3-6 思考の袋小路
「負の感情で増殖するって、厄介だな」
「誰でも〈虫〉を生み出せるってことだからな」
誰もがその可能性を秘めている、ということ、で。
今みたいに場所を選ぶこともなく、〈虫〉は増殖して全てを食らい尽くす。
その前に消滅させなければならない。――よくよく考えてみると、難易度が高すぎないか。
同じことに気づいたのか、ケインの顔色も悪い。
「今この瞬間にもどっかで増えてんのかも?」
「可能性はあるな」
「あの防御システムとやら増殖を阻止しろって簡単に言ってたけど、とんでもなく無理難題を押し付けられてるってことかよ」
ケインは怒りの矛先をあのシステムに向ける。だが、それぐらいの無理難題をこなさなければ、時を戻すことなど不可能なのかもしれない。そう考えるとケインの怒りを肯定できなかった。
増殖を阻止し続けるのに俺一人がどんなに力を尽くしても、完全に<虫>を消し去るのは不可能だ。
砂漠の民の力――セフィが操るあの力があってようやく可能性が見えてくる。
ケインの背中で眠りに落ちている少女を見やった。
――決して大丈夫、ではない、ような気がする。
「余計なことしちまって、本当に悪かった」
ネルイへ向かう馬車の中。
他の乗客は皆降りて、馬車に乗っているのが俺たちだけになった後、ケインがぽつりとそう口にした。
「馬車酔いするから」と、ケインは馬車に乗り込んだその時からずっと目を閉じていた。が、ひょっとしたらずっと起きていたのかもしれない。
「済んだことだ」
「それで終わらせちゃ駄目だろ」
目を開けて、抗議してくるケインを冷めた気持ちで見やる。
ケインの肩に頭を預け、眠っているセフィの姿を視界の端に捉えて、そのまま俺は視線を足元に落とした。 セフィはあれからずっと眠ったままだ。
乾いた泥で白くなった馬車の床を踏みしめている感覚を確認してからもう一度ケインを見た。
「――どの道、あの老人を助ける術はなかった」
「俺が声をかけたから、あの爺さんが〈虫〉を呼ぶはめになったかもしれない」
自省の念にかられているせいなのか、ケインは後悔の色をにじませた表情になった。
こんな時「お前は悪くない」なんて言ったところで何の慰めにもならないことはわかっている。
「何もしなくても〈虫〉を呼び寄せてたかもしれない」
「だけど! お前だって、あの爺さんを斬りたくなんて、なかった――だろうし」
「言っとくが、俺が今まで必死で修練して身に着けてきたのは人を殺す技術で、実際何人もこの手で殺めてきた。そんなの今更だ」
師匠から何度も繰り返し言われてきたことだった。
『きれいごとならいくらでも言える。だが剣は命を奪うものだ。それを忘れるな』と。
ずっと言われ続け、それ相応の覚悟は決めているつもりだ。
だから、感傷は抱いても飲み込むことはできる。
「けど! ゔっ……気持ち悪……、やっぱ酔う」
「寝とけ」
このまま、寝てしまって全部忘れてしまえばいい。忘れることなんてできなくても、寝てしまえばいい。
ケインは大人しく目を閉じて、身体を座席の背もたれに預けた。
この揺れと、粗末な座席では眠れたものじゃないかもしれない。それでも目を閉じていた方がましなはずだ。
「なあ」
眠るつもりはないのか、目を閉じたままケインはまた口を開いた。
「セフィに剣を手に取らせなかったのは、やっぱそういう考えから?」
「そういう?」
「セフィに背負わさないようにした?」
少しだけ思索する。
そう思っていたところもある。それは認める。だが、それよりも強く思っていたのは。
「できないだろ」
まだ幼さの残る娘が、非情になって何もかもを斬り捨てていくなんて想像もできなかった。
小刀を持ってへたり込んでいた姿が脳裏に浮かぶ。
覚悟なんて決められるのか。
「やるぞ」
低い声で、ケインはそう言い切った。
「こいつはやると言ったらやる」
「……」
「やるぞ、絶対に。そういう奴だ」
確信に満ちたそれに、何と返したらいいかわからず沈黙するしかなかった。
本当に? と問い返すのも違う。そうなのか、と頷くのも、実際セフィがそういう風に見えないから、それも違う。
「でも、そうなったら、俺はセフィを止める。止めたい」
「……ああ」
ケインの気持ちはわからないでもない。これには頷いて応える。
「だからさ、あの場でヒューがやるって言ってくれた瞬間、救われた気がした」
「そうか」
「ありがとう、って言いたかったけど、違うんだよな。結局はそれって押し付けてるだけなのかもな」
何だか思考の袋小路に入ってしまっているように見えるケインから視線を外し、流れている変わり映えのない風景を見やった。
馬車は街道を走る。日はやや傾き始め、夕方には乗り換えの町へ到着するだろう。
「考えごとしてると余計酔うぞ。寝とけ」
「悪い」
短く詫びて、ケインは口を閉ざした。停車するまで口を開くことはなかった。




