3-31 恐らくこれが絶望
ルカヤとイリーの怯えた表情を直視できず、顔を伏せて二人から目をそらす。
同時に、セフィの気配が動いた。
「ケイン……、ケイン?」
セフィが呼びかける声に自然とそちらに視線を向ければ、ぴくりとも動かないケインをセフィが覗き込んでいる姿が目に映った。
一瞬、セフィは躊躇ったように手を引っ込めたが、すぐにケインの手を取り手首に指を絡ませて、耳を寄せている。
怖気そうになっているのをこらえ、俺は二人の方へと足を踏み出した。
土気色をしたケインの顔を直視するのが怖い。喪失を認めることになりそうで。
「どうしてこれ、抜いちゃダメなの?」
ケインの脈を確認しているセフィに、イリーが責めるような口調で質問をぶつける。
「……止血になっているからだ」
「……しけつ?」
俺が代わりに答えると、イリーの表情が一瞬だけ強張ったように見えた。恐らく気のせいではないだろう。
なるべく距離をとって抜いたままにしていた剣を鞘に納めた。
「……血が流れだすのをこれでせき止めているから、抜いたらたくさん血が出る……」
セフィが淡々とした声音で、補足する。
それを聞いてようやくイリーも理解したようだった。顔を青ざめて後退し、ルカヤの手をぎゅっと握った。
「あ、そうだ、医者!」
イリーと触れ合って、ようやくルカヤも我に返ったようだった。
はっとした様子で声を上げる。
「オレたちみたいな奴隷でも見てくれる先生がいるんだ! 夜でもお願いすれば診てもらえるはず!」
セフィの様子を気遣うようにルカヤは言った。そしてケインの手首を握り締めている彼女の手に触れた。
そんなルカヤの手とルカヤの顔を交互に見て、セフィはゆっくりと頷いた。
「案内、してくれる?」
「うん!」
ルカヤに手伝ってもらいながらも、ケインを支えて立ち上がろうとしているセフィから奪い取るようにして、俺はケインを肩に担いだ。
少々重いが、こうやって運んだ方が早い。
かすかにケインにはまだかすかに呼吸があるのがわかる。生きている。だからまだ――
「ルカヤ、イリー、先導してくれ」
「あ、はいっ!」
「ヒュー、さん……」
「急ごう」
何か言いたげなセフィを促し、走りだしたルカヤとイリーの後を追った。セフィもそれに続く。
背中に注がれている、残された奴隷たちの恨みのこもった視線は気づかないふりをした。
彼ら全員を救うことはできない。
「こりゃもう手遅れだな、手の施しようもねえ」
ルカヤとイリーを待合室に待たせておいてよかった。
医者に言い放たれ、最初に思ったのがそれだった。
何をいっているのか、すんなり理解ができなかったせいもある。
その年老いた医師は眉間に皺を寄せ、ただ診療台にうつ伏せに寝かしたケインの体を睨みつけている。触れようともしない。
「時間の問題だ」
「……そんな……」
医者の言っている内容を無理やり理解して、何とか俺が発したのはそんな掠れた声だった。
他に、何か方法は――あるはずだろう?
「内臓まで矢が突き刺さっている。今息があるだけでも奇跡なんだよ」
「……せめて矢を抜いていただけませんか?」
ケインを見下ろして小さく息を吐き、はっきりとした口調でセフィは医師に訴えた。
「助からないんだぞ?」
「でも、今はまだ生きているんです。……刺さったままなんて苦痛でしかない、です……」
「もう痛覚も消え失せてんだろう」
「それでも、せめて、寝かせてあげたい……」
セフィの訴えに医者は押し黙った。
生きているのならばせめて苦痛を和らげてやりたい、というセフィの気持ちはよくわかる。
もうすでに痛みを感じないと言っても、少しでも痛みがなくなれば、もしかしたら――そんなことはありえないとわかっていても願わずにはいられない。
「手伝え。そっちの大男、お前のほうが力が強そうだから、引き抜くのはお前がやれ。小娘、お前は」
「上から圧迫すればいいんですよね。やります」
医者に言われたとおり、俺はケインの体の横に立った。
ケインの上体を起こしい医者がその体をささえ、セフィが医者が用意した布を手に取った。
二本突き刺さっている矢のうち上の方を握って力任せに引きぬけば、セフィによって傷痕に布が宛がわれ、圧迫して止血が行われる。
――妙な気分だった。肉を剣で断つ感覚と似ているようで異なる。
思った以上に深く刺さった矢は引き抜くのにかなりの力が必要だった。
血が滲んでいる布をケインに押し当てているセフィを見下ろし、その手がおぼつかない様子であることに気づく。
動揺しているのに、止まることのない手。
どうして。
一瞬だけ浮かび上がった疑問は即座に振り払う。
血が止まったのを確認して、二本めの矢も同じように引き抜いた。
「ガキどもにこれでも食わせとけ」
と、年老いた医師に小さな焼き菓子を投げ付けられ、診療室を追い出されてしまった。
セフィは二度目の止血に必死に取り組んでいて今は全く余裕がなさそうだった。
我知らずため息を漏らし、待合室に出ると灯りもない暗い中、簡素な長椅子にルカヤとイリーは身を寄せ合うように眠っているのが目に入った。
夜ももう遅い。じきに夜明けだ。眠くなるのも当然だった。
寝ているところを起こすのも躊躇われ、二人の横に置いてある燭台を見ればろうそくが燃え尽きていることに気づいた。新しいろうそくを足そうかと思ったが寝ているのならば不要だろう。頭の中で逡巡していると、気配を感じたのかルカヤが目を開けた。
「あ……あの、……ケインさんは?」
答えに詰まってしまい、医者から渡された小さな菓子をルカヤに手渡した。一つずつ紙に包まれている菓子だ。
もしかしたら医者は答えにくい質問をルカヤたちがしてくるのだろうと察したのだろうか。だから菓子を寄越した、と?
ルカヤは俺の手から菓子を二つとも受け取り、二つとも眠ったままのイリーの手に握らせた。
「……どうやったら、ヒューさんみたいに、強くなれるんですか?」
俺が答えないので何かを感じとったのかわからないが、ルカヤは突然そんなことを尋ねてくる。
突然何を、という感じだ。今の俺自身が強いだなんて、そんなこと口が裂けたって言えない。
「俺は強くない」
「そんなことないですよ! あのご主人サマがいつも連れてあの剣奴に負けてなくって、すごいなって、オレも剣を習いたいって思いました」
「感情に任せて剣を振るったから、全然駄目だ」
苦笑いをして告げれば、ルカヤは「あ」と声を上げた。
俺の凶行ともいえる所業を思い出したのだろう。
「ちょっとだけ怖かった、ですけど、正直、すかっとしちゃったんです。駄目でしたか」
「あんまりいいことじゃないな」
ルカヤにそう言われて、少しだけ重くのしかかっていた後悔が軽くなったような気がした。
だが、師匠にバレたら本気で怒られかねない。
そういえば、ディノが刺された後も同じようなことをして謹慎処分をくらっていたことをふと思い出した。あの時は一切反省なんかしてなかったが。
あの時と今と、俺は全然学べていない。
「おい、大男、患者を移動させるから手伝え! ガキ、お前は寝とけ」
医者は口悪く俺に言って、ルカヤに向かって毛布を投げ付けてきた。
次から次へと人使いが荒い。
だが、口は悪いもののルカヤたちを慮っているのはよくわかる。
ルカヤがイリーに毛布を掛けて、一緒に包まったのを見届けてから、医師の言うことに従った。




