3-19 客ではないから
イリー達兄妹の主人であるその男は、女に促されるがままカウンターに腰を据えた。
カウンターの中に戻っていった女は、男と言葉を交わしながらも酒の準備をしている。
女の表情から男が常連客以上であることは明らかだ。
「……愛人か」
「ああ、あのおっさん、ちゃんと妻子がいる」
やはりそうか。
わかりやすすぎて呆れすら覚える。
「ちなみに愛人の店もここだけじゃないんだよな。おねーちゃんが癒してくれる系の酒場も」
「幅が広すぎだろ」
「それぐらい精力的じゃなきゃ大商人になれないんだろ、商売の世界はよくわかねーけどさ」
「わかりたくはないな」
「同感。面倒くさそう」
こいつは一貫してそう思うのか。
「そういうヒューは? 囲うか?」
「無理だ。一人でもふりまわされる」
「あー」
よくわかる、と言いたげに頷かれてしまえば何も言えない。それを理解されるのは心地悪さがあるが。
そんな実のない会話を交わしつつ、男の挙動を窺いつつジュースを飲む。
もともと飲むつもりはなかったから却ってジュースでよかったかもしれない。
「それで新しい商売はどうなの」
「芳しくはないな」
「奴隷を売るって」
「しっ」
声が大きいと男に注意をされ、女は少しだけ声量を下げた。ひそひそ話になってしまったのでその先は聞き取ることができない。
だが、奴隷を売る、という単語ははっきり聞こえた。
この男、奴隷商なのか。
「妙な病が流行っているが何か聞いているか?」
「ほかのお客さんからそんな話をちらほら聞くけど、それ本当なの? 周りで病気になっている人なんていないわ」
「奴隷どもが次々と病気になっててこっちは商売あがったりだ」
神妙な顔つきになったケインと視線がぶつかった。慎重に頷いてみせる。
ケインは俺から目線をそらすと、グラスの中身を飲み干して、グラスをテーブルに戻した。
「病が広がる前に、感染した奴隷を捨ててるんだがな。どこまで防げるか。あれも元手はかかってる、大損害だ」
「捨てるって、奴隷といえども人でしょう? 怖い発想ね」
意外に女には情けの心が存在していたらしい。
そんな言葉を言いながら咎めるように男の腕にしなだれかかる女を横目で見やってそう思った。が。
「騙されんなよ、あれはポーズ」
「は?」
こっそりと指摘してきたケインに聞き返せば、ケインは苦笑いを浮かべているのがわかる。
「優しい女アピール。男の気を引く常套句」
「……」
そうなのか。
思わず呆然としてしまえば、ケインはしょうがないなと言いたげに小さく息をついた。
「……な、女って面倒だろ」
頷かない。しかし、少し納得してしまった。
面倒というよりは、少しだけうすら寒いとすら思う。
「身分が上の者は下の者をどう扱おうがかまわないさ」
「本当に怖いひと」
何を見させられているのだろう。
うんざりだ。男の言い分も、女のしらじらしい嘘も。
どう扱っても構わない、それがこの男の本音なのだろう。
完全に物扱いなその態度には引っかかるものを感じるが激しい憤りを覚えるほどではない。
「商品だっていうんだったら簡単に捨てるなって感じなんだけど」
ケインが向こうには聞こえない声でぼやく。
心情としては同感だが、この国では理解されない主張に違いない。
それがこの国の価値観だからだ。価値観はそんなに簡単には変えられない。
この国が嫌いだと言っていたケインの気持ちはよくわかる。俺もその価値観を受け入れられそうにはない。
ただ、人は平等と言って奴隷制を廃止しているフィルツにだって貴族という特権階級があり、皆が皆平等ではない。だからどこにいたってどこかしら人はみな不平等なのだろう。
「生きている人だぞ? なんでそんな残酷なことができる?」
「売れない商品は不良在庫だからな、維持費の分マイナスだ」
ケインの自問のような言葉に、男の言葉が返答のような形で店内に響き渡った。
もう、これ以上は、とケインを見やれば、憮然とした顔つきでケインは項垂れて、すぐに顔をあげた。
「お勘定でお願いしまっす!」
敢えて明るい声音で男と親密な様子で語り合っている女に声をかける。
わかりやすい嫌がらせだ。案の定女もむっとした表情でこちらを見て、金額だけを口にした。
こちらも案の定、相場の10倍近い金額を示してきた。
半ば予想していたとはいえ、法外な値段の要求をよくもまあそんな真顔でやれるもんだ呆れるやら感心するやら。
流石のケインも顔を顰めて口を開く。
「さすがにジュース二杯でこの値段はないんじゃないんですかね?」
「場所代よ」
そんなことも知らないのか、と馬鹿にしたように女が鼻で笑う。
男が何やら出し物でも見ているような愉快そうな顔つきでこちらを見ているのが目に入り、俺は無言で女が提示した金額より少し多めの金額の硬貨をカウンターテーブルの上に広げた。
わざとじゃらじゃらと小銭を並べたのは意趣返しの意も込めている。
テーブルの上でじゃらじゃらと小銭同士がたてる音に気付いた女の目がテーブルへと注がれたのを確認して、ケインの肩に手を置いた。
「行こう」
「大人しく支払うのかよ」
「騒ぎを起こしたくないんだろ」
文句を言ってくるケインに小声で告げて黙らせる。
ごねたところであまりいいことにはならなさそうだ。あの商人の男が向けていた蔑みが混じった目線を思い浮かべれば嫌悪感しかわかないが。
ケインもわかってはいるようで、何も言わずに店の出口へと足を進めた。
無言で退店する俺たちに、誰も何の声もかけてはこなかった。
「客商売なめてんのか」
と、ケインは怒りが冷めやらぬ様子で吐き捨てたが、それは完全に負け惜しみである。
俺は何も言わずに、居住区方面へと足を進めた。当然腹は立っている。ぶつけるところもない。
「客じゃないからだ」
「は? ――ああ、そっか、そうなのか」
俺の言葉の意味をすぐに察したらしい。
ケインは納得しつつも、呆れたような顔つきになった。
店の内装や調度品から言って高級店のつもりなのだろう。そこへ普段着の若者が何もわからず入ってきたらそれは店にとっては客ではない。
俺たちが客ではないのはもちろん、あの女だって態度も服装もそういう店には相応しくないといえるのでお相子だろう。ケインの不満は尤であるし、俺だって少しは苛ついている。
「差別が好きなんだな」
「自分が上流階級だと勘違いしている者こそたいていそんなもんだ」
「なんか説得力あるなー……」
感心したように言ってくるケインに、色々といわれたらりやられたりしてきた過去を思い出し深く息を吐いた。なるべく思い出したくなどない。そういうものだ。
「弱みの一つでも掴めるかと思って来てみたけどムカついただけで、完全な無駄足だったなぁ」
「あの男が奴隷商を始めたばかりだってことと、病気は主に奴隷の間で広がっていて市民にはまだ感染が広がっていないということはわかった。無駄じゃない」
「まあ、そうだけど」
「……やりようによっては、あの兄妹だけは救えるかもしれない」
もしかしたら、の話だ。確信はできない。
「買う、のか?」
やはりケインはそれに気づいていたのか。首を縦に振って肯定の意を示す。
あの男が奴隷を売買しているのならば、二人を買い受ければいいだけの話だ。
だが、それは難しいかもしれない。相手はやり手の商人で俺は専門外。ケインも、あの男とは相性が良くなさそうではある。だが。
「そういう手もあるって思っておけば少しは気が楽になるだろ」
「まあ、そう、なんだけどさ」
ケインは歯切れ悪く返して、住宅地の方へとふらふらと歩きはじめた。
俺も二、三歩遅れてその後に続く。
「せっかく生還できたってのに、またあの男の元に戻らなきゃいけねーってのも、なんだかなって思ってさ」
ルカヤの話か。
わかる、ような気がする。だが俺たちに何ができるというのだろう。




