第一話
――ガンッ! ドサッ!
「きゃぁぁぁ! 坊ちゃまっ!?」
いたっ……!
五才になったオレは、廊下を子供らしくはしゃいで駆け回っていた。
そんなオレは、勢い余って柱に激突した。
ぶつけたオデコがズキズキと痛み、泣き出しそうになる。
けれど、その痛みをきっかけに――
前の世界での自分の最期を思い出した。
全部じゃない。
ただ、酔った勢いでどこかの橋の欄干に上り、そのまま川へ飛び込み……
溺れ死んだらしい断片的な記憶。
生きていた場所も、名前も、細かいことは思い出せない。
けれど、アニメや漫画、映画や動画――
そんな娯楽に浸っていた日々の感覚だけは鮮明に残っていた。
我に返ると、近くのメイドたちが青ざめた顔でこちらを見ていた。
そうだ。オレは今、この家の跡取り息子――
『ナナミ・フォン・ヴァーミリオン』として生きているのだった。
思い返せば、記憶が戻る前のオレはとんでもないクソガキだったらしい。
叱られないのをいいことにやりたい放題。
スカートめくりに落書き、床をびちゃびちゃにする悪戯。
メイドの肩に毛虫をそっと乗せて悲鳴をあげさせる……
そんなことをして喜んでいたようだ。
ほんと、よくもまあ憎らしい子に育ったもんだ。
しかも親の『ホルス・フォン・ヴァーミリオン』はオレを溺愛していて、
「元気があって良いではないか」
と愚行すら肯定する始末。
そんなものだから、誰も何も言えない。
そこにもってきて今回の騒動。
周りのメイドたちは顔を青ざめるのは当然だろう。
――また何かあったら、自分たちが親からどんな叱責を受けるか分からないのだから。
「大変っ! ど、どうしましょう! これでは、また……」
近くにいたメイドが涙目になり、焦った表情を見せていた。
なんか、かわいそうに思えたオレは言葉をかけた。
「あの、わたしは大丈夫だから、気にしないでください」
その予想外の言葉に、涙目のメイドは信じられない様子でキョトンとしていた。
そんなに驚くことかっ!
と、思った……が!
いつもなら、タダをこね、泣き喚いて、手がつけれない。
その事を考えると、このメイドの態度にも納得がいく。
そんな折、騒ぎを聞きつけた父がやって来た。
「これは何事だっ! わしの可愛いナナミに何をやっておるっ!」
父の怒声に、周囲の人々は一瞬戸惑った。
恐怖というよりも――
「こ、これはその……」――という表情で、誰もすぐには答えられない。
その怯えた顔を見て、流石に可愛そうだと思い救いの手を差し伸べる。
「父上、怒らないでください。これはわたしが悪いのです。少しはしゃぎすぎて、勝手に柱にぶつかっただけですので、このモノたちを叱らないでください」
オレの言葉に、父の表情は少し柔らかくなった。
それとは別に、周りの人たちは驚愕の表情を浮かべていた。
いやいやいや……
そこまで、変なのかっ!
……う~ん。
今までもオレの態度を考えれば、そうなるかも?
「おお、他の者を庇うとは、なんとも立派ではないか。わしは鼻が高いぞ」
そして父はにこりと笑みを浮かべ、周囲に向かって言った。
「今回は息子に免じて咎めはせん。そなたらも息子を見習い、精進するのだぞ」
そう言い残すと、父は颯爽と去っていった。
そして、周りの人たちは噂をし始めた。
頭を強く打って、おかしく……いや、まともになった……と。
そんな噂が流れていくのだった。
ほんと、どんだけだったのよ オレっ!
§§§
「ふぅ……」
部屋に戻り、オレは部屋にあるテーブルの椅子に腰をかけて落ち着いた。
カレラさんが静かにティーポットを傾ける。
琥珀色の紅茶から、ふわりとシナモンの香りが漂った。
皿には焼き立てのクルミのパイ。
甘く香ばしい匂いが、少しだけ心を落ち着けてくれる。
「ありがとうございます、カレラさん」
そう言うと、予想だにしなかった感謝の言葉に驚いた表情を見せた。
いや、それはもういいよっ!
と、ツッコミを入れそうだった。
そんなカレラさんを他所に周囲を見渡す。
この部屋は、子供部屋にしてはやけに質素だ。
けれど壁や机には小さな傷や凹みがいくつも刻まれている。
前のオレが拳で叩いたり、木の玩具を投げつけたり……そんな痕跡だ。
ほんと、どんだけ手のかかるガキだったんだか。
カップを両手で持ち上げ、一口すする。
温かな香りが広がるのに、心は落ち着かない。
「……オレ、なんで石英が圧電するとか知ってるんだろうな」
思わず独り言が漏れた。
この知識は確かに前世の記憶だ。
オレが前世の記憶が戻った時に、様々な知識が頭を巡った。
この記憶はその一部だった。
だが、オレが何者だったのかは、いまだ霧の中だ。
どんな生き方をしてきたかは分からない。
けれど……
せめて、今度はまともに生きたい。
そう思った矢先――廊下の奥から、かすかな声が聞こえた。
「帝国が……兵を動かしているらしい」
「いよいよ……か」
不穏な響き。
シナモンの香りが漂うこの部屋に、戦乱の影がじわりと差し込んでいた。




