3-29 絶望には早い
――どうしたらいい?
胸中で、誰にともなく、答えもない問いかけを投げかける。
<虫>が増殖したら、それを見ていたら、この場もフィルツと同じようにそのほとんどが<虫>に貪り食われてしまう。
だから、<虫>は増殖するまえに、その宿主になっている者ごと斬らねばならない。
今までだってそうやってやってきた。
ただ憎しみを募らせていただけの者を斬ってきている。
同じこと、なのに。
「なんだ、あれは?」
<虫>の姿は商人の目にも奇異なものにうつるらしい。若干怯えがうかがえる表情をルカヤに向けて呟いた言葉に――ケインが動いた。
待て、と声になる前に、全速力で主人に突っ込んで行く男を止めようと『アル』が動くのを目の端でとらえた。ケインよりこっちをどうにかするほうが先だ。
『アル』の進行方向へと足を進め、条件反射で振るってきたと思われる剣をギリギリまで引き付けて踏み込んだ足で強く地面を蹴りつけ、反動で後退することで躱す。
ケインが商人に体ごとぶつかっているのを横目で確認しつつ、『アル』が空振りをした剣の派を軽く蹴りつけて『アル』の剣を持つ方の手首を掴んで軽く捻りあげた。
たまらず剣を落とす『アル』に、体の重心を落として右半身を後ろに引くようにして構え胸部に向かって拳を叩き込んだ。
たまらず膝から崩れ落ちて、咳き込む『アル』には視線をやらず、先ほど俺が放り投げた剣を拾い上げ商人のもとへと走った。
商人とぶつかりざま一緒になって地面を転がりながらも、ケインは何とか商人の腕に抱えられているイリーの手を進行方向の逆方向へと強引に引っ張った。商人の腕から抜け出したイリーをその場に残し、勢いよく商人を巻き込んだままもう一回転がった。
そして、商人に覆いかぶさる大勢から上体をおこし、こぶしを握りしめた途端に起き上がった商人に殴りつけられてしまう。殴られた衝撃でケインがよろめくと、その機を逃さず商人がケインに馬乗りになり体勢が逆転した。
商人は短剣を振りかぶり―― 絶対に、間に合う、間に合わせる! と、俺が足を踏み出し、商人を止めるよりも先に、俺の横を風のようにすり抜け駆け寄ってきてたセフィが商人の背後からその手に持つ短剣を打ち付けた。その手には先ほど放り投げたより小刀よりも小ぶりなナイフを握っている。
あれを隠し持っていたのか! なるほど、小刀を投げすてるのに抵抗がなかったはずだ。
俺が納得をしているうちにセフィは商人の手から短剣を弾き飛ばし、もう一歩踏み込むと同時にナイフの柄を使って商人の横っ面を殴りつけた。
痛さからか、その場でのたうちまわる商人の下から抜け出すと、ケインはまだ地面に倒れこんでいるイリーへと駆け寄っていく。
「セフィ、悪いな。助かった」
「……」
兄の謝罪に、セフィは嘆息を漏らすのみだ。
商人が自分が落とした短剣を手探りで拾い上げようとしているのを見下ろして、セフィは落ちている短剣を拾い上げる。どうするのかと見ていたら、それを持ったまま商人から距離を取って地面に力を込めて突き刺した。
そうしておけば、倒れ伏したままの商人が短剣を手にとることはできないから、それはそれで正しい処理なのかもしれない。
そのまま何も言葉を発することなく、セフィは先ほど自分が放り投げた小刀のほうへと軽い足取りでむかっていった。
ケインもそれを見ていたらしい。イリーの体を抱えて起こしつつ、その顔を覗きこみながらも、一瞬だけひきつった顔をセフィに向けた。
が、彼女からすぐにルカヤに視線をもどして、ケインは口を開いた。
「ルカヤ!」
ルカヤを取り囲んでいる<虫>が、少しずつ着実に増殖しているのが見て取れる。
「なくなってしまえばいい」と口にはしていたが、ルカヤの顔にはまだ迷いがあった。
<虫>の増え方も穏やかなのはその迷いのせいなのか。
<虫>は負の感情で増殖するものだとあのシステムは言っていた。その負の感情が薄れたら、もしかしたら止めることができるのか。
それは一縷の希望なのかもしれない?
斬り捨てる以外の生きる道があるのならば――。
そう思う反面で、俺は剣の柄を固く握り締めた。いつでもルカヤにとびかかれる位置を保ち、構える。
セフィも小刀を回収し、少し離れたその場所で静かに自分の両手を合わせている。彼女も俺と同じ気持ちなのかもしれない。
「まだだ!」
「ま、……だ?」
ケインの叫びに問い返すルカヤの目にあるのは、絶望とそして恐怖も少し混じっているようにも見える。
「まだ、絶望するには早いっ!」
「……絶望……はや……い……?」
その言葉を反芻するように、ゆっくりとした言葉で呟いてルカヤは目を閉じる。
「早く、……なんか……ないっ!」
<虫>が、一気に増殖して広がった。
思わず飛び出したくなったが耐えた。本能的な恐怖に対する反応だ。恐怖を覚える対象を消し去りたいと。だが、まだだ。まだ増える。
「父ちゃんが死んでからずっと、オレもイリーも人扱いされなかった! だから、今助かっても、明日はどうなるかわからない!だってどこにいってもオレは人じゃない! 奴隷は人じゃないから、助からないんだ!」
「でも、イリーは生きてる! ここにいる!」
「……兄、……ちゃん?」
現実味がないのか、ぼんやりとした様子でイリーは兄へと声をかけた。そんなイリーにルカヤは閉じていた目を開いて、まっすぐにイリーを見据えて、眉根を寄せその表情を曇らせる。
その顔にあるのは、絶望なのか。だが、ほんの少しだけ、ケインを一瞬だけすがるように見たその目は、希望を見出したいと訴えていたように見えた。
「今日を生き延びても、明日は駄目になるかもしれない」
「それでも、今日乗り越えなきゃその明日はこねーんだよ! 変わるかもしれないだろ! 変わらないものなんてないんだよ! お前らを人だって言ってくれる奴だって現れるかもしれない!」
ケインにまくし立てられて、ルカヤは押し黙った。
完全に納得はしていないようで、小刻みに何度も首を横に振っている。
「セフィが言ってただろ! ルカヤは人だって! 信じろよ! 自分を信じろよ!」
「信じ……る……」
「世界を壊さなくてもさ、【兄ちゃん】はやれるだろ! イリーの近くにいてやれよ!」
ルカヤは、大きく息を吐いたように見えた。
一瞬だ。ゆらめいたいた<虫>が一瞬で搔き消えた。
「イリー!」
「に、いちゃんっ!」
大きくかぶりを振って、ルカヤはイリーへと駆け寄ると、同じようにルカヤに駆け寄っていったイリーに抱き留められて、兄妹で抱き合った。
「……明日も、明後日も、ずっと生き抜いて、大人になって、世界変えろよ。多分できる」
小さな子供のように大声で泣きだしてしまった二人を見下ろし、そんなことをケインは言う。
「信じろよ、一人じゃないんだから。――ってなにぼさっと突っ立ってんだよヒュー?」
「……消えたのか……」
ケインに揶揄されて、そう尋ねる。
爆発的にふくれあがっていた<虫>が、一瞬で消え失せるなんて、そんなことが――。
そうだ、前にアルヴァーが振り払っていたあの不気味なもの、あれは<虫>だ。
あの時アルヴァーは混乱している様子であったが<虫>を自分の意志で消していたように見えた。
<虫>は自分の意志で消すこともできるのか。
掻き立てられ破壊衝動に駆られた感情を振り切ることができれば、できるのか?




