3-33 遺志を継ぐ
流れる時間に逆らう術などなくただ佇んでいると、突然セフィが立ち上がった。
あまりにも唐突な動きに息を飲んでいると、セフィは両手で乱暴に自分の顔をぬぐってからこちらへと振り返った。
いつもの濁ったようなぼんやりした双眸は変わらず、ただ泣きはらしていたように目は赤い。
「呼吸」
セフィは震える声でぽつりと吐き出して、目線を床へと向けた。
俺へと歩み寄りつつも、迷うように息を吐いて、そしてあえぐように息を吸った。
「――止まってしまって」
「!」
ちらっと一瞬だけ背後のケインを振り返るセフィに、覚悟はできていたはずなのに思わず声を出してしまいそうになった。
「し、心拍――脈も、もう弱く、て――」
震えが止まらないと言う様子の手を握りしめて、何とか俺にそれを伝えようとしているセフィを残し、俺はケインに駆け寄った。
顔に近づいて呼気を窺うが、かすかな音すら聞こえない。
「――ケイン」
立ち上がり、見下ろして呼びかけるが反応という反応は見えない。
もう――。
「……」
「セフィ……」
いつの間にか横に並んだ少女に呼びかければ、彼女も放心したようにぼんやりとケインを見ていた。
呼びかけると、はっとしたように目線を上げて俺を真っ直ぐに見た。
「……やらなきゃならないこと、あるんです……」
迷子のような目をしてそう呟き、セフィは小さく息を吐いて、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「……ルカヤとイリーはどこですか?」
「……待合室で寝ている」
「……」
セフィは俯いて、再度深呼吸を繰り返した。
そして、ゆっくり顔を上げると待合室の方へと振り返った。
「……伝えるのか?」
「いいえ」
あの二人にケインのことを伝えるつもりかと、恐る恐る尋ねると、セフィはきっぱりと答えて首を横に振った。
聞くまでもない、事実であってもあの二人には重荷になる。
だからか、セフィの回答に少しだけ安堵してしまった。
「自分を責めてなんてほしくないし、あそこにも戻って欲しくもない、です」
「もう、あそこへは戻れないだろう」
小さな厩舎に押し込められていた奴隷たちの様子を思い出し、胸がつまるような心地になった。
救えないとわかっていて、彼らを見捨てたのも確かだった。
「だから、背中を押してあげないと」
「背中を、押す?」
「自分たちの力で歩けるように。そう、ですよね」
セフィは無理やり口の端を緩ませてぎこちなく笑ってみせた。
……んで……こんな……状況で……と呻きそうになり慌てて顔を覆う。
笑っていてほしい、と言っていたケインの姿が脳裏に浮かんだ。
こんないびつな笑みを、見たかったわけじゃない。それは、俺も同じだ。
「そうしないと、終われない。そうだよね、ケイン?」
「……終われ、ない……?」
意味が分からず、ただ顔を覆う指の隙間からセフィを見やる。
死を待つだけのケインを見下ろして、一度大きく頷いた。
「……それが、遺志だから」
「遺志……」
セフィはそれだけ語って、待合室の方へゆっくりと足を進めていった。
俺は一歩も動くことができず、ただケインを見下ろすばかりだ。
終われない、遺志、セフィが言った言葉を、声に出さないで呟いてみる。
「……」
何で、そうやって動いていけるのか。俺は動けないままなのに。
――無理しているのはあからさまで、笑顔とはとても言えないような笑みまで見せて。
なんで。
不意に『もし俺が死んだらセフィのこと頼むな』という言葉を思い出した。
なんだよ、不死身じゃなかったのか、という愚痴のような感情も一緒に出てきて、思わずケインを睨みつけてしまう。
大事なんだったら、自分で守れよ、とか、言いたかったが口には出さない。
頼まれても、俺の手には余るかもしれない。
だが、それもケインの遺志だというのならこの約束は違えてはならないのだろう。
「見かけによらず、気丈な小娘だな」
書類を書き終えたのか、医師が手にした書類をひらひらと動かしながらケインの枕元に立った。
苦々しいものを吐き出すように、そう言って舌打ちをする。
「ガキどもを庇ったって、どれだけお人好しなんだ。なのに、ガキどもにはこいつの死を明かさねえんだな?」
「……ああ」
「それはそれで後々しこりになるかもしれないけどな、優しい嘘なんていつかはバレる」
それでも、自分で歩きだすためにはそれは必要なんだ、と抗議することはできなかった。
何が正しくて、何が間違っているのか、そんな判断さえ今はできそうにない。
「このままじゃ事実を告げかねない馬鹿正直な医者は、ちょっくら書類を役場に出しに行っていなくなるとするか」
裏口から書類をとおすにゃちょうどいい時間だ、と医師は診療室の裏口から出て行ってしまった。
役場に出すのは例のケインの埋葬手続きなのだろう。
正直言えば全然受け入れられていないのに。
急かされているようにしか感じられない。
いつまでも一人で突っ立っていても仕方ない。
俺も、ちゃんとルカヤたちを見送らなければ。
灯りをつけていないせいで暗い。
次第に暗がりに慣れてきた目で見れば、ルカヤとイリーがセフィに抱きしめられていた。
「気を付けて」
「お姉ちゃんも」
ルカヤは慌ててセフィの腕から抜け出すと、少しだけ間をあけてそう言った。
イリーはまだセフィに抱きすくめられた状態で、セフィの背中に手を回すとぎゅっと抱きついている。
「大丈夫だって。兄ちゃんがついてるんだからさ」
屈託のない笑みでそう告げられて、少しだけ動揺したそぶりを見せたがセフィはイリーから手を離した。
そしてどこからか、折りたたまれたナイフを取り出すとルカヤの手に握らせた。
商人をその柄で殴りつけていたナイフか。
手の中のナイフに動揺を隠せない様子でルカヤはセフィに何かを言いかけたが、その前にセフィがルカヤに言った。
「万が一のために、持って行って」
「でもオレナイフの使い方なんて」
「何かあった時のための、お守り代わり。それケインの物だから」
「ケインさんの……」
もう一度ナイフをマジマジと見て、神妙な声をあげるルカヤは恐らく気づいているのだろう。
一度小さく息をついて、俺も彼らへと歩み寄った。
「あ、ヒューさん」
「持っていけばいい。使い方なんて後からいつでも覚えられるし。使わないに越したことはない」
ルカヤの手にナイフを握らせるように上から押さえつけ、しまうように言えばまだ躊躇いを見せたままルカヤはそれを懐に大事そうにしまいこんだ。
それを見届けて、俺はルカヤの首にがっちりとはまっている皮の首輪を外してやる。
「あ」
「外しておいた方がいいだろう」
続けてイリーの物も外してやれば、二人とも同じ首をさする動作をして同時に肩をすくめて首を傾げた。
兄妹の絆なのか、偶然か。首に違和感があるのかもしれない。
「ありがとう、ございます。オレ――オレたち行きます。明るくなる前の方が動きやすいと思うし」
「兄ちゃんを助けてくれて、本当にありがとう。そうだ、ケインにもお礼をしなきゃ」
「また今度! まだ目を覚ましてないんですよね!」
あからさまに慌ててルカヤは妹を止めている。やはり感づいているのか、と思ったがそれは表に出さず、俺は無表情を装い一度頷いた。
「あ、そっか。またいつか会えるよね?」
それは――
「会えるよ。でも、そのためには二人が元気でいないと駄目だから」
「うん」
俺とルカヤ、同時にセフィを見てしまった。
イリーを真っ直ぐ見据えて、セフィはもう一度大きく頷いた。
「会えるから、どうか元気で」
「セフィお姉ちゃんもね」
イリーの真っ直ぐな視線を向けられて、さすがにセフィは一瞬視線を下に落としたが、すぐにルカヤとイリーを交互に見て立ち上がった。
ルカヤはそんなセフィを気遣わしげに見ていたが、すぐに我に返ったように俺を見てぺこっと頭を下げた。
「ヒューさんもありがとうございました! ……ケインさんにも、そう伝えてください」
「ありがとう!」
二人そろってもう一度頭を下げると、診療所の出入口へ向かって駆け出していく。
扉を開けてまだ暗い町へと足を踏み出せば、こちらを振り向くことなく背中が夜闇に消えていった。




