4-10 意識の中
「……ヒューだ」
俺が名乗ると、彼女は神妙な顔つきになって一度頷いた。
「ヒューさん、ですね?」
「ああ」
「了解です。あ、ちょっと待っててくださいね」
何かを思い追加たかのように、彼女はそう言って宙に浮かんだままの剣へと駆け寄っていく。
表情といい動作といい、目の前のこの少女はとても元気だ。
外のセフィと結びつかない言動や行動には、驚かされるばかりだ。呆気に取られていたことを自覚しかぶりを振った。
セフィは、宙に浮かぶ剣の柄を両手で掴むとそのまま引きずるようにして戻って来た。
「触れるのか?」
「何となく行けそうだな~って思って、まさか行けるとは思ってなかったんです。はい、どうぞ」
「……ああ」
セフィが差し出してくるそれを受け取り、地面に切っ先を突き刺し杖のように体を支えながらなんとか立ちあがった。
「不思議な剣ですね。何かヒューさんを守るみたいに<虫>を消し去ってたんで、多分ヒューさんが生きているのってその剣のおかげなのかも? って、無駄話してないで、移動しましょうか」
片腕がないと、こんなに体のバランスがとりにくいとは思わなかった。
セフィに言われて、足を踏み出して歩いてみると、右足に違和感がある。
よくよく見てみれば、右足のつま先も消失しているのがわかった。ここも食われたのか。
失ったのは腕と足の先端だけだ。それでも生きているのはありがたいことなのだろう。
「ごめんなさい。手を貸せたらいいんですけど……」
セフィが伸ばした手は、俺の肩に触れることなくすり抜けていく。
申し訳なさそうに目を伏せるが、この娘に落ち度はない。
「セフィ」
消失した手足を見下ろして、セフィに呼びかける。
現在地も不明。手足も欠けている。控えめに見繕っても危機的状況でしかない。
こんな状態で気を遣っていれば命取りになるかもしれない。
「呼び捨てでいい。敬語も不要だ」
「え、でも」
「気にするな。進もう」
「あ、うん!」
歩き始めればセフィも後ろから追いかけるようについてくる。
足の指がないので踏ん張りがきかないせいで歩みすらおぼつかない。
こうも自分の体が思い通りに動かないのは、煩わしさすら感じるものなのか。
剣を使いながらも懸命に足を進める。
「久しぶりに体を動かしたからかな、何か上手く体動かないような気がして、もうちょっとペース落としてくれると嬉しいな」
何とかいつもと同じ歩調になるように四苦八苦していると、背後からセフィがそんなことを言ってきた。
「<虫>にギチギチに囲まれて動けなくて、動けるのっていいね」
どうやら気を遣わせてしまっているようだった。
気遣いをしていることを俺に悟らせないようにか、話題を変えながらも歩調を俺に合わせて緩めているのがわかる。
そこまで気を遣わせてしまうのは忍びないが、甘えるしかないのだろう。
「囲まれていた?」
「何となく周りを<虫>に囲まれていてぎゅーぎゅー押し固められてたような感覚。で、その剣が<虫>を消滅させるために光って、その光で完全に目が覚めたっていうか、ちょっと曖昧だったっていうか」
何だかあやふやな物言いではあるが、つまりセフィは<虫>に閉じ込められていた、ということなのだろうか。
「ここは、<虫>の中なのか?」
「うん。だと思う」
飲み込まれた感覚は鮮明に残っている。
質問を投げかけると、セフィはすぐに肯定した。
「<虫>のインナーワールドみたいなもの、なのかな?」
「インナーワールド?」
「あー……、ええと、<虫>の意識の中の世界なのかなって。私は肉体がないのに動き回ってるし、生きているヒューと言葉を交わすことができるでしょ? だから現実とはちょっと違うんだよね、きっと」
意識の中で、現実とは違う?
確かにこんなに真っ平で見渡す限りに広がっている草原なんて見たことがなかった。別世界というのも一理ある気がする。
そもそも俺は生きているのだろうか。
「現実ではありえないことが普通にできるんだから、ここはちょっと特殊な場所なんだと思う」
「特殊、か」
「ヒューは、どうしてここに落ちてきたの?」
問われて、少し考える必要があった。少しだけ記憶は混濁したままだった。<虫>に飲まれたのは、宿に向かっている途中だ。後ろに今と同じようにセフィがいて、歩いていたら突然<虫>が発生した。それで右腕を食われた状態で飲み込まれた。
「ヒューが来たことで意識がはっきりしたし、動けるようになったから感謝しかないんだけど。どうやって入ってくることができたのか気になっただけ」
「突然<虫>が発生したんだ」
「突然? <虫>って、何もないところに発生する物なの?」
「いや、人の負の感情をエサにして増殖すると聞いていた」
「負の感情……?」
不思議そうな声音で聞き返すここにいるセフィは、<虫>について生態を知っているわけじゃないのか?
振り返って表情を窺えば声音同様に驚いたような顔をしている。
「負の感情を持つ生物はあの場にいなかったはず、それなのに、<虫>は突然現れた」
「……この中にいて、何となく<虫>の方向性のようなものは感じてたんだけど、恐らく<虫>には意識、自我? みたいなのは存在していないんだと思う」
少しだけ声のトーンを落として、セフィはそう言った。
「あるのは本能、存在して、増えたい、増やしたい、そういう方向性がある。その剣って<虫>を消せるんでしょ? 己の生を脅かすものっていうのがわかってて、脅威を取り除こうとしたんじゃないのかな」
「取り除く……」
「敵を排除するのは最優先だよね」
<虫>の敵がこの剣、そしてそれを持つ俺。
だから排除しようとしてきた?
この剣が世界から消えれば、<虫>に対抗する手段はなくなる。
わかっていたはずだったが、改めて突きつけられたような心地だった。
「けど、剣一本だけが希望にしてしまうほど、人って弱いのかな」
「え?」
「人はか弱そうに見えるけど、意外にしぶといんだって。私の兄受け売り」
兄――ケイン、か。
いかにもケインが言いそうな言葉で、茫然としてしまった。あいつは、もう、いないから。
「大丈夫だよ。そんなに深刻そうな顔しなくても、きっとうまくいくよ。絶対、大丈夫」
大丈夫、セフィがいつも口にする言葉だった。
強がりにしか聞こえなかったそれが、今は――生命力にあふれた目をした少女が口にするそれは、なぜか本当に大丈夫なような気分になってしまう、不思議な響きだった。




