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第三話

 あれからまた、数日経った。

 ナナミは愛も相も変わらず書庫に入り浸った。


 そして、この国の歴史など、様々なことが分かってきた。

 とくに言語は、元々一つの国であったために、どの国も共通の言語だとわかった。

 これは大きい、多少の方言があるとしても、元が同じなら話が出来る。

 だが、それは、この元の国の中だけの話だ。

 帝国の北方には北方の外の世界の言語は違うらしい。

 あと、他にも、人以外の種族の言語もあるらしい。

 これは、後回しにすることにした。

 だが、いつかは習おうとは決めていた。


 最近のナナミの姿の噂は、やがて父ホルスの耳にも届く。

 息子が勉学に励む姿は、父として誇らしい以外の何ものでもない。

 ホルスは満足げに頷き、息子の成長を喜んでいた。


 ――そんなある日の午後。


 ナナミは書庫で古い地図を広げていた。

 帝国の国境線とアリティア王国の地理的関係を頭に叩き込んでいた。

 すると、廊下の向こうから父の執務室へと向かう複数の足音が聞こえてきた。


 ……来客か。珍しいな


 普段、父の執務室を訪れるのは決まっている。

 大概は騎士団長か領内の有力者くらいだ。

 

 だが、今日の客はどこか雰囲気が違う。

 身にまとう衣擦れの音。

 かすかに漂う香。

 どれも、この地のものではない、異国の匂いがした。


 好奇心に駆られたナナミ。

 そっと書庫の扉を開け、廊下の様子を窺う。


 ……商人か?  

 それにしては……


 アリティア王国の商人は、誰もが実用的な革のチュニックだ。

 ズボンも動きやすい毛織りのが一般的。

 飾り気はなく、質実剛健。

 それが、この国の商人の常装であった。


 だが、部屋の中の男は、そのどれにも当てはまらない。

 

 光沢のある上質なベルベットで仕立てられた『プールポワン(身体にぴったり沿う上着)』。


 肩は誇張されたように大きく膨らんでいる。

 袖口からは繊細なレース飾りがのぞいていた。


 下は対照的にゆったりとした『ショース(膨らみのあるズボン)』。

 

 鮮やかな緋色のタイツが脚の線を際立たせていた。


 それは、実用性など微塵も感じさせない。

 ただただ富と権威を誇示するためだけの服装。

 まるで宮廷の道化。

 あるいはどこぞの王侯貴族。

 そんあ、あまりにも場違いな華やかさだった。


 どこの国の商人だ……?

 少なくとも、アリティアやその周辺国の者ではない。


 ナナミの胸に、言い知れぬ警戒心と好奇心が同時に湧き上がった。


「――わたくし、帝国にて古美術品を取り扱う『幻影の楼閣(ミラージュ・パレス)』の主、ブリカッシュ・ジルベールと申します。以後、お見知りおきを」

「……で、その帝国の『大商人』殿が、このような辺境の地に何の用かな?  こう見えても多忙な身だ。手短に頼む」


 父の声には、あからさまな警戒が滲んでいる。


「これはこれは、つれないお言葉。なに、難しい話ではございません」


 ブリカッシュは、指先で口髭を撫でり。

 そして、そのまま、ねっとりとした笑みを浮かべた。


「この度、我が『幻影の楼閣』、アリティア王国への出店を考えておりましてな。つきましては、この地でも指折りの名家であるヴァーミリオン卿に『まずはご挨拶を』と思い至った次第。本日は、その顔見せのようなものとお考えくだされば」

「ほう、挨拶、とな?」

「ええ、その通りにございます。それで――」


 そこから、ブリカッシュの口は軽やかだった。


 帝国での売れ筋の宝石や、産地ごとの特徴――

 それぞれに合わせた調度品の組み合わせなどなど。


 彼は手元の書類や商品を指で軽くなぞる。

 そして、ゆったりと説明を続ける。

 語り口は軽やか。

 だが、どこか重みもある。

 しかし聞く者に「この商人、ただ者ではない」と感じさせる何かがあった。


 そして、自身への理解を求め。

 相手を値踏みするかのように話しを続けていた――

 

 そんな話がしばらく続く。

 ひとしきり語り終える。

 その後、差し出された茶へとゆっくり手を伸ばした。

 ゆったりと流れるような所作。

 そのまま湯気をくぐらせながら喉を潤す。

 一息付いたブリカッシュは音も立てず滑らかに杯を置いた。


 その後、ゆっくりと口を開く。


 そして――わずかに笑みを消し、鋭い瞳で相手を見据える。。


「ところで、挨拶だけでは手ぶらも同然と思い、卿にふさわしい『逸品』もお持ちいたしました。おい――」


 その声に、付き人が持っていた木箱を指し示した。


「我が店が扱う品は、ただの骨董品ではございません。その品が最も輝ける『主』の元へと渡ってこそ、真の価値が生まれる……それが我が店の信条でしてな」


 彼は一度言葉を切る。

 そして、ホルスの目をじっと見つめる。


「――たとえば、我が帝国に伝わる『古き宝剣』の話などは、ご興味ありませんかな?」


 その声は、甘い蜜のように人の心を惑わす響きを持っていた。


「宝剣……?」


「ええ。その剣は、類まれなる切れ味と美しさを誇りますが、今はそれにふさわしい使い手がおらず、ただ鞘の中で錆びつくだけの日々……実に嘆かわしい。『より良きもの』とは、その価値を真に理解する者の手元に収まってこそ、輝きを放つもの。そうはお思いになりませんか?」


 ……これは、ただの商談なんかじゃない!


 これは勧誘だ!

 じわじわと外堀を埋めようとしている?

 そして、最終的には父を帝国側へと引き込もうとしているのではないか?

 その証拠に言葉の節々に、含みがある。


 ――ゴクッ!


 ナナミは息をのんだ。

 

 だが、まだ確証は出来ない。

 父もそれに気づいている。

 だから、無闇に口を開かない。


「………」


 もう少し、様子を伺ってみるか――


 父のホルスは長い沈黙のあと重々しく口を開く。


「……それはつまり、我がアリティア王国に、帝国への鞍替えを唆しに来たと、そう解釈しても?」

「いえいえ、滅相もございません!」


 ブリカッシュは芝居がかった仕草で両手を広げた。


「我らはただの商人。政治にはとんと疎い。ただ、卿のような優れた武人が、正当な評価を受けられぬまま朽ちていくのは、商機を逃すようで実にもったいない、と。あくまでも、『お力添え』をしたいだけなのです。共に、新たな時代という『大きな商い』を始めるために」


 これは……間違いない。

 確定だ。

 

 宝剣はアリティア王国。

 鞘は今の王家。

 そして、価値を理解する者とは帝国か。


 これは、ただの商談なんかじゃない!


 帝国が、アリティア王国の内部を分断しようとしている。

 この交渉の成否は関係ない。

 ただ、こうやって疑念の種を蒔いているのだ。

 おそらく、この交渉は他貴族にも行っている。


 そこで重要なの交渉を行ったいう『事実』。

 そうなれば、疑心暗鬼に囚われる。


 いつ裏切られるのか……と。


 そして、帝国が攻め込んだタイミングで反乱でも起こしてくれればと思っているのだろう。

 

 むしろ、帝国はそれを狙っている。

 これは、戦争前によく見かける常套手段だ。


 しかも、この話を持ちかけたのが『商人』だった。

 それが、また狡い。


 公の立場の人間ならば外交問題に発展しかねない。

 だが、一介の商人であれば「勝手な越権行為」だ。

 そう、言い逃れる余地がある。


 狡猾なやり方だ。


 ……いや、合理的というべきなのかもな。


「はぁ……」

 

 どこの誰か知らないけど、厄介なことを……

 けど……これで、分かった。


 ――帝国は本気だ――

 

 冷徹なまでに計算された帝国の策略。

 

 ナナミは、自身が今、巨大な歴史の奔流の渦中にいるのではないか?

 そう感じられずにはいられなかった。


 §§§


 ナナミが帝国の深謀遠慮に思考を巡らせていた。

 まさにその時だった。


 ――ガチャリ。


 執務室の重厚な扉が、唐突に開いた。

 ナナミはあまりに集中していた。

 そのため、話が終わっていたことに全く気づかなかったのだ。


「あっ……」


 思わず、小さな声が漏れる。

 扉を開けた帝国の商人と、ばっちり目が合ってしまった。


「おや?」


 ブリカッシュは片眉を上げた。

 そのまま、ナナミの姿を値踏みするように見下ろした。

 その絹のような物腰は崩さない。

 そして、唇の端に冷ややかな笑みを浮かべる。


「これはこれは、可愛らしいお客人ですな。ですが、扉の前での盗み聞きとは、少々行儀が悪いのではございませんか?」


 子供を諭すような優しそうな言葉。

 だが、その中には、チクリとした皮肉が込められていた。


 それを見た父ホルスが、すかさず前に出る。


「我が息子、ナナミだ。無礼を働いたのであれば、親である私が謝罪しよう」

「おお、これはこれは、ヴァーミリオン卿の御子息でしたか。なるほど、将来有望そうな顔立ちをしておられる。ですが、しつけは今のうちからしっかりとされた方がよろしいかと」


 ブリカッシュの皮肉。

 もはやホルスの面子を潰しにかかっていた。

 ホルスの眉間に、わずかに険が寄る。

 だが、ナナミが口を開いたのは、それよりも早かった。


 すっ、と背筋を伸ばす。

 それは貴族の子弟として教え込まれた完璧な礼法。

 深く、そして優雅に一礼する。


「帝国の『大商人様』とお見受けいたします。この度は、父に急ぎの報告があり参上いたしました。ですが、お客様との談話中とは露知らず、扉の前で待機しておりました。もし、わたくしの思慮の浅さにより会話の妨げとなりましたのならば、深くお詫び申し上げます」


 淀みなく紡がれる言葉。

 五歳児とは思えぬ落ち着き払った態度。

 その完璧な立ち居振る舞いに、今度はブリカッシュの方がわずかに目を見開いた。


「……ほう。これは失礼いたしました。さすがはヴァーミリオン卿の御子息、実に聡明でいらっしゃる」


 ブリカッシュは感嘆したように頷く。

 その後、もはやそれ以上何も言わず、踵を返した。


 父ホルスとナナミは、商人を玄関まで見送る。


 石畳の上に待機していた豪奢な馬車の扉が開かれる。

 それを見てブリカッシュが乗り込もうとした。


 しかし――

 

 彼はふと振り返り、ホルスの目を見る。

 そのまま、商売人らしい人好きのする笑みを浮かべながら口を開く。


「おっと、言い忘れておりました」


 その声は、見送りに来ていた者たち全員に聞こえるように、はっきりと響いた。


「――例の『お品』の件、良いお返事をお待ちしておりますぞ。この商談がまとまれば、卿にとっても我らにとっても、大きな実りとなりましょう!」


 そして、ブリカッシュは馬車に乗り込んだ。

 その後、馬車の扉が静かに閉ざされた。


 馬車が静かに動き出す。

 

 それを確認した後、玄関に控えていた侍従や兵たちが顔を見合わせ、ささやき合う。


「「「商談……?」」」


 ……やられた


 その光景を見て、ナナミは確信した。


 ――周囲に『聞かせる』ためのものだ。


 この場にいた者の中には必ず覚えている者がいる。

 そして、それはやがて噂になる。


 「ヴァーミリオン卿は帝国と商談をしていた」と。


 尾ひれがつき、形を変える。

 やがて事実など関係のない『疑い』だけが残る。


 今の一言こそ――帝国が蒔いた『疑念』という名の種なのだ。


 やがて、帝国への帰路につく馬車が遠ざかっていく。


 ナナミとホルスは、ただ黙る。

 遠ざかる馬車を角の向こうに消えるまで――


 静かに忍び寄る戦乱の気配に、ただ、その場で立ち尽くしていた。

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