2-33 <虫>
目を開ければ、塗りつぶされたような白い世界。
俺の前に立つのはセフィ、そして少し離れた場所にケインがしゃがみ込んでいるのが見えた。
――生きて、いるのか?
俺も、セフィも、ケインも?
「んだよ、一体全体、何なんだ!」
ケインの叫び声に、金縛りが解けたかのような心地で抱えていた腕を手放した。
体は動く。呼吸は止まっていない。
まだ死んでいない。
襲い掛かってくるそれに、死の恐怖を覚えていた。あれに触れれば死ぬ、本能的にかそれがわかっていた。
だが、俺は生きている。手を見下ろせば見慣れた手のひらがあった。
――あれは、世界における、道理から外れたもの。
白い世界に突然響き渡った、平坦な声に自然と視線は上に上がった。
――無限に増殖を繰り返し世界に存在するありとあらゆるものを食い尽くす、あってはならないもの。いわば世界の敵。
「世界の、敵?」
聞き返したのはケインだ。
世界の敵とはまた規模が大きい話だ。
緊張で強張っていた体の力を抜きつつ続きを待った。
「つーか、ここは、どこなんだよ?」
――世界の防御システムの内部です。
システム?
ケインは俺よりは状況を理解しているようである。
なるほど、と呟いて何もない空間を見上げていた。
「防御システムって、なんだよ、それ? そんなのが存在するのか?」
――世界が危機に陥ると自動的に発動するプログラムです。
「自動的にって? 世界にそんなしかけがあったってことかよ? じゃああんたは?」
――対話をするために作られた疑似的な人格のようなものです。ヒトの脳を模倣して作られたプログラムで自我は存在しません。
意味がわからない。
一体何が起きているんだ?
広場はどうなった?
世界の敵は全てを食い尽くすと言っていたが、飲み込まれたはずの俺もケインもセフィも生きている。
――砂漠の民の子よ。
呼びかけられて、びくっとセフィの肩が震えた。
ケインを見やればセフィの反応に気づいたのか、不可思議そうな目をセフィに送っている。
「セフィ、どうした?」
――お前の使命を果たしなさい。
何もない空間から突然一振りの剣が降ってきて、セフィの目の前の地面に突き刺さった。
剣、いや、それは片刃の刀だ。セフィが持っている小刀よりも大きいもの。
セフィは突き刺さったその刀の前にしゃがみこんだが、刀に手を伸ばそうとはしない。
「使命? セフィ? なんだそれ?」
わけがわからないというようにケインがセフィに問いかけている。
同じ砂漠の民なのに、ケインは知らないのか。
――あの世界の敵、〈虫〉は世界を安定させるため、死の砂漠の血の底に封じられていました。砂漠の民は、封印を守る民。あの地で生活をすることで、〈虫〉の存在を知らず知らずのうちに監視する役割を与えられていました。
「知らず知らずって、知らないままそんなのを背負わされているってことなのか? あの地下都市に、そんなもんが存在していたってことかよ! って、それが外に出ているってことは、あそこは?」
ケインが不快そうに顔を引きつらせながらも言い、途中で顔色を変えて言いながらもセフィの肩に手をかけた。
「セフィ?」
「…………封印は、とけた……」
「じゃあ、あれが、今見たあの何か空気のもやみたいなのか、地下都市に封印されてたっていう〈虫〉なのか……、お前、あれに?」
――監視するのと同時に、〈虫〉を外に出さないための防衛ラインでもあります。
「防衛ラインって!? そんな、知りもしないもんをどうこうできるかよ!」
――さあ武器を手にとりなさい。魂の大半が欠けていても、〈虫〉を消滅させることは可能でしょう。お前の魂に、遺伝子に、〈虫〉を消滅させるための力を組み込んで継承させてきたのだから。そのためにずっとあの地に縛り付け生かしてきたのだから。
生かしてきた?
言っている内容のほとんどは理解できなかったが、あまりの言い草にカチンときた。
あの恐ろしいものと対峙するために、生まれてきて、生かされて、そんなの――。
「できないよっ! そんなのできない!!」
初めて聞く、セフィの感情の籠った拒絶に、口にしようとした文句が吹き飛んだ。
年相応の感情のほとばしりというか。人間らしい声に正直驚いた。
「でき、ないよ……」
セフィの涙まじりになった声を聞きながら、彼女に近づけばその手に握りしめられているのがアイリが書いたメッセージカードだということに気づく。
〈虫〉はアイリを中心として増えていたように見えた。まるでアイリがそれを操作しているように。
でもアイリは不思議な力はあるとはいえ。それ以外は普通の娘となんら変わりがなかった。ディノを慕いディノの理想を自分の理想のように思っていた、普通の。
――〈虫〉は生物の負の感情を食らい増殖する特性があります。〈虫〉は近くにいる生物の負の感情をかきたて増やし、そして〈虫〉を増殖させて生物は死ぬまでその体内で〈虫〉を増殖させ続けるのです。〈虫〉の宿り主の命を絶たない限り悪夢は終わらない。
「アイリを斬れってことなのか?」
目の前に突き刺さる刀に目をやって俺はそう問いかけた。
セフィが拒絶する理由がわかった。
この少女は恐らく人を殺めたことがない。人の命を奪うことに躊躇いがあるのだろう。ましてやそれが知っている相手ならなおさらだ。
そんな残酷な仕打ちを、この声はセフィにさせようとしている。
――お前がやらなければ、世界は終わる。その血脈に受け継いだ『力』と、その武器を用いて〈虫〉を消滅させろ。お前はそのために今も生きている。生き延びた理由はそれしかない。
そんな言い方は――! かっとなった勢いのまま、俺は突き刺さった刀を地面から引き抜いた。
刀の形をしたそれは俺の手の中で剣へと姿を変える。
セフィが顔を上げて、突然姿を変えた剣に驚いている俺を真っ直ぐに見た。
涙にぬれているが、あのぼんやりした目はそのままだ。
咎めるような雰囲気を感じとったが敢えて気づかないふりをした。
「俺がやる。その方が確実だろう」
色々不可解なことはあるが、その〈虫〉を消さなければまずいということだけはわかった。
そして〈虫〉を消すために、アイリを斬る必要があることも。
アイリを斬るのは、セフィには不可能だ。
「……ヒュー、さん……」
涙を袖口で拭いながらセフィは立ち上がった。そしてケインに視線を送り、首を横に振ってみせ、すぐに俺に視線を戻す。
「『力』っていうのは? 使えるのか?」
「……使えるのは、ある程度、〈虫〉の動きを制御できる、力です」
〈虫〉に襲われて生き残ったのはそのセフィの『力』のおかげか。
それがよかったのか悪かったのか。
――決まったようですね。〈虫〉を消滅させたら、もっと詳しく話をしましょう。今から元の場所に戻します。




