、宗助は眉を寄せ、苦しそうに胸を上下させていた。
「宗助、聞こえるか」
呼びかけても、返事はなかった。
小夜がすぐにそばへ寄り、手首に指を当てた。
「脈が速くなっています」
景継は宗助の肩へ手を添え、呼吸を確かめた。男の身体が小さく震えている。熱はまだ高く、意識もはっきりしない。景継は布の状態を確認し、出血が増えていないことを確かめてから、宗助の顔へ目を戻した。
「宗助。目を開けてくれ」
少し間を置いて、宗助の瞼が上がった。だが、視線はすぐに逸れ、また閉じてしまう。
「小夜、そばについていてくれ。返事がなくなる、呼吸が変わる、出血が増える。そのどれかがあれば、すぐに知らせてくれ」
「はい」
「千代、新しい布をここへ。使った分と残りも分かるようにしておいてほしい」
「分かりました」
千代は布を手元へ運び、残量を確かめた。綾は戸口へ移り、出入りしようとしていた者たちに道を空けるよう告げた。宗助の容体が悪化したことで、診療の場にいた者たちの視線は、自然と彼の寝床へ集まっていた。
景継は再び宗助の傷を確かめた。腫れは強く、熱も下がらない。今ある道具と薬種では、原因を正確に突き止めることも、確実に治すこともできなかった。それでも、清潔を保ち、傷の状態を見て、全身の変化を追うことはできる。
宗助が息を詰まらせるたび、景継は呼吸を確かめた。返事が遅れれば名を呼び、脈を見た。すぐに良くなる兆しはなかったが、悪化を見逃さないために手を尽くすしかなかった。
昼近くになって、診療の場の外で囁き声が聞こえ始めた。
「敵方の者を、あそこまで手厚く診ているそうだ」
「ただの負傷者ではないらしい」
「北条の内情を探る者ではないのか」
誰が最初に口にしたのかは分からなかった。声は戸口の外から廊下へ移り、やがて物資を届けに来た者たちの間にも広がっていった。
千代が戻ってきたとき、その顔にはいつもより固いものがあった。
「布を届けてくれるはずだった者が、今日は来ませんでした」
「何か言っていたか」
「宗助のことを聞かれました。敵方の者を匿っているのではないか、と。私は、傷の手当てをしていると答えましたが……納得はしていない様子でした」
千代は手元の布を置いた。確保できる物資が減れば、宗助だけでなく、ほかの患者にも影響する。噂が広がれば、これまで協力してきた者たちまで距離を置くかもしれない。
「ほかにも、同じようなことを言われた者がいるかもしれません。こちらから事情を説明するにしても、何をどこまで話せるか考えなければなりません」
「そうだな」
景継はうなずいた。
宗助の身元について、分かっていることは少ない。誰が傷を負わせたのか、なぜ城下へ入る道の脇で倒れていたのか、持ち物に何があったのか。いずれも、まだ確かな答えはない。分からないことを隠して庇うつもりはなかったが、確かめていない事柄を事実として語ることもできなかった。
綾が戸口から戻ってきた。
「外で、あなたが敵方に通じているという話まで出始めている」
「私がか」
「宗助を診ている。それだけで、そう言う者がいる。こちらが何も言わなければ、好きなように話を作られるかもしれない」
景継は宗助を見た。男は目を閉じ、浅い息を繰り返している。意識は戻ったり途切れたりしていた。傷も熱も、まだ安心できる状態ではない。
「隠すつもりはない。私が何をしたのか、なぜ手当てが必要だったのかは説明する」
「それで疑いが消えるとは限らない」
「分かっている」
景継は、綾の言葉を否定しなかった。
「それでも、していないことまで認めるわけにはいかない。宗助の身元は、確かめられる範囲で調べてもらえばいい。私が行った処置についても、聞かれれば答える」
綾はしばらく景継を見ていたが、やがて小さくうなずいた。
「なら、外の者が勝手に入ってこないようにする。宗助を見に来る者が増えれば、休ませることもできない」
「頼む」
景継は再び宗助のそばへ戻った。
夕刻になっても、熱は下がらなかった。宗助は何度か目を開けたが、長く話すことはできない。景継はそのたびに呼びかけ、脈と呼吸を確かめた。すぐに回復する見込みは立たず、夜も状態を見続ける必要があった。
診療の場を出る前、景継は小夜の記録に目を通した。熱の変化、呼吸、脈、意識の様子。短い記述の積み重ねが、宗助の状態を知る手掛かりになっている。
「夜も、この記録を続けてくれ。変化があれば、時刻も書いてほしい」
「分かりました。何かあれば、すぐ呼びます」
景継はうなずき、戸口へ目を向けた。廊下の向こうでは、まだ人の声がしている。宗助を診たという事実は、すでに景継の手を離れ、別の意味を与えられ始めていた。
目の前の患者を救うために手を尽くすことと、北条家の一門として疑いを受けずにいること。その二つが、同じ道の上にはないのかもしれない。
景継は宗助のもとへ戻り、もう一度、手首に指を当てた。
脈はまだ速い。
助かると断言することはできない。それでも、ここで手を止めるつもりはなかった。




