第11話 正義なんてどこにもないと思っていた
彼の名前は岩崎煇。どこでもいる大学生だった。
特定の職業を志していたわけではなかったが、潰しが効きそうかなと法学部に入学した。
騒がしいキャンパス、自分には性に合わないなとも思った。
誘われるがままにテニスサークルに入部した。だがまともにテニスなんてやっているものはいなかった。夏休みを前に幽霊部員になった。
友人は数人程度、端正な顔立ちで女性から声をかけられることもあったが、本人はあまり興味がなかったようだ。
3年生になった煇は相変わらず、大学とアルバイト先を往復するだけの毎日を送っていた。
「そろそろ就活しないとな」
講義の終わった教室でなんとなく呟いた煇に1人の男子大学生が声をかけた。
「煇!このあと暇か?」
どこかで見た顔だと思ったが、新入生の時に一緒にサークルに入ったチャラそうな男だ。入学したときはもっと地味な感じだったような気がするが。
「ああ、今日はバイトはないけど、そろそろ就活の準備をしようと思って」
「ならちょうどいい!サークルの先輩方に色々聞いてみようぜ!」
男は煇の腕を強引に引っ張って教室の外へ連れ出した。
「ちょ、ちょっと」
「なあに、ただの飲み会だよ!お前も来いよ!」
こうして飲み会に煇は連れて行かれた。端っこの方で目立たないようにしていたが、急に1人の女性が隣にやってきた。
「キミかっこいいね、彼女とかいるの?」
「い、いや」
「え〜もしかしてキミってアッチ系?」
女のやたら馴々しく軽薄なノリに煇は生返事を返し続けた。
「煇!こっちにいたのか!」
煇を誘った男がビール片手にやってきた。
「飲むだろ?」
煇に手渡す。
「ああ」
受け取ったジョッキに口をつける。少し違和感があったが、あまり気に留めなかった。
この女の相手をするのが面倒くさくなってきた煇は、この一杯を飲んだら適当に言い訳して帰ろうと思った。
就活の話なんて誰もしていない。煇の興味のない下劣な話ばかりだったし。
適当に相槌を打ちながら、無理をしない程度のスピードでジョッキの中身を減らしていった。
「俺、そろそろ帰るよ」
そう言って立ちあがろうとした瞬間、視界が真っ暗になった。
煇が目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
「どこだ……?」
どうやらホテルのようだ。なぜか裸でベッドに寝ていた。状況がよくわからなかったが服を着て慌てて自宅へ帰った。
3日後、大学の講義を終えてアルバイト先に向かうと2人の警察官が居た。
「岩崎煇さんですね。ちょっとお話を聞かせてもらえますか」
彼は不同意性交の被疑者として任意同行を求められたのだ。
被害を訴えていたのはあの日、隣に来た女だった。なぜ訴えられたのかは全く身に覚えがない。身に覚えのないことを警察からずっと言われ続ける。ホテルにいたこと以外は記憶にない、何もしていない、としか答えるしかない。
煇はそのまま逮捕され勾留された。
警察に連れて行かれる様子を見ていたアルバイト先からは即日解雇され、大学もすぐに退学処分にした。
実名報道こそなかったが大学中に噂は広まり、顔はボカされていたもののSNS上に拡散された。
2週間後、証拠不十分で不起訴となり釈放された。しかし彼の戻る場所はもうなくなっていた。
煇は実家に帰った。両親は酷く心配し暖かく迎え入れてくれた。
しかし噂は地元でも広がっており、次第に外へ出なくなっていった。
そして彼は引きこもって、一日中インターネットに没頭するようになった。
法は彼を守ってくれなかった。冤罪を仕掛けてきた主犯格の女は、逮捕すらされず報道もされなかった。薬を混ぜた男は傷害罪で書類送検され大学を退学したらしい。
正義なんてこの世にない。そう彼は思った。
ある日、いつも通りSNSを眺めていた煇はアンチフェミニストを自称する男のアカウントを見つけた。冤罪被害にあった男性への救済を呼びかける彼の投稿に共感の声が集まっていた。
共感した煇は彼の考えに傾倒していった。そしてその活動にのめり込んでいった。
平等、公平、正義、そんな名の下に公然と行われている男性差別。煇は許せなかった。
彼こそが真なる正義、そして自分こそがそれを実現できると、そう思った。
しばらくして、男性差別反対を訴えるデモを行うことになった。煇は被害を受けた当事者として先陣を切ることになったのだ。
そして当日デモが始まる。デモ隊が大通りを練り歩く。男性がほとんどだが中には女性の姿もあった。
賛同者がこんなにもいる。自分と同じように抑圧されてきた人たちがこれだけいる。可視化された正義は煇をさらに奮い立たせた。
途中フェミニスト団体のカウンターデモが居たが、その主張を嘲笑うかの如く進んでいく。連中は偽物だ。平等の名のもとに男性差別を平然と行う。偽善者ですらない。自分たちの利益しか目のない連中だ。
デモ行進が終盤に差し掛かった頃、後ろから1人の男がデモ隊の中を掻き分け進んで来た。背中にぞわりとした悪寒が走った。
グサッ。
包丁は煇の心臓を1突きした。
煇は刺した男の顔に見覚えがあった。それはあの日、自分を飲み会に誘った男だった。
「元はと言えばお前が悪いんだ」
煇は薄れゆく意識の中、男がそう言ったのが聞こえた。
自分が悪かったのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。でも――あの男も狂ってしまった。主犯格の女は今ものうのうと何も失うこともなく暮らしている。
正義なんてどこにもない。そう思っていた。やっと見つけた正義もこんな形で終わってしまった。――そう思いながら、煇の意識は闇に沈んでいった。




