2-22 虫のような災害
「んで、何があったんだよ? 上司に早退させられるほどのことか?」
それを、聞くか。
何も答えられないまま、差し出された皿を受け取る。
あの男の見せた表情で、思い出したくない記憶が掘り起こされてしまう。
今は、苛立ちよりも血の気が引くような怯えにも似た気持ちに胸中が支配されてしまっている。
――でも、別に、隠すような話でもない。どうせみんな知っている話だ。
大きく一回深呼吸をして、口を開いた。
「……今日、議事堂でウルガンに遭遇した」
「ウルガン?」
ケインは怪訝そうに眉をひそめて少しだけ思案し、すぐにはっとした表情を見せた。
「ウルガン=シーゲル? 例のあいつ? 遭遇した瞬間、胸倉掴み上げてからの私刑の決行とか?」
「するか」
それをやったら謹慎どころか運が悪ければ一晩留置場行きで、最悪裁判だ。
「ウルガン=シーゲルって、別に役人じゃなきゃ、兵士でもないよな? 何で議事堂にいたんだよ? 見学会とか開催してんのか?」
「議事堂の見学会に参加するような知的なタイプじゃない」
吐き捨ててから、あれは待ち伏せだったのだと気が付いた。
わざわざ議事堂に待ち伏せをするなんて、どれだけ暇なんだか。
出仕しなくても困らないぐらいの金はあるのだろう。
暇を持て余すぐらいだったら、せめて墓ぐらいは整備してやれよと言ってやりたい。
「ってことはヒューに会うために待ち構えてったってことか。性格悪っ!」
ケインもあの男の意図を理解したのか、軽蔑した様子で吐き捨てている。
「嫌味も言われたんだろ? そこまでの執念持ってるの、一周回って気持ち悪いよな」
「あの男……」
いわれた言葉を思い出せば、いつでも冷たいナイフで心臓をえぐられたかのような心地になる。
思わず利き手で目を覆う。消したいのに消えない。
「情事に耽っている場に呼び出して見せびらかすってことをやってのけるぐらい性格が悪い」
「は?」
ケインは目を見開いて俺を凝視した。
どうやらそこまで下種な行いをするとまでは思っていなかったらしい。
「エグい……」
数秒固まっていたが、理解ができたのか何なのか、そう呟いて小声になって聞いてきた。
「……で、見たのか?」
「……」
沈黙を肯定ととったのだろう。ケインは再び固まったが今度はすぐに吹き出した。
「それは、きつい。死にたくなるな」
「笑うな。お前も同じことされろ!」
「変な呪いかけんな!」
そうやって明るく笑い飛ばしてくれて、少しだけほっとした。
酒はいまいちだが、肴は美味い。
飲む量を極力減らして、その分食べることで場をもたせる。
昼間からの飲むのはとにかく時間が長く、体力の消耗が激しい。すっかり酔いが回っているケインはすぐにでも眠りに落ちそうな体たらくである。
聞いておきたいことがあったが、この状況で話などできるのだろうか。
とりあえず話を振ってみるか。
「砂漠の民の故郷は、死の砂漠にあるのか」
「あ? ああ、そう、いうことになってる」
そういうことになっている?
呂律に乱れはないものの、ケインは力が入らないのかなんだかふにゃふにゃとした様子だ。
「災害に見舞われたと聞いた」
「災害ぃ?」
今にも寝入りそうな顔を伏せた状態から、顔を起こしケインは眉間に皺を寄せた。
「どういう、てか、なんだそれ、噂? どこで流布してんだ、そんな出まかせ」
「セフィがそう言っていた」
「セフィ!?」
酔いが完全に冷めた様子でケインは大声を出し、戸惑いの感情をにじませた表情で口を開く。
「あいつがそんなことを言ったのか?」
「ああ。災害があって、皆助からなかった、と」
「災害……、助からなかった……?」
ケインは困惑しているようだ。まるでそれが初耳であるかのように。
まさか、本当に知らなかったのだろうか。
「……虫みたいな物がすべてを滅茶苦茶にしたって俺には言ってたんだけど」
「虫?」
「生物の虫じゃなくって、なんか要領得なかったからよくわからん。そういうものだって。そっか、俺がわけわからんって言ったから災害って言い換えたのかもしれない」
「虫みたいなものが災害?」
「何か生物とかけはなれた何かが、大量に出てきて街全体を食い尽くした? 破壊尽くした? とかそんな話だった」
災害が本当にあったのかをケインに聞きたかっただけなのに、話がよくわからない方向に行ってしまった。
生命とはかけはなれた何か。虫のような何か。街全体を破壊するもの。
この世界のどこかにそんなものが存在しているということか?
そんな、馬鹿馬鹿しい話信用できるか。そうやって笑い飛ばして終わりたい。だがそうできないのはセフィの存在があるからだ。
「セフィはそれを見たのか?」
「見てた、んだろうな。よくわからない。説明しようとすると寝落ちするから全部聞き出せないんだが、多分セフィはその虫? 災害? と直面して、心が破壊されてるんじゃないかって思ってる。俺の勝手な推測に過ぎないけどさ」
「破壊?」
「もしくは、貪り食われた、か」
そんなことが、ありえるのか?
そして、そんなものがどこかに潜んでいると?
恐ろしいとは感じる。だがあまりにも現実味がなさすぎて、物語か何かを聞かされているような気持ちだ。
とにかく、わけがわからないが、恐ろしいモノがこの世界のどこかにいる、それだけだ。
それ以外は全然わからないまま。
ただ、皆助からなかったとセフィが語っていたその事実が二人の心に黒い影を落としているのは間違いない。
あまり美味くはない酒がまずくなる話題だった。聞いてしまったことを後悔したが、やってしまったことはどうしようもない。
祝い酒だったはずなのに、ぎくしゃくしたまま、お開きとなった。




