2-20 形を消したくて
家の中に入ると同時に、セフィが顔を出す。
出仕だと言って出かけた俺の帰宅があまりにも早かったことに、セフィは何も言わずにすぐにどこかへ行ってしまった。
あの無表情からは何も窺えないが放っておいてくれるのはありがたい。
自室に戻って着替え、剣を枕元へ置いた。
ディノには「顔つきをどうにかしろ」と言われたが、思い出してしまった情景はなかなか消えてくれない。
こういうものから逃れたくて、酒に飲まれていたのだなと自省した。
同時に、飲まれることが楽でもあった、と、自己正当化をしていることに気づいてかぶりを振る。
こうやって家にいると不快感は募る一方だ。
せめて散歩にでもいこうか、と、勢いをつけて立ち上がった。
自宅から一歩外へ出た途端、丁度帰って来たケインとぶつかりそうになった。
「あれ、出勤したんじゃなかったけ?」
「上司に無理やり帰らされた」
「ほー、良い上司だな」
俺を見るケインの目が怪しく光った――ような気がした。
嫌な予感を覚え、足早に立ち去ろうとしたが。、ケインに襟を掴まれ一瞬息が詰まる。
「んじゃあ飲みに行こうぜ!」
「この時間からか!?」
昼前だ。
まだ昼食の時間にもなっていないのに、とケインを睨みつけながら襟を掴んでいる手を振り払う。
「ほら、ヒューの復帰祝い。時間があるならやっとくべきかなって思って。奢るぜ?」
「……」
復帰祝い、と言われても、そんなめでたい話じゃない。
しかし好意からの言葉をそんなにばっさりと切り捨てるのもどうなんだ。
どうせ行く場所なんて師匠のところぐらいしかない。
断る必要もないのではないか。
ケインには聞きたいこともあったし、言っておきたいこともあった。
「わかった。行こう」
「え? 本当に!?」
なぜ誘った方がそんなに意外そうな顔をするんだろう。
商店街までやってきて、ふとケインが思いついたように口を開いた。
「あ、そっか、別に店で飲む必要はないのか」
「……」
ケインの言っていることは一理ある。
だがそれは悪魔の発想だ。
「酒と食べられるもん買って家で飲もう!」
「……わかった」
家飲みには際限がない。過去の経験からいやというほど身に染みている。
しかし、こんな真昼間から開いている店なんて碌な店ではないことはわかっている。
だからその判断は正しい。
正しいが、それが、危険極まりない行為だということをわかっているのだろうか。
学生時代の友人たちや兵士の同年代の集まりが頭の中を一瞬で駆け抜け、途端に心が嫌な気持ちに塗り替えられたような心地になった。
あれを、今からやれ、と?
ケインは全然わかっていない様子で、商店街の方へと歩きだしている。
重い足取りで、俺もその後を追った。
「セフィ! 適当につまみを頼む」
「……」
出迎えた途端にケインから手渡された食材にセフィは無表情で食材とケインの顔を見比べている。どうやら面食らっている様子だ。
「……いいけど、どうしたの?」
「お祝いだから。ヒューの復職祝い」
セフィのぼんやりとした目が俺を見て、すぐにうなずいたことでその目がそらされる。そのままその目は誰にも向けられることなく、セフィは食堂へと行ってしまった。その姿はいつも以上にぼんやりとしているように見えた。
「とりあえず復職おめでとう」
一応酒の購入量は極力抑えたつもりだ。
手のひらサイズの酒瓶を俺に手渡し、ケインも同じものを手にして、酒瓶同士をぶつけ合う。
瓶に直に口をつけ勢いよく飲みはじめるケインを見やる。
色々不安材料が多いが、大丈夫なんだろうか?
訝しがりながら、俺も酒瓶に直接口を付け、少量口に含んでからゆっくりと飲み込んだ。
飲み込んだ瞬間、体内にアルコールが浸透していくようなあの感覚が唐突に蘇って、ほんの少し小さな恐怖心が生まれた。
あの時に戻ってしまうのは、正直言って怖い。
あの場所に戻ってしまったらもう二度と戻ってはこれない。
そんな気がしていた。
あの時、あったのは消えたいという強い思いだった。
何かで塗りつぶして俺自身をこの世界から消してしまいたかった。
でも『俺』といういう形は案外しっかりしていて、どうやっても消えてくれなかった。
しかし、酔ってしまえばそこは現実ではない場所で、何もかもが曖昧になった。
その時間だけ境界が溶けて形がなくなるような感覚に陥ることができた。
そうやって俺は酒にのめり込んでいった。
そんな風に自分が置かれていた状況を分析していると、あの時俺に常に付きまとっていた非現実感を渇望する思いが蘇ってきた。
酒に伸びそうな手を何とか理性で押さえつける。
「――調べ物は終わったのか」
恐怖心や苦しさを誤魔化すようにケインに問いかけてみた。
一区切りと言っていたが、こいつの図書館通いも長くなった。もうそろそろ作業も終了するのではないか。
そう見当を付けての問いかけに、ケインは少し目を泳がせ、再び瓶に口を付けた。
「そうだな。もう終わってんだよな」
「そうか」
「後は出発準備だけ、なんだよな……」
セフィがキッチンからやってきて、テーブルの中心に大皿を置いて再びキッチンに戻っていった。
皿にはクラッカーとドライソーセージと昨日の残りのパンを薄切りに切った物が並べられていた。
端には先日ケインが絶賛していたキノコのオイル煮が添えられている。
店で提供されるように盛り付けされている。
色々なジャンルの料理を作ってくれているのもそうだが、何とも器用な娘だと改めて感心した。
「お前がネルイに行っている間、もしよければうちでセフィを預かるぞ。どうする」
ネルイはラグエドからの独立関係で少々きな臭い。
決して安全とは言い切れないだろう。
その場所へあの状態のセフィを連れて行くのはかなり厳しいだろう。
二人とも危険にさらされるといっても過言ではない。
市民権を発行するということは、ケインはここに戻ってくる予定があるということだ。
だったらその間セフィをうちに預けておけばケインはもっと身軽に動けるし、安全に行動できるかもしれない。
そう思った。




