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3-30 冷たい感情

「おいおい、しっかりしてくれよ。まだ全部終わりじゃない――」


 言いながらも何かに気づいたらしい。ケインは抱き合っている兄妹の上から覆いかぶさるように抱き着いた。

 同時に商人が起き上がり、手元に持っている筒のような何かを操作したのを見た。


 何か――細長い串のようなものが、商人の手にしているものから飛び出した。

 それが何であるのか、判断する間もなく、もう一度商人の手が動いたかと思えば、もう一本が飛び出す。


「――っ!」

「ケインさんっ!」


 ルカヤの悲痛な叫びに、何が起こったのかを察する。

 商人の放った何かが、ルカヤたちを庇っているケインに直撃したのか。

 何かって何が? やはり判断がつかない。

 ケインたちへと視線を動かすと、商人が小さく鼻で笑った。


「っは。奴隷なんぞを庇うからだ!」

 


 ケインの背に突き刺さっているのは、二本の棒のようなもの。

 まるで矢羽根のない矢のような?

 

 咄嗟に判断ができない。上手く頭が回らない。

 ケインに突き刺さった矢のようなものは、商人が手に持っている筒状のものから発射された、んだろう?

 じゃあ――。

 

 必死で状況分析をしていると、イリーがケインに抱えられたまま、ケインの背に刺さる矢に手を伸ばしているのが目に映る。

 駄目だ、それは、抜いたら――。


「だ――」

「抜かないで」


 俺の制止の声をかぶせるように響いたか細くも鋭い声に、イリーは驚いて手を止めた。

 その声を発したセフィは、覚束ない足取りでふらふらとケインへと歩み寄っているところだった。あからさまに動揺しているのだとわかる。

 俺は――俺も動揺しているのだろう。頭がうまく働いていない。

 

 何で? 何が? そればかりが頭の中に溢れかえっている。

 ケインは、……どうなった……?


 「ふはははは、この俺に逆らうからだ! ざまあみろ!」


 場にそぐわぬ馬鹿笑いをあげた商人を睨みつければ、俺を見上げて嘲るような表情で唾を吐いた。


「奴隷ども、これに懲りて主人に逆らおうとなんて思わないことだ!」


 ひやりとした冷たい感情が胸を占めた。

 この男をどうしてやろうか、剣の柄を持つ手に力が入る。

 どうすればこの口を塞げるのか、その手段について考えこんでいたら、気づくのが一瞬遅れた。

 

 気付けば間近に迫ってきた殺気に驚いて視線を向ければ、のろのろと足を進めていたセフィが小刀を抜いて商人へと肉薄する寸前だった。


 "こいつはやると言ったらやる"


 脳裏にいつかのケインの言葉が蘇る。


 "やるぞ、絶対に"


 体は自然に動いていた。

 前のめりになりながらもセフィに駆け寄り小刀を携えている手首を押さえ、捻るようにその体を地面に転がす。

 セフィがうまく受け身をとったのを見て内心安堵した。


 "でも、そうなったら、俺はセフィを止める。止めたい"

 

 俺も、それをさせたくはない!

 立ち上がろうとしているセフィの目の前に立って、セフィを見やる。

 感情のない目がゆっくりと俺を見た。


「な……んで、です、か……?」

「アイリを斬るのも、この男を斬るのも同じだ」


 そう冷たく告げれば、珍しく動揺がセフィの態度に現れた。小刀を持つ手がびくりと震える。


「……ちがっ……」

「同じ命を刈り取る作業だ。その覚悟はあるのか?」


 セフィは俺の言葉に、開きかけた口をのろのろと噤んだ。

 不服さを隠しきれていないところから、理解派していないのだろう。


 激情に駆られて、怒りに身を任せて、人を斬ったらどうなるのかなんて、この一瞬で理解できないのは当たり前だ。

 だが、アイリを斬りたくないとすすり泣いていたこの娘にそれを背負えるのか。それを、背負わせることを、俺は拒否したい。


 甘いと言われようが構わない。

 俺もケインの守りたいものを守ってやりたかっただけ。

 どんな状況にあっても妹にそれをさせたくないというその願いを。


「こいつも、アイリも同じ人だ」

「……」

「俺も、ケインも、みんな」


 沈黙するセフィにこれ以上畳みかけるつもりもない。俺は商人の方へと向き返った。


「……なんだ? 何か言いたいことがありそうだな?」


 ふてぶてしい態度で尋ねてくる商人を、目を閉じることで視界から消す。

 ――守りたかったのは、ケインの守ろうとしたものだけだ。

 この男を黙らせたい。セフィと同じ気持ちは俺にもある。

 それに、相当にきているものも。


「――身分が上の者は下の者をどう扱おうが構わない、だったか」


 先日こいつが言っていた言葉だ。

 口にしてみればその言葉のあまりの傲慢さに笑いだしたくなった。

 そんなことはありえない。


 『王が王であるためには、市民が王と崇めているからだ』と、ディノはよく言っていた。

 市民を守るから王でいられるのだ、と。

 身分が上の者は身分が低いものを守らなければ、その地位はすぐに失墜する。


 そうだ。生まれたときから面倒だと感じていた、足枷だと思っていたその身分を今使ってやろう。

 こいつらのいう『特別な権利』として。


「似てると言ったな、アルノルト――剣闘士奴隷の英雄と俺が」


 この国での剣闘士奴隷、フィルツでは英雄である男の名前だ。

 脳裏に浮かぶのは、穏やかな表情でフィルツの街を歩いていた父の姿だ。

 今のこの状況を目の当たりにしたら、あの父はどう感じるのだろう。

 

「俺はフィルツのリヴァロス家の人間だ。わかるか?」

「リヴァロス……だと……? ……あのアルノルトが婿に入った……。まさか、お前は……!」


 商人は俺を見上げて驚愕の声をあげる。

 ようやく気付いたのか。父に似ていると言った時点でその可能性を少しも思いつかなかったのは迂闊だと言えばいいのか。

 何だかおかしい。

 剣の柄を持つ手は固く握りすぎて震えているのが自分でもわかる。

 この冷たい怒りのせいなのか、これから起こることへの武者震いなのかはわからない。

 

「お前の言い分が正しければ、貴族の俺が平民のお前をどう扱おうが構わないんだろう?」

「そ、それは……、……貴族サマがわざわざ平民などに、ましてや英雄の子が、こんな……!」


 ここにきてようやく動揺を見せる商人を冷淡な気持ちで見下ろし、俺は何も言わずに剣を振り下ろした。

 大した手ごたえもなく剣は地面を叩きつける。


「ひっ!」


 同時に商人が凍り付いたような悲鳴をあげた。

 綺麗に寸断された自分自身の左耳が、地面に転がっていることに気づいたのだろう。

 商人だけではなく、周囲を取り囲む奴隷たちにも恐怖の感情が感染していくのがわかった。

 

 俺が周囲を見回せば、そのほとんどが目をそらし、ごくわずか恐れを隠さずに睨みつけてくる目がいくつか。


「聞く耳なんてないんだろ?」


 聴衆の様子は気にもかけず、商人に揶揄するような気持ちで問いかけてやる。だが、商人は怯えるばかりで否定すらしない。

 

「次は鼻か」


 欠損してもただちに命の危険がない箇所だ。鼻の先端を少しだけ斬る。

 このまま放っておけば出血多量で死ぬかもしれないが、そんなこと俺の知ったことではない。

 地面に落ちた剣を振り上げる前に、力を振り絞ったように商人は這いずるようにその場から逃げて行った。

 

 最初から逃げておけばよかったのに。

 苛立ちまぎれに商人が置いていった左耳を踏みつぶしてやろうと踏み出しかけた。――その時。


「やめて、ください」


 強い口調でセフィに止められた。

 冷や水を浴びせられたような感覚に、はっとして慌てて足を引っ込めた。


 完全に頭に血が上っていた。

 バツが悪い心地でセフィを見やる。その背後にいるのは倒れ伏したケインと、そしてルカヤとイリー。

 二人は完全に怯えた表情で、こちらを見て固まっていた。

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