悠
第二話
悠
悠は、夜が嫌いだった。
暗いからではない。
静かだからでもない。
見えてしまうからだ。
昼間はまだましだった。
人の中にいれば、紛れることができる。
大学構内は、ぎりぎり安全な場所だった。
「ねえ、悠」
昼休み、学食で声をかけてきたのは、ましろだった。
「今日も夜は帰るんでしょ」
「うん」
それ以上、理由は聞かれない。
ましろは、そういうところが楽だった。
同じ学部。
同じ講義。
気づいたら隣に座っていて、気づいたら一緒に昼を食べていた。
友達、と呼ぶには少し静かで、
でも一人でいるよりは、ずっと楽な存在。
「夜、無理しなくていいよ」
ましろは笑う。
やけに穏やかな笑顔だった。
「悠はさ、ちゃんと生きてるんだから」
その言い方に、悠は少しだけ引っかかった。
「……変な言い方」
「そう?」
ましろは首を傾げる。
否定もしない。
その仕草が、
どこか人間らしくない、と一瞬思ってしまう。
悠は目を逸らした。
考えすぎだ、と自分に言い聞かせる。
その夜、久しぶりに外に出た。
理由はない。
ただ、部屋に閉じこもり続けることに息が詰まった。
ネオンが滲む夜の町。
人の気配と、そうでないものが混ざり合う。
曲がり角で、誰かとぶつかった。
「……すみません」
「いえ」
若い女性の声。
顔を上げると、女性が立っていた。
学生ではないという事はわかった。
けれど、何故か制服姿の女性がダブって見えた。
悠の視線が、首元に止まった。
タトゥー。
細い線が、夜の光に浮かんでいる。
隣を歩く男の首にも、同じ模様があった。
無意識に思った。
――戻らない場所を選んだ人だ。
「大丈夫ですか?」
女は笑った。
とても上手な笑顔だった。
「はい」
生きている。
でも、遠い。
一緒に歩いていた男性が女性に声をかける。
「灯、平気?」
「うん」
短い返事。
「さっきの誰?」
「知らない人」
「ふーん」
その声には、軽い苛立ちが混じっていた。
「もうこんな時間だぞ」
「睦月が呼んだんでしょ」
灯の声は柔らかい。
でも、どこか投げやりだった。
「……俺といるの嫌なら帰っていいけど」
それは選択肢じゃなかった。
逃げ道を塞ぐ言葉だった。
離れ際、灯と目が合った。
その目に、
悠は見覚えのある色を見た。
――夜に慣れてしまった人の色。
二人は夜の奥へ消えていった。
悠は、その場から動けなかった。
死んでいるものより、
壊れかけている生きた人間の方が、
よほど見えづらい。
翌日、大学の相談室の前で足が止まった。
入るつもりはなかった。
ただ、そこにいるだけでよかった。
「……大丈夫?」
後ろから声をかけられた。
振り向くと、知らない女が立っていた。
「……誰?」
悠は聞いた。
「杏樹」
それだけ。
「名字は?」
「言わない」
即答だった。
不思議と怖くはなかった。
でも、近づいてはいけない感じがした。
「なんで、俺に?」
「見えすぎてるから」
杏樹は、当たり前のように言う。
「夜、出たでしょ」
悠は否定しなかった。
「昨日の女の子」
ネオン。
タトゥー。
名前。
「もう、選んだ人」
杏樹は続ける。
「でも、まだ完全には落ちてない」
悠は、聞いてしまった。
「……助けられる?」
杏樹は少しだけ考える。
「助けるかどうかは、私が決めることじゃない」
「じゃあ誰が」
「本人」
それだけだった。
杏樹は、相談室の扉を見る。
「ここ、入らなくていい」
「……なんで?」
「答え、もう分かってるから」
杏樹は去っていった。
その夜、ましろからメッセージが届いた。
《夜は、無理しなくていいよ》
画面を見つめながら、悠は思った。
――本当に、人間なのは誰なんだろう。




