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1-08 夜中と明け方の間

 久しぶりに湯を張った風呂に入り、久しぶりに普通のベッドに横になる。ほんの少しではあるがアルコールも摂取して、久しぶりに良く寝る――つもりだった。


 前触れなく目が覚めた。

 辺りはまだ暗い。

 正確な時間はわからないが、感覚的には深夜と明け方のちょうど真ん中ぐらいだろうか。


 癖で寝巻きを脱いで着替え、剣を手にして、そこで我に返る。

 剣は布袋に覆われたままだ。抜くことはできない。


 何だか奇妙な感覚だった。

 癖で使うつもりもない剣を手にしてしまう自分に対してのものでもあったが、それ以上に取り囲んでいる空気がいつもと違うように感じられた。

 張りつめているというか、ぴりぴりとしているというか。

 こんな感覚を普通の宿で感じることが奇妙であった。


 酒に呑まれ過ぎて感覚が狂っているだけかもしれないし、そもそも勘違いなのかもしれない。

 だが、気にかかる。

 何だ? 何が起こっている?


 ベッドの上で逡巡していても結局は堂々巡りだ。

 着替えてしまったことだし、部屋から少しだけ出てみることにした。




 静まり返った暗闇が続く廊下には何の気配も感じない。それこそ不気味なほどに。

 一歩踏み出し、すぐに戻ろうかと一瞬迷ったが、足を進めることにした。――どことなく奇妙な感じがした。

 どちらかといえば嫌な予感に近い。


 後ろ手で扉を閉め、もう一歩足を踏み出したその時、隣の部屋の扉が小さく開いた。

 驚きで固まれば、小さく開いた隙間からセフィが顔を出す。


「……ヒュー……さん?」

「起きていたのか」


 この登場の仕方は心臓に悪い。激しくなった動悸を落ち着かせようと、努めて冷静にセフィに尋ねた。


「気配がしたので」

「あ、悪い、起こしたのか」


 俺が廊下に出た気配で起こしてしまったのだと、その言葉から判断し素直に詫びる。

 神経質なのか警戒心が強いのか、鋭いもんだなと思った。


「ケインは?」

「寝ています」


 薄暗い中でその輪郭しかわからないが、セフィはあの虚ろな目を俺に向けているのだろう。声にも抑揚がない。


「何か起きているんですか」


 何かが起こっているのか。何かが起こるのか。

 はっきりとはわからない。

 ただ、あまり良くない雰囲気な気がする。そんな曖昧な話だ。


「いや、何も起きていない」


「か、火事だ!! 火事だ――!!」


 どこかでそんな叫び声があがったのが聞こえた。

 火事? この宿で?


「今すぐケインを叩き起こしてくれ」

「はい」


 セフィは俺の命令にも近い言葉に素直に返事をすると、顔をのぞかせていた扉を閉ざした。

 俺もすぐに踵を返し、部屋に戻ると剣を手に取った。

 小さくため息を漏らしながらも、手早く布袋から取り出し鞘と柄を堅く結びつけた紐を解く。

   

 ――自分を守るために、あんたはまた剣を抜くんだよ


 昨夜のケインの予言がふと脳裏に浮かぶ。こんなに早く的中するとは。皮肉の一つでもいってやりたいが、今はそんな場合ではないだろう。


 鞘から刀身を抜く。刃こぼれが少々あるものの、まだ使えそうだ。その確認だけをしてずっしりと手にのしかかるそれを再び鞘に戻す。どちらかと言えば使い手の方がおんぼろだけど。

 ベルトに刀身を封じていた紐を通し、剣を括りつける。重量感が懐かしく、変な感慨を抱えながら再び部屋を出た。


「ヒュー」


 部屋から出た途端にケインに呼び止められた。彼もちょうど部屋から出てきた所のようだった。彼の持っているカンテラがぼーっと辺りを照らしている。


「火事って本当かよ?」


 先ほど違い、階下から行き交う足音が静寂を打ち破るように響き渡っている。

 誰かが繰り返し叫び声をあげているのも聞こえる。

 「火事だ、早く逃げろ」と。

 どこからともなく、焦げたような臭いが漂ってきている。煙や火そのものは見えない。

 あまりぐずぐずしていたらあっという間に煙か炎にのまれるだろう。


「セフィ、行けるか」


 ケインが部屋の中に声をかけると、着替えを済ませて荷物を持ったセフィが廊下に飛び出してきた。


「行くぞ」


 返事を待たず、二人を先導するように階段へと早足で足を進めた。

 こんなトラブルに見舞われるなんて、ツキから見放されているのだろうか。


 部屋は三階だ。

 階段を一階まで一気に駆け下りる。

 たどり着いた一回の受付ロビーは既に煙が充満していた。


 煙を吸い込まないように口元を腕で覆い隠すように出入口へと向かう。

 視界はあまり良くない。ケインとセフィの様子を一瞥して伺えば二人とも離れることなく後ろに続いていた。


「とにかく外へ」


 二人に声をかけると、ケインだけ大きく頷いて応じた。



 ロビー周辺は多数の人が行き交っている。

 火元を確認しようとしているらしき従業員や、俺たちのように外へと避難しようとしている客。何とか外へと誘導させようとしているのは従業員だろう。おかげで入口に人が殺到するような事態には陥らずに済んでいる。

 

 落ち着いて出入口へと向かう。

 前を歩く夫婦に続いて出入口の扉をくぐって、建物の外に避難することができた。

 焼死からは逃れられてとりあえずは一安心だ。

 これからどうするか考える余地ができた。


 今までいた建物を見れば、夕食を食べた食堂の方が大きく火の手が上がっているのが目に入る。

 火元は食堂の方か。火の後始末が失火の原因なのかもしれない。

 黒い煙をあげながらも、瞬く間に建物を炎が飲み込んでいくのをしばらく漫然と眺めてしまう。

 こちら側が風上のようで、黒煙はこちらには流れてこない。

 

 まだ宿泊施設の方には燃え移っていないようだが、あがっている火の大きさから炎に包まれるまであまり猶予はないようにも思えた。

 延焼を食い止めるのは難しそうだ。

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