3-インターバル 手の中に残るもの
この年になって今までの生きてきたその軌跡を思い返せば、順風満帆な人生ではなかったな、という一言だ。
古代遺跡をこの手で掘り起こしてやる! と故郷を飛び出すように旅立ってからもう何年が過ぎたのだろう。
大きな発見も何度もして、気づけば学者センセイなどと呼ばれるようになってはいたが、気を抜けばまた一人で土まみれになっている。
弟子になりたいと希望者は何人もいたが、教え方がよくないのか物にならないうちに気付けばいなくなっている。
まるで手の中から少しずつ零れ落ちていくように。
そして資金繰りさえうまくいかない今日この頃、手の中にあったはずの物のほとんどは失われてしまって、残っているのは、結局は自分の「好き」という気持ちだけだった。
悲しいかな「情熱」は若い頃に燃やし尽くしてしまったようで、現場に来てもたぎるような何かはない。
静かに、そこにあるべきものと向き合い、掘り起こす、そんな感じだった。
「せんせーい!」
どれだけそうやって地面と対話をしていただろうか。時間が経つのも忘れるほど集中していたことに驚きながらも、老学者は顔を上げて声がしたほうを見やった。
「ケインくん」
彼はいわゆる押しかけ弟子というもので、気づけば自分を「先生」と慕い、現場仕事や資料集めを進んでしてくれている。
はじめて老学者のもとを訪れた彼には、老学者が燃やし尽くしてきた情熱だけを携えていた。
彼のすごいところは、現場を移動しても必ず探し出してやってくるところだ。噂から情報を集めるのだと言っていたが、正直考古学よりもそちらの能力に長けていると思うし、実際彼にも伝えてある。
だが彼は「好きなんで、こっちが」と情熱を灯した顔で笑うのだ。
元来の人懐っこさもあるだろう。
作業員たちと打ち解けるのも早かった。彼らに交じり作業をしているうちに覚束なかった手際も、まあ好事家のボランティアぐらいの人工にはなるだろうか。
やはり彼の特性を生かすと資料集めを頼みたくなってしまって、最近は現場でみることがほとんどなくなった。
以前の現場作業を中止することが余儀なく決まり、移動した後もこうやって資料を届けてくれるのだから、やはり彼はこういう分野では優秀すぎるほど優秀なのだ。
「来てくれたのか。遠くまでご苦労さん」
「一回ネルイって来てみたかったんで。ちょうど良かったです」
初めて見た彼はまだ少年らしさを残す青年の入り口にいた男だったが、今やすっかり大人の青年である。
こうやって若者の変化を見ていると時の流れを感じる、と、ここのところなんの変化もない――いやむしろ少しずつ退化をしているであろう――自分の手を見下ろして老学者はため息をついた。
「作業員が足りないんだよ、久しぶりにやっていくかい」
「あー、すみません、連れがいるんで」
申し訳なさそうにそう言って、彼は少し離れたところにいる人影を指さした。
突っ立ったままの背の高い男と、まだ若そうな女性――こちらは座っているがいるのが見えた。
「友達か?」
懐に入り込むのが得意な彼だから、さぞかし友人も多いのだろうと思った。発掘現場の見学にでもきたのかもしれない。
「あー、いや」
歯切れの悪い様子を見せる彼に、老学者もうっすら察するものがあった。
女か? いや、彼は女遊びはあけすけに話すタイプだった気がする。こんな風に微妙な感じにはなるまい。そうすると、微妙な雰囲気を醸し出す理由として適当なのは、と考える。
「ああ! 妹さんか!」
「はあ、まあ、そうなんですけど」
わかるもんですか? と彼もそちらに目をやった。
以前、故郷にいる二人の妹の話を聞いたことがあった。しかもかなり溺愛しているようだった。
妹への愛を語る彼の兄として姿は、一見人懐っこいようでどこか他人行儀が抜けない彼の物とは思えないほどで、老学者も彼のギャップに驚いたものだった。
その妹君も近くにいるのは気恥ずかしいのかもしれなかった。
「で、近くにいるのは妹さんの、男?」
「いや! 違いますよ! 護衛を雇ったんです」
強い口調で否定する彼に、なるほどなるほど、と頷く。
やはり鬱陶しいほどの兄愛を感じた。
「妹、は、今、ちょっと調子を崩してて、本当は挨拶させたいんですけど、すみません」
「いいよ、また今度の機会に。にしても体調不良か、心配だ?」
「そう、ですね」
妹を愛する兄としては、と付け加えようとして、彼が遠い目をしたので老学者はそのまま口をつぐんだ。
何か事情があるのかもしれない。
そういえば、二人いると言っていた妹君が今は一人だけだ、それも何か関係しているのかもしれない。
「そんなことより先生、どうしたんですか、閑散としちゃって」
「まあ、いろいろあるんだよ」
色々と、主にお金、がね。
押しかけ弟子にはいろいろ話したかったが、時間はあまりなさそうだった。
かいつまんで話をして終了だ。
「じゃあ、俺、行きます。どうかお元気で」
今生の別れのようなことを言って手を振る押しかけ弟子を見やって老学者も大きく手を振った。
次はどこに行くのかも決まっていない。次があるかすらわかっていない。
今までもそうやって自分のやりたいことをやってきたから、そこに恐怖はない。
でも彼はどうなんだろう。
(まあ、でも)
まだ彼には情熱がある。
能力も、どこにいたって生かせる力だ。困ることはない。
「今度は例の妹さんと挨拶させてよ」
「はねっかえりと生意気の二本立てですよ」
「でも大事なんでしょう、君にとって」
「そうですね」
やはり複雑そうな様子に老学者も曖昧に笑った。
「大事なものって増えるんですかね」
「増えるよ。それで年を取ると失ってく」
「夢がねえ」
小さくこぼす彼はまだ若い。
「そういえば護衛って言ってた彼、フィルツの時もいたね」
「あ、そうなんです。良い奴なんで、引き続きお願いしまして」
妹君を連れているせいかもしれないが、普段は単独行動を好む彼が誰かと一緒にいるのは不思議な感じがした。
「一人じゃないっていうのもいいよね、たまには」
「……そうですね」
やはり遠い目をしてしまうのは、何かがあったのかもしれない。
次に会う時には話してくれるのだろうか。
「信用出来るんで。まあ、楽ですよね、一人で気を張って行くよりずっと」
「そっか」
そうやって笑えるのなら、いいんだけれど、と老学者は少しだけ胸をなでおろした。
押しかけとは言え彼と会ってからの年月はそこそこ長い。彼に対する情を抱かせるには十分な時間だった。
息子というには少し無理があるが、頻繁に会う親戚の子ぐらいの感覚に近いのかも。
「でも、それも手の中からこぼれ落ちちゃうかな」
「不吉なこと言わないでくださいよ、ホント」
それじゃ、と頭を下げる彼を見送って、老学者は少しだけ今後のことを考えた。
ここで作業を続けるのは厳しいかもしれないと、ここ数日泊まり込みで作業をしてきて実感したことだった。
(久しぶりに故郷に帰ろうかな)
老学者にも兄弟はいる。
飛び出してきたとはいえ、頻繁に手紙を交わしていたし、仕送りも欠かさず行っていたから仲は悪くはない。
それで近くの作業場を探すのも悪くないと思った。
(ただ、遠いんだよなぁ。ケインくん、来てくれるかな)
故郷の話を、彼にはしたことがあっただろうか? ほとんどがその「好き」なものに対する話しかしておらず、自分自身のことを語ったことがあっただろうか。
(でも、まあ、会える気がする)
その得意な情報収集能力を駆使して、彼はきっと老学者に教えを乞いにやってくると確信があった。
きっとまた、あの情熱をほとばしらせて、彼はやってくるに違いない。




