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3-21 裏通りの悪夢

 目的地があるわけでもない、町の中を適当に歩く。

 病が流行しているとは思えないほど人の行き交いは多いように見えた。


 表通りから裏通りに入れば人通りが消える。

 あの奴隷たちの廃棄場所には敢えて背を向けこちらも適当に歩く。

 誰ともすれ違うことがない。気は楽だ。

 だがしばらくそうやって歩いていれば前方から人が歩いてきたのに気付いた。こんなところに――と、それはお互い様か。

 突然進行方向を転換することもできず極力注意を向けずすれ違おうとして、気づいた。


「あら」


 向こうも気づいたようだった。

 昨夜の酒場の女店主だった。あの商人の男の情婦だとかいう。

 女が挙げた声には気づかなかった振りをしてやり過ごそうとしたら、すれ違いざま腕を掴まれてしまい仕方なく足を止める。


「今、無視しようとしたでしょう」

「昨夜はどうも」


 世話になったとは決して言えない。低くそれだけ告げて女の手を振り払い足を進める。


「あんた、あの連れの子とちょっと違うわよね? 随分所作が綺麗だけど、もしかしてどこかいいところのお坊ちゃん?」


 そんなことを言いながらも女はなおも付きまとってきて、先ほどよりも強い力で俺の腕を掴んだ。

 今度こそは逃がさないという強い執念を感じ、仕方なく再度足を止めた。


「離していただけませんか」

「すかしちゃって。むかつくわね」


 腹が立つなら話しかけてこなければいいのに、と思ってまた手を振り払おうとしたら両手できつく握り絞められた。女の力とはいえ痛い。


「離せ」

「ねえ坊や、私を買わない?」


 ……買う?

 それの意味するものが、俺が思い浮かべたそれと同じものなのか思案していれば女は俺の腕を力を込めて引っ張った。

 この女の行動も、意図も不快でしかない。


「どう?」

「生憎興味がない」


 静かに告げれば、女の顔が一瞬で怒りに染まった。


「なんなのよ! 生意気に!」

「昨日のあの男はどうした?」

「あの人、若くないじゃない!」


 女の返答には色々な意味で絶句せざるをえない。

 身勝手と言っていいのか、ずる賢いが正しいのか。

 

「それにちょっとヤバいことやってるみたいだし、一緒に沈むつもりはない」


 そういう判断はやたらと冷静なんだな、と思わず感心してしまった。

 だがあの男の次の寄生先にされてはたまらない。


「金はない」

「何言ってんの、稼げばいいでしょう?」


 自分で稼げ――いや、稼ごうとしての手段なのか。

 いずれにせよまともに取り合うだけ無駄だ。

 その手をやや強引に振りほどけば、まだ怒りの消えやらぬ表情で睨みつけられたが、睨み返せば女の気勢が削げたのが目に見えた。

 女を置き去りにするような形で足早にその場から立ち去る。噴出しそうな苛立ちを抑え、俺はそのまま戻ることにした。




 家の中は、出かけた時と異なりなんだかほんのりいい匂いが漂っていた。ささくれ立っていた気持ちがそれだけで落ち着くような気がする。

 

「……おかえりなさい」


 セフィが食堂から顔を出して、すぐに引っ込めた。

 何か作ると言っていたが、食べ物の匂いなのだろうか。なぜか懐かしいような心地になる。

 

「おう、ヒューどうだった?」

「あの女」


 続けてルカヤを寝かしている部屋からケインが顔を覗かせた。

 言おうかどうしようか少し悩んだが、言葉にすれば少しは気が済むかもしれない。

 

「昨日の店の、あの女に会った」

「あれか。またなんか馬鹿にされたか?」


 ケインは渋い顔になって尋ねてくる。


「愛人契約を持ち掛けられた」

「はあ? え、何だそりゃ?」


 理解できないという様子を見せるケインにようやく現実に戻ってきたかのような心地に心底安堵した。あの裏路地での女の異常な会話はまるで悪夢でしかなかった。


「あの女すげえな、ひょっとして昨日見ただけでヒューの身分を嗅ぎ取ったのか!」


 それっぽいことを言っていた。が、正直ぴんとこない。

 そもそも俺の躾をしていたのは師匠だ。言葉遣いから動作、食事の仕方など事細かに指導したのは貴族だった母親じゃない。だから、どちらかといえば剣士やら兵士寄りだろう。


「……特殊能力か?」

「女の勘ってすげえよなぁ。あの女、商人のおっさんから乗り換えるつもりか」

「『一緒に沈むつもりはない』と言ってたな」

「ひでえ」


 呟いて、ケインは部屋の中に一度視線をやった。


「寝てろっつってんだろ」


 ケインが部屋の中に声をかけると同時に、小さな人影が勢いよく部屋から飛び出してきた。

 寝巻姿だが、しっかりとした足取りで二、三歩廊下を歩き立ち止まった。

 ケインを見て、そしてゆっくりと俺を見て、小さく「あ」と声を漏らした。


「えーっと……?」

「おかえりなさい、だろ。ルカヤ」

「おかえりなさい!」


 ケインに肩を抱かれ、ルカヤは真っ直ぐに俺を見てそう言った。

 ――動いて……いる……?

 呆然とルカヤを眺めてしまっている自分に気づき、はっと我に返った。

 動いて当たり前だ。目を覚ませば自分の足で歩きまわる。


「あんまり動き回ると、また熱が上がるぞ?」

「平気です!」


 力強く頷いた途端、ルカヤはその場にしゃがみ込んだ。

 ケインが慌てて手を貸すと、ルカヤは素直にその手を借りて立ち上がった。

 そのまま手を貸そうとするケインの手を断り、照れた様子でルカヤは笑った。


「今のは……ちょっと、まあ、ふらっとしちゃいましたけど」

「何も食ってないんだからふらふらして当然だろ」

「食べられないなんて普通のこと――」

「普通じゃない」


 敢えて強い口調でケインはルカヤの言葉を否定し、ルカヤにベッドに戻るように促す。


「今飯作ってるから、もうちょい寝て待ってろ」

「……だって、治ったんだからもう働かないと」

「完全には治ってない。ほらベッド行け」


 不承不承という様子で頷いて、ルカヤは軽い足取りでベッドに駆け寄るとそのままベッドに飛び乗った。

 目まぐるしいほど動きが激しい。次から次へとせわしない。子どもらしい元気な様子だが、奴隷としての習慣が身に付きすぎている。知らず知らずのうちにため息を漏らしていた。


「なんだよヒュー、ぼーっとして」

「……起きたのか」

「ついさっき。起きたばかりなのにあのテンション」

 

 うんざりと言いたげな口調なのに、ケインの表情は嬉しい感情を隠すつもりもないようだ。

 

「まだ感染するかもしれねーし、外にも出せないのに、あれ」

「ああ」


 元気すぎてすぐにでも外に飛び出していきかねない。

 ケインが思わず苦笑する理由はよくわかった。

 しかしあんなに元気があるのに、部屋に閉じ込められるのルカヤにとっては苦痛だろう。


「家の中歩き回るのも、飯食ってからにしとけ」

「わかりましたー」


 ケインの言葉にルカヤの返答が返ってくる。

 ただそれだけなのに、良かった、と噛みしめるように思った。

 それだけで救われたような気がしているのは、俺だけじゃない。ケインも同じように感じているようだった。


 イリーが来たらすぐに伝えてやらねばならない。

 誰よりもルカヤのことを心配しているのイリーだ。

 まだ顔を出してはいないようだが、今日も抜け出してこれるのだろうか。


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