カンナエの戦いの再現②
ナナミの父の進撃の号令が上がった。
それに応じ、ヴァルデリア軍もまた大地を踏みしめる。
整然と進む歩兵の列。
鉄と革の擦れる音、槍先の光――それらが平原に規律を刻み込む。
一歩一歩が、激突を告げる鐘の音のように重く響いた。
だが、その均整を破る異音が戦場に轟く。
地を震わせる蹄の轟き。
風を裂く咆哮のような叫び。
――右翼に展開するアリティア王国最強、『蝙蝠部隊』である。
黒き影は疾風に乗り、平原を切り裂くように駆け抜けた。
狙うは同じ右翼の帝国騎兵。
「目標は敵右翼の騎兵! 他には目もくれるな!」
「「応ッ!」」
「弓騎兵、魔術騎兵は最後尾につけ! 盾持ちは前へ、突撃を防げ!」
「「はっ!」」
「飛び道具が来れば盾と魔術で防御! 隙あらば逆に叩き込め! その後、槍騎兵で一気に瓦解させるぞ!」
「「「おおおおおっ!!!」」」
隊長ハスターの声に、黒騎兵たちが雄叫びを上げた。
影は一つにまとまり、敵へと牙を剥く。
――ドドドドドドッ!
太陽を背にしたその姿は、まさしく黒翼の群れ。
槍を構えた騎兵は群蝠のごとく直進し、帝国騎兵へと迫る。
ヴァルデリア帝国の騎兵もまた、怯まず正面から受け止めにかかる。
――瞬間、平原は轟音に包まれた。
鉄と肉が衝突しようとしいた。
地が震え、戦場が咆哮を上げた。
§§§
轟音――
地を揺るがす蹄の響き。
それは、ヴァルデリア帝国軍の鼓膜を震わせた。
平原を切り裂く黒い潮流――『蝙蝠部隊』の騎兵たちが疾風の如く突撃する。
凄まじい気迫。
その気迫に帝国の将兵たちの反応は一瞬遅れた。
我に返った指揮官が怒声に近い命令を飛ばす。
「弓を構えよ! 魔術師部隊、前へ! あの黒い悪魔どもに炎で焼き払ってやれっ! 敵を近づけるなっ!」
号令とともに空は無数の矢。
空は黒く染まり、灼熱の炎が壁となって迫る。
鋼と火焔の死の嵐。
しかし、その渦中にあっても、隊長ハスターの口元には獲物を前にした捕食者の笑みが浮かんでいた。
「怯むな! 風で矢を逸らし、水壁で弾け! 炎は魔法障壁で防ぎきれ!」
鋭い声が飛ぶ。
その声に全員が騎乗した魔術騎兵たちが即座に反応。
猛烈な突風が矢の軌道を歪ませる。
きらめく水の膜が残りの矢を無力化する。
前衛の騎兵たちは盾を構えつつ魔法障壁を展開し、押し寄せる炎を轟音とともに霧散させた。
攻撃を凌ぎきった刹那、ハスターは敵の後衛へ命令を叩きつける。
「よしっ! 今度はこちらの番だっ! 弓騎兵、魔術騎兵、遠慮はいらんっ! 倍にして返してやれっ!」
矢と火球の豪雨が、混乱する帝国軍後方へ降り注ぐ。
予期せぬ反撃に指揮系統は麻痺。
隊列は見る影もなく乱れた。
その隙を見逃さず、ハスターは鬨の声を上げる。
「今だっ! 騎兵隊、突撃!」
帝国軍の指揮官は苦々しく顔を歪めた。
やむなく騎兵に突撃を命じる。
鋼と馬肉の絶望的な波が押し寄せる。
だが、ハスターはその光景すら計算の内だった。
最後の指示を放つ。
「よし今だっ! 足元を崩せ!」
魔術騎兵全員が杖で相手騎兵の地面を指した。
本来は帝国騎兵が駆ける固い大地。
だが、一瞬にして底なしの泥濘へと変貌。
嘶きとともに馬は足を取られる。
と、同時に騎士たちは次々ともんどりうって倒れる。
陣形は完全に崩壊。
もはや組織的な抵抗は不可能だった。
泥の中でもがく兵士たち。
そこに、容赦なく、弓を居かけ、魔術を行使していく。
阿鼻叫喚の惨状。
その様子をよそに、蝙蝠部隊は黒い影となりぬかるみを避けながら駆け抜けていった。
「はは、隊長、彼らも中々やりますな」
副官ケーヘンヒラーが、馬を並べながら愉快そうに笑う。
「ああ、まったくだ。ふふ」
ハスターは泥濘の先で、なおも抵抗を試みる残存騎兵へと顎をしゃくった。
「さて……これで、第一幕は終わった。続いて、第二幕の幕開けと行こうかっ! さあ、諸君! 観客を失望させるな! 我らが最高の演技)を見せてやろう! 血塗られて演目だがな。ふふ。ぬかるなよっ!」
「はっ!」
ハスターは抜き放った剣の切っ先を敵に向け、腹の底から咆哮した。
「全員突撃ィィィ、いくぞぉぉぉぉ!!」
「「「おおおおおっっっ」」」
目指すは残った帝国騎兵。
その側面へ、ハスターは突撃の号令を飛ばした。
「側面から叩き潰せっ! 遠慮は無用だっ! 突っ込めぇぇぇ!!」
黒き騎兵たちは一糸乱れぬ隊形で敵の側面に襲いかかる。
衝撃に耐えられない帝国騎兵。
陣形はもろくも崩れ、次々と馬ごと倒れ込む。
槍は折れ、盾は砕け、鉄と革の防壁は粉々に吹き飛んだ。
逃げ惑う兵士たちを、蝙蝠部隊は容赦なく蹂躙する。
短時間で、帝国騎兵の士気は完全に喪失。
組織だった抵抗はもはや不可能となった。
ここまでの所要時間は三十分も経っていなかった。
§§§
――ザシュ!
「がぁぁぁ……」
血飛沫が舞い、断末魔が平原の風に溶けていく。
ハスターが振るった凶刃。
それは、敵兵の鎧ごと肉を断ち、沈黙させた。
刃に付着した血糊を荒々しく振り払い、彼は周囲を見渡す。
そこには、もはや敵と呼べる存在はない。
ただ泥の中でもがく敗残兵の姿があるだけだった。
「ケーヘンヒラー! いるか!」
ハスターの鋭い声に、すぐさま副官が駆け寄る。
その鎧にも返り血が点々と付着していた。
「はっ! ここに。いかがなさいましたか」
「ここはもう終わりだ。被害報告を上げろ」
「御意。詳細な確認はこれからですが、見たところこちらの被害は軽微かと。思いのほか、呆気ない幕切れでしたな」
軽口を叩くケーヘンヒラーの言葉。
それを聞いて、ハスターは槍の穂先で泥に沈む敵兵を指し、ふっと鼻を鳴らした。
「そう思えるのは、我らが誇る弓騎兵と魔術騎兵のおかげだ。彼らがいなければ、懐にすら入れず、無駄に兵を失っていたやもしれん」
「たしかに……付け焼刃とはいえ。あの部隊は目を見張るものがあります」
「ああ、全くだ。我が指揮官殿には、いつも驚かされてばかりだよ」
ハスターの脳裏に、あの幼き軍師――ナナミの顔が浮かぶ。
その怜悧な瞳を思い出し、彼の口元に自然と笑みがこぼれた。
「ですな」
副官もまた、静かに同意する。
「よし! ケーヘンヒラー! 兵を再編しろ。次は左翼の調理に取り掛かるぞ!」
「はっ! 直ちに!」
迅速に動き出そうとする副官。
それを、ハスターは呼び止めた。
「それと、傷ついた兵と魔力の尽きた術者は後方へ下げろ。ここから先は、余力のある者だけで行く」
「はっ! 承知いたしました!」
今度こそ、ケーヘンヒラーは戦場を駆け、兵たちに指示を飛ばしていく。
その背を見送りながら、ハスターは思考を巡らせた。
(敵の騎兵は、そのほとんどが右翼に集中していた。となれば、今頃、手薄な我らの左翼が苦戦を強いられているはずだ)
胸にわずかな不安がよぎる。
だが、それ以上に――全身を駆け巡る勝利の予感が、彼の心を奮い立たせていた。




