3-16 救われる気がした
そこはかなり古ぼけた小さな一軒家だった。
裏通りに面した日当たりもよくない場所だ。さきほどの遺体置き場からは離れているせいかあの異臭はしていないのが救いだろう。
今にも崩れそうなドアをケインが手にしていた鍵で開け、開いたドアから中に入る。
埃っぽさに思わず咳が漏れた。
「ここは?」
「空き家だってさ。借りてきた。宿にはもどれねーし」
発熱した人間がいるから宿には泊まれないのは、まあ当然かもしれない。
しかし空き家を丸ごと借りて来るとは、ケインのその行動力には舌を巻く。
「さて、やることまみれでどっから手を付けたらいいもんかわかんねーけど、とりあえずやるか」
気合の欠片も籠らない声音でケインは呟いて俺たち全員を見回した。
この埃っぽさから言ってしばらく人が立ち入っていないのは明白だ。ここで看病をするというのならばたしかにやることが多い。
ケインとセフィがイリーの兄の着替えや寝床の準備をしている間に、家の中の清掃と水汲みをイリーと分担しながら行う。
水汲みは井戸まで少し距離があったので骨が折れた。ラグエド国内だと家の中まで水道を引っ張っていないのが一般的で水を使う場合には近くのわざわざ近くの井戸まで汲みに行かなければならない。
イリーは水汲みポンプの取っ手を手慣れた様子で上下させて水をくみ上げていた。いつもそういう仕事をしているのだろう。
水の入った桶から水をこぼさぬように運ぶのはやはり手慣れていた。
汲んできた水は家の中にあるたらいに移す。ある程度たらいがいっぱいになったからひとまず水汲みは中断。再び清掃作業だ。
一階には台所と食堂が一緒になった部屋が一部屋と、イリーの兄を寝かせた寝室が一室、二階にもう一部屋あるだけの本当に小さい家だ。
それぞれの部屋の床と廊下を拭き、ベッドのシーツをケインが用意した清潔なシーツに取り換えれば終了だ。
すぐに終わったしまった。
どんな様子かと、ケインたちの様子を見に行けば、セフィがイリーの兄の体を拭いているのがわかった。ケインは部屋の中の掃除をしているのか床に這いつくばっている。
「首輪は触んなよ。外したらわかるようになってるんだと」
「……外すと問題がある?」
「脱走奴隷と見なされて酷い目に合わされる」
そんな会話を交わしながらも、二人はそれぞれ作業を進めていた。
「あの、誰?」
イリーはセフィを指さして俺に問いかけてきた。そういえばちゃんと紹介もしていなかったか、と思っていたらケインが先に答えを口にした。
「俺の妹。言っただろ、俺は兄ちゃんだって」
「……あ、そう。あのさ、兄ちゃんに変な真似したら、ぶん殴るからな」
「わかった」
セフィはイリーの乱暴な口調も意に介さないようで、一度イリーを見て頷くとささっとイリーの兄の体を拭い、服を着せた。
慣れた手つきで布団をかけ、足元に置いた桶から新しい布の水を絞りながら取り出し、彼の額にのせた。
体を拭いたタオルを見下ろして、しばし考えたようなそぶりを見せてすぐに出入口へと足を向ける。
「……煮沸消毒、するから」
「ああ、消毒した方が良さそうなのまとめとく」
出入口に突っ立っている俺とイリーの横をセフィはすり抜けていこうとしたが、イリーが慌てたように声をかけた。
「待って。兄ちゃん、ルカヤっていうんだ。……お願い、兄ちゃんを助けて」
「今できることをやるだけ。それだけしかできない、けど」
珍しくセフィは足を止めるだけでなく、しゃがんでイリーと視線を合わせてそう言った。
「できることは全部やるから」
「……うん」
「熱が下がるように祈っていて」
「うん」
素直に頷くイリーにセフィも頷いて見せて部屋から出て行った。
煮沸と言っていたから水を沸かすのだろう。
「あ、あたし、そろそろ戻んないと叱られちゃうから、行かなくちゃ。ねえ、薬は、使わなくて大丈夫なの?」
「特効薬ってのはないんだよ」
不安そうなイリーを宥めるような口調でケインは言う。
「でも、お屋敷に出入りしている商人が言ってたんだ。発熱したら飲めば瞬く間に熱が引く薬があるんだって。ご主人様は購入してたみたいだけど……ものすごく高くて」
「それは、詐欺だ」
「詐欺?」
「そんな魔法みたいな薬があったら誰も死なねーだろ」
「薬を変えた選ばれた金持ちだけが死んでないってことじゃないの」
「そんなことはありえない」
やたらと断定的に言い切るケインにイリーは反論できず口を噤むしかない様子で項垂れた。
項垂れたまま、そのまま深く頭を下げ、そして、再度口を開いた。
「……わかった。兄ちゃんのこと、お願い。他に頼れる人、いないから、だから、どうか、お願いします!」
* * *
「つっかれたー」
前を歩くケインは大きく伸びをしている。
忙しなく動き回っていたからそう思うのも当然だろう。
裏路地で、イリーの兄、ルカヤを拾って、あの空き家を借りてきて、あれこれと買い込んで、セフィを迎えに行ってと大忙しだ。
追加の買い出しに行くから手伝えとケインに言われて、再び町へとやってきた。
「セフィは大丈夫なのか?」
彼女はイリーの兄、ルカヤのベッドに張り付くような形で様子を見ながら俺たちを見送っていた。
だいぶ疲れているように見えたが、大丈夫だからと言われてしまえば何も言えない。
「砂漠の民って、流行り病にはかからない体質なんだってさ」
「そんなのありか?」
「そうおもうよなー。多分あれだ、あの防御システムが言ってた、遺伝子に組み込んだってあれ、多分砂漠の民っていうのは何があっても生き残れるようにある程度操作して作られてんのかもな。まあ、単に病気に強いだけで体力も気力も普通なんだけど」
超人かと思ったが、そんなことはない、と。
操作して作られた、というのは少しだけひっかかるものがあるが。
「……あのさ」
何だか釈然としないものを抱えていればケインが俺の様子を窺うように視線を向けて、言ってくる。
「あいつ、イリーはちょっとだけ下の妹に似てるんだ。放っておけないのはそのせいもあって」
そこで言葉を切って、少しだけ視線を泳がせてから続けた。
「多分セフィも俺と同じで、イリーに妹を重ねてるから、あの兄妹を放っておけないんだと思う。あいつもあれで『お姉ちゃん』だからさ」
そうか、だからイリーに対しての少しだけ丁寧に接していたように見えたが、そういう思い入れみたいなものがあるのか。
あんな風に目線を合わせて話すほど気を遣っている姿に違和感を覚えていたが、理由を聞けば納得である。
「だから、巻き込んで悪いな」
「俺もできれば助けたい」
「んだよ、本当にお前っていい奴だよな」
茶化すように言ってくるケインの言葉は首を横に振って否定した。
本当のいい奴ならば今頃町の中を駆けずり回ってなんとか熱病が広がるのを止めようとしていただろう。そこまでやれないから、そう言われることに抵抗があった。
「あの兄妹を救えたら、少しは自分も救われる気がしただけだ」
「あー、そうだな、わかる。多分俺もそうなのかもな」
救えなかった者の代わりに別の者を救って、自分の心を慰めている。
それでも、その行為で救われるものがいるのなら、無駄ではないと信じたい。
「結局、手が届く範囲しかどうにもできないんだな。届くところにいた人間だって、今は助けられるかどうか危うい」
「まだ希望はある」
迷いを見せるケインに俺はきっぱりと言い切った。
まだルカヤは生きている。
「だから、まだ嘆くのは早いだろ」
「……まさかヒューに慰められるとは」
慰めるつもりなんてないのだが。
小さくため息を漏らすとケインは小さく笑って、「ありがとう」と消え入りそうな声で言ったのがわかったが聞こえなかったことにしておいた。




