第十三話 薬種の棚
第十三話 薬種の棚
棚の奥から、乾いた草の匂いがした。
景継は差し出された小さな包みを受け取り、口を開いた。中には細かく砕かれた草の葉と、茶色い根の切れ端が混じっている。鼻を近づけても、知っている薬の名をすぐに当てられるようなものではなかった。
「これは何に使う」
向かいに座る男が、包みを覗き込んだ。
「腹の痛みに、と聞いております。前からここにあるものでして、詳しい者なら分かるかと」
「いつ仕入れたものか、分かるか」
「そこまでは……。先代から引き継いだ棚にございました」
景継は包みを閉じた。
薬種の名も、使い道も、伝え聞いた話だけでは足りない。何が入っているのか分からないものを、名前が似ているという理由だけで使うわけにはいかなかった。
「ほかのものも見せてくれ」
男は少し迷ったあと、棚の戸を開けた。
中には紙に包まれた薬種や、紐で束ねられた乾燥した草、口を布で覆った小壺が並んでいた。棚の上段には使いかけの包みが重なり、下の隅には、いつから置かれているのか分からない袋が押し込まれている。紙には薬の名らしき文字が書かれているものもあれば、何も記されていないものもあった。
同じ名が書かれた包みでも、量や色はそろっていない。紙の端が湿っているものもあり、袋の口が開いたままのものもある。
「ここにある薬は、すべて使っているのか」
「必要に応じて使います。ただ、古いものは効きが落ちていることもございましょう。見分けるのは、長く扱ってきた者の務めでして」
「見分けられるものと、そうでないものがあるということだな」
男は答えず、棚の中を見た。
景継は、手元にあるものをすべて捨てるつもりはなかった。使える薬まで失えば、次に必要とする患者を困らせる。だが、分からないものを分かったふりで使えば、かえって害を与えるかもしれない。
薬の名を覚えるだけでは足りない。何が入っているのか、どれほど残っているのか、どのように保管されていたのか。少なくとも、それを確かめられる状態にしなければならなかった。
「薬種の名が分かるものは、その名を書いてくれ。分からないものは、無理に名をつけなくていい。包みの形や色、入っているものの様子を記して、ほかのものと分ける」
「名が分からぬものまで、残すのでございますか」
「中身を確かめられないからといって、すぐに捨てるとは決められない。ただし、確かめられないものを、確かな薬として使うこともできない」
男は、手にしていた包みを見下ろした。
「では、使えるものが減るのではありませんか」
「減るかもしれない。だが、何を使ったのか分からなくなれば、次に同じものを使うときも、判断のしようがない」
景継は棚の前に膝をつき、包みを一つずつ取り出した。薬種の名が記されたものは、その文字を確かめる。名が同じでも、見た目や保管状態が異なるものは一緒にせず、別々に置いた。
それだけでも、棚の中はすぐに散らかった。
「紙と筆を借りたい」
男が用意した紙に、景継はまず日付を書いた。その下に薬種の名、包みの数、分かる範囲での残量を記していく。名前の分からないものには、見分けるための特徴を書き添えた。書ききれないものは、別の紙に回す。
薬の効き目まで、ここで決めることはできない。伝え聞いた用途と、実際に使った際の経過も、同じものとして扱うべきではなかった。
「この記録は、誰が見るのでございますか」
男が尋ねた。
「薬を扱う者と、使う者だ。少なくとも、次に棚を開けたとき、何がどこにあるのか分からなければ困る」
「私がいないときにも、でございますか」
「そうだ」
男は筆先を見つめた。長く薬種を扱ってきた者にとって、自分の目と経験で判断してきたことを紙に移すのは、簡単ではないのだろう。
景継は、相手の仕事を奪うために記録を作ろうとしているのではなかった。経験を持つ者がいなくなれば、分かっていたことまで失われる。だからこそ、知っていることと、まだ確かめられていないことを分けて残す必要があった。
「布も見せてくれ」
薬種の棚から離れ、景継は隣の置き場へ移った。
そこには、畳まれた布や包帯に使う細長い布が積まれていた。清潔なものと、使い終えたものが別々に置かれているはずだったが、端の方では、どちらとも分からない布が一緒になっている。洗ったものを置く場所も、乾かす場所も、はっきりと決まっていないようだった。
景継は布を一枚広げ、汚れと傷みを確かめた。使い古されて薄くなったものもあれば、洗い残しのような染みがあるものもある。すべてを同じ扱いにすることはできなかった。
「これは、洗ったものですか」
「洗ったはずでございます。ですが、いつのものかまでは……」
「分からないものは、分かるようにしてから置く。清潔なものと、使ったものを同じ場所に戻さないでくれ」
男はうなずいたものの、棚と布置き場を見比べ、困った顔をした。
「分ける場所が足りませぬ。人手も、今の仕事で手いっぱいでございます」
景継は、すぐに返事をしなかった。
正しい手順を示すだけなら難しくない。だが、実際に続けるには、置き場所も人手も必要になる。今ある棚を整理しても、明日には新しい薬種が届き、患者が増えれば布の消費も増える。決まりを作っただけで、管理が続くわけではなかった。
「まずは、この棚の中だけでいい。名の分かるものと分からないものを分ける。布は、洗ったものを置く場所と、使い終えたものを置く場所を離す。置き場が足りなければ、どこに置けるか一緒に考えよう」
「すべてを今日中に、ということではございませんか」
「今日できるところまでだ。だが、分からないものを分かったことにするのはやめてくれ」
男は今度は、はっきりとうなずいた。
しばらくして、棚の下段が空き、名の分からない薬種が別の場所にまとめられた。景継は記録と包みを見比べ、数が合っているかを確かめた。まだ書き漏らしもあったが、最初に棚を開けたときよりは、何があるのかを追いやすくなっていた。
作業を終えるころには、窓から差し込む光が傾いていた。
景継は記録を畳まず、薬種の棚のそばに置いた。これを誰でも自由に持ち出せば、かえって混乱するかもしれない。扱う者が記録を確かめ、薬種を出したときには残量を直す。その手順まで決めなければ、紙を一枚増やしただけで終わってしまう。
「薬を使ったときは、残りの数も直してくれ。分からなくなったら、そのままにせず知らせてほしい」
「承知しました」
男は記録を受け取り、最初から目を通した。名の分からない薬種のところで手を止めたが、何かを言いかけて、やがて紙を棚のそばへ戻した。
「これなら、次に来た者にも分かりましょう」
「そうなればいい」
景継は棚を見渡した。
薬が増えたわけではない。効き目の分からないものが、急に使えるようになったわけでもない。清潔な布も、必要なだけそろったわけではなかった。
それでも、今まで曖昧なまま置かれていたものの一部は、確かめられる形になった。
医術を知っているだけでは、患者を救い続けることはできない。必要なときに必要なものを見つけ、何を使ったのかを残し、次に使う者へ渡さなければならない。
景継は記録の端を押さえ、風でめくれないように小さな木片を載せた。
その紙を誰が管理し、誰が確かめ、誰に渡すのか。
棚の中身を整理しただけでは、まだ答えは出ていなかった。




