3-24 躾
「離せよ! イリーが」
「……まだ待って」
暴れるルカヤの後ろ襟を掴んで動きを制しているセフィが、俺たちの接近に気づきルカヤをケインに向かって突き飛ばした。
ルカヤはケインに抱き着くよう倒れこみ、すぐに逃亡をはかろうとしたがケインによってあっけなく阻止されてしまった。
「一旦帰るぞ」
「……せめて、イリーの無事だけは確かめたいんです!」
必死で訴えるルカヤに、ケインは深くため息を漏らした。
「こんな時間に入れるのか?」
「こっちです」
ケインがルカヤの体を解放すると、ルカヤはちょうど近くにあった古びた木の扉へ歩み寄った。
厳重にも大きな鉄製の鍵が取り付けられていたが、ルカヤは簡単にその錠前を外すと扉を開けてみせた。
「壊れてるんです。でも壊れたままのほうが便利なのでご主人様には報告してなくって」
「それが正解だな」
出入りが奴隷だけならそこまで大きな問題にはならないが、侵入経路にされかねない。
家の中の確認を怠っているのが見て取れる。
扉をくぐれば広い庭が広がっていた。
やろうと思えば立派な庭園が造れそうな広さだ。
もしかしたらこの家自体が元々はどこかの貴族の持ち物だったのかもしれない、と直感的に思った。
造りが商人が好む機能的なものよりも、あそびの部分が多いように見える。
「こっちです」
塀の陰に隠れるように夜闇の中を駆けるルカヤを追った。
月明かりの下ぼんやりと浮かび上がっているのは粗末な小屋だ。もとは厩舎だったのかもしれない。
小屋に近づけば、ぱしんと何かを打ったような音が耳に届く。
同時に低い呻き声のような声も。
もう一度、同じ音が繰り返され、ルカヤははっとしたような顔をして小屋の扉を勢いよく開け放った。
「ちょっとま――」
ケインの制止はだいぶ遅れた。
扉を開ければ大きく広がる空間があるだけだ。
「……おまえ、生きてたのか?」
手に何か長細い板のようなものを持った年配の男が、呆気にとられたような顔をして、扉の前に立つルカヤを見やった。
「ばかだな、そのまま逃げりゃよかったのに、むざむざ戻ってきやがって」
「イリーは! イリーはどこにいるんですか!?」
その男の前へと駆け寄って、ルカヤは必死に尋ねる。
あけ放たれた扉から中を覗き込めば、建物の中にルカヤの前に立つ男とそれと壁沿いに身を隠すかのようにしゃがみこんでいる者が十数人程度いるのが確認できた。
ぱっと見ただけではその人々の年齢も性別もわからない。ただ、彼らがあの商人の『商品』なのかと予想がついた。
板を手にした男の首元にも首輪が巻き付いているのが見えた。
こいつも奴隷なのか。奴隷なのに、他の奴隷に対し高圧的な態度なのか、そういう構造だからなのか。
男の前に跪く若い男は、怯えたように肩を震わせて細長い板を持った男を見上げている。
「どけ! なんだその反抗的な目は!」
怒鳴りながら男はルカヤを横に押しやると、手にした物を跪いている男の腕へと叩きつけた。
しなった板が皮膚を打ち、乾いた音を立てる。
「そんな目、二度とできないように躾けてやる!」
「っ!」
二度、三度と板を打ち付けている様子に、憤りを通り越して気持ちが悪くなってきた。
これが、奴隷の世界で日常的に行われているのか。
「……奴隷が、奴隷に、暴力、すんのかよ……」
呆然と呟くケインの声はどうやら興奮している男には届いていないようだ。
壁の隅に張り付いている人間たちの何人かはこちらに気づいて、更に怯えたような様子で小屋の奥のほうへ移動していった。
あちらから見れば俺たちは怪しい侵入者に過ぎないことを、思い知らされる。
「イリーはどこなんですか!」
「うるさい! 邪魔だ!」
頬を板で貼り倒され、ルカヤはよろめいたがなんとか転ばぬように踏ん張って耐えた。
「ルカヤ!」
ルカヤが顔を上げて男を睨みつけるのと同時に、壁際で身を隠している奴隷の一人が名前を呼んだ。
声の方へと顔を向けたルカヤは、すぐにそちらへと駆け寄っていって、小さく息を飲んだ。
「イリー! なんで、一体……何がどうして……?」
ルカヤが尋ねると、そのルカヤを呼んだ者がぼそぼそと何かをルカヤに伝え、ルカヤは驚いたように大きく息を吸い込んだ。
「……叩かれて気を失った!?」
ルカヤの聞き返す声だけが聞こえる。
あの男が、イリーを気絶するほどあの板で叩いた――なんて、そんなこと、許されるのか。
気持ちが悪くなるほどの憤りを覚えていると、一つの影がむくりと起き上がり、ルカヤに抱き着いた。
「兄ちゃん」と消え入りそうな声だが、確かにそう言っているのが聞こえる。イリーの意識が戻ったことに安堵したが、憤りは消えそうにない。
同時に、どうやったらここから助けられるのか、という疑問が胸を占めた。
ルカヤを、イリーを、ここから連れ出すことができるのか。
「……ヒューさん」
セフィに呼びかけられ、我に返ってセフィをみやる。
ぼんやりした双眸が、俺の様子を窺っている。
相変わらずの無表情からは感情は読めないが、なんとなく「やれ」と言われるのを待っているような雰囲気だ。
駄目だ、事を荒立ててどうするつもりだ。
感情に飲まれそうになっていたことを反省し、セフィには首を横に振ってみせた。
俺にできるのは、斬ることだけだ。だが、今はまだその時ではない。




