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2-インターバル 結ばれることはなくても


 悲鳴で飛び起きた。

 何度か深呼吸をすることで乱れた呼吸を整える。

 どうやら自分の悲鳴で起きてしまったようだと、息が整ってきたところでそのことに気づいた。

 息は整ったけれど、まだ心臓はばくばくと激しく脈打っている。


「……夢……」


 何だか恐ろしい夢を見ていたような気がする。悲鳴を上げてしまったのはそのせいだ。

 ただ、どんな内容だったのか、思い出すことができなかった。


 アイリは手を枕元に置いてある懐中時計を手探りでつかみ、蓋を開けて針に触れ、今が何時なのかを探った。

 目を開けていても閉じていても、目の前にあるのは暗闇でしかない。かろうじて日の光の強弱を識別できるぐらいか。


 目の前は見えない。だが、未来の出来事は僅かに垣間見ることができる。

 だから見えないことを恨むようなことはなかった。

 未来を見ることができるから、あの人の傍にお仕えすることを許されているのだから。


 時計の針の位置で時間はわかる。まだ真夜中だ。

 夜間はこの広い部屋にアイリは独りぼっちである。寝てしまうだけだから誰もつける必要はないとアイリが固辞したせいだ。

 心細さなど、大したことはない。

 もしかしたら見えないだけで誰かが潜んでいるのかもしれない。一人ではないのかもしれない。

 誰かがいたとしたら、それはそれで怖いけれど。

 もう一度横になって目を閉じてみる。

 夢ならば、あの方の顔も見ることができるのに。

 

 しばらく未来視では視ることができなくなったその顔を思い浮かべながらアイリは大きく息を吐いた。



 

「アイリ! お茶にしよう!」


 まだ朝にも近い時間、アイリの部屋に入り込んできた人物があった。

 彼が前触れもなく、唐突に訪れるのは珍しいことでもない。

 おかけください、と、部屋に置かれているテーブルへとアイリは誘導した。


「ディノ様、こんな早い時間からいかがなさいましたか?」


 もしかして困りごとかと問いかければ、彼は呆気にとられたように少しだけ間をおいて、すぐに大きな笑い声をあげた。


「違う。土産を届けに来たんだ」

「お土産、ですか?」


 どこかにでかけたというのだろうか?

 そんな予定はなかったはずである。アイリが首を傾げていると、彼がアイリの手に触れるとその手の上に何かを乗せた。

 蜂蜜だろうか、甘くていい匂いが漂った。


「菓子を作ってもらったんだ。一緒に食べよう」

「は、はい……」


 侍女がお茶を入れたのか、菓子の甘い匂いに紅茶の匂いが交じり合う。

 まだ朝食を食べたばかりだというのに、なんとも食欲を刺激する。

 指先から伝わる、彼から渡されたそれの感触はとても柔らかく少しでも力をこめたらつぶしてしまいそうだとアイリは思った。


「いただきます」


 目の前にいるのが王子様であろうと、この部屋の中ならば無作法は許されている。

 持っているそのお菓子を両手でそっと包み込むように持ち、アイリはそのままかぶりついて、口へと運んだ。

 ふわっとした触感は口に入れれば瞬く間に溶けてしまったような錯覚を覚えた。

 もう一口、と口を開けば、王子が小さく笑ったのがわかった。羞恥心で胸が高鳴ったが、それよりも食べたいという欲が上回った。口へとふわふわを迎え入れると、今度は中心からぽってりとしたクリームが表れて口の中を甘さで満たした。


「……美味しい……!」


 お菓子を食べる機会など、それこそ彼が持ってきてくれるお土産を食べるときだけだ。

 そこまで甘いものを好むわけではなかったが、夢中で食べてしまう。


「喜んでもらえたようでよかった。作らせた甲斐があった」


 手で包み込める程度の大きさだ。すぐ食べ終えてしまった。

 感嘆のため息をつきつつ、アイリは紅茶に手を伸ばした。

 

「作らせた? お城の料理人にでしょうか」

「いや、先日ここに来ただろう、ヒューのとこにいる少女に」


 紅茶を一口飲んで、アイリは再び首を傾げた。

 ここに来た人物、といえばすぐに思い浮かんだ。この方の乳兄弟と、その連れが二人。連れのうちの一人が少女であったことは記憶に新しい。それはわかる。

 なぜ、この方があの子に菓子を作らせたのかがつながらない。


「セフィの作る食事は美味いからな。アイリと一緒に食べたかった」

「え。あ、そうでした、か」


 ストレートな物言いに、思わずアイリも照れてしまう。この方がそう思ってくれているのは嬉しい。

 

「あの子は、料理人なのですか?」


 どんな娘だったか、と思い出す必要もないほど印象が強い少女だった。

 空っぽに近い少女だった。ただ、ずっとその状態ではないということも同時にアイリには視えていた。

 多分、あの子は――、と予感めいたものは未来視で得たものではなかったが、間違いなく「そうなる」という確信があった。


 だがそれは、口にするのは野暮だ。それ以上は心の裡へと潜ませておく。


「いや? 単なる客人らしいな。城で雇いたいと言ったが断わられた」

「やることがあるのでしょう。ですから無理やりはいけませんよ、ディノ様」

「そうだな」


 愉快そうに笑っているような空気を感じ取ってアイリも笑う。

 いたずらがバレた子どものようなバツの悪い表情をしているのだろうが、その内心は愉快でたまらないのだろう。


 色々あって出奔していた乳兄弟が突然帰ってきてから、この方の雰囲気はがらっと変わった。

 それまではどんな時でも感情を極力表に出すまいと抑え込んでいたように見えていた。例えアイリの前であっても。

 それが今は思ったそのままを表に出してくれる。相手がアイリだからというのも勿論あるのだろうが。

 その方が素のこの方らしい、とアイリはそれがとても嬉しい。


 アイリに対して、彼は心を開いてくれているのは言われなくてもわかる。

 そこにどんな感情がこめられているのかも、口にされなくても十分伝わる。

 アイリ自身も、彼に対しては特別な感情を持っているし、彼もそれを理解している。


 決して口にすることは許されない。

 隣にいることだって本当は許されない。


 過去から未来まで、この方の進む道はアイリと交わることはなく、結ばれることはない。

 それでも、現在こうやって笑っていられることがアイリにとっての幸せだ。

 不安も、期待も、全てを打ち明けて、そして楽しも悲しみも共有してくれるこの時間だけがアイリがアイリでいられる時間の全てだ。


 ほんのわずかな時間でもいい。

 この時間をこの先何があっても、いつまでも、与え続けてくれれば、アイリがもう望むことはない。


「そろそろ行かないとな」

「そうですね。またいつでもいらしてください」

「ああ。これからは少し時間がとれると思う」


 一番信頼できる人間が帰ってきたから、と彼は付け加えて、こらえ切れないように笑いを漏らした。

 そこまで信頼されることがほんの少しだけ羨ましいな、と思いながらアイリも笑う。


「あまり無理強いしてはまた逃げられてしまいますよ」

「逃がすと思うか? 見送りはいい。ゆっくりお茶をしてくれ。また近々色々頼みたいことがある」

「はい。いつでもお申しつけください」


 アイリが想いを寄せる彼の未来が見えないのは、彼の未来を見ることに恐れを抱いているからだと薄々気づいていた。

 そしてそれを彼も気づいているのだろう。

 それでも彼はアイリの力を信用し、重用してくれている。

 だからこそ、彼の力になりたい。


 今度このような時間を取ってくれるのはいつになるのだろう。

 部屋の中から慌ただしく退出していく彼の気配を追いながら、アイリはすでにその時が待ち遠しいと思った。

 そんなおこがましいことは口にはできない。

 自分だけのものにはなれない。自分はあの方だけのものなのに。


 それでも、想いあっていても、決して結ばれることはなくても、近くにいられるのは幸せだから。

 どうかこの幸せが生きている限り続きますように、と、アイリは強く願わずにはいられなかった。

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