2-19 復職
昨日は結局帰宅が夜中になってしまった。
早朝から城へ向かう。まずは兵士の詰め所に行き、兵士長に復帰の挨拶からだ。
久しぶりの場所は、長い間訪れていなかったはずなのに離れていた感覚が不思議とない。
好意と敵意が混ざりあった視線を受けながら、兵士長への挨拶を問題なく済ませた。
兵士長から告げられた俺の所属はディノの直属の一人部署。俺の為に新設された部署だと心底呆れた顔で告げられた。
あれこれと周囲に気を遣わせるのがわかっていたので、却って今はその特別扱いがありがたい。
ありがたくもあり、多方面に迷惑をかけているので申し訳なく思う気持ちもある。
このままこの場に留まるのもいたたまれず、本日の仕事である書類業務を済ませるようと役場へと足を向けた。
話をしたい人間もいるが、これから時間はたくさんあるから今でなくてもいいだろう。
ディノの代行で市民権の発行手続きに来たと係員に告げれば、こちらが困惑するほど恐縮されてしまった。
「書類仕事は私どもの仕事です! どうぞお任せください!」
と、頭を下げられてしまえば何も言えない。
丁寧な詳細説明を受けた後、申請者本人と、推薦者であるディノの自署が必要な書類を持たされ、見送られるまま役場から追い出されてしまった。
――ひょっとしてこれは厄介払いなのだろうか。
受け取った書類を確認しつつ、知らず知らずのうちにため息が漏らしていた。
復帰したその日から周囲とうまくやっていけると思えるほど楽天的ではなかった。だが、もしかしたら思っていた以上に風当たりが強いのかもしれない。
それでも逃げるのはやめると決めたから、淡々と目の前の仕事をこなしていくしかない。
己を奮い立たせ、前方にそびえたつ城を見上げた。
次は城に戻って直属の上司になったディノに着任の挨拶をするべきか。
役場から城までは議事堂の中を通れば近道だ。
定例会の時期ではないから、人などいないにも等しいだろう。向けられる視線にややうんざりしつつあったから丁度いい。
人はほとんどいない、はずなのに。
前方からこちらへとやってくる集団に気づき、息が詰まった。
顔も見たくないと思っている人間だ。
こんなに容易く遭遇を許す自分の不運を呪いたくなる。
しかし相手は貴族で、俺も一応は貴族だ。ここは公の建物の中。
それ相応の対応が求められる。
向こうも俺の存在に気づいたらしい。
その表情に嘲りの色が混じる。
四人組の集団の中心にいるのは、シーゲル家の嫡男、ウルガンだ。
ミルドレットの墓石に『我が愛する妻』と刻んだ男。
そのウルガンの周囲を固めるのは貴族派の貴族の子息たち。
俺自身下町育ちで、貴族としての素養がない。
なおかつ頭のてっぺんから足のつま先までどっぷり王子派である。
この連中とは派閥という意味では敵。
生まれながらの貴族である彼らは俺にとっては遠い存在であり、まともに会話すらしたことはない。
だが、お互いの存在を認識してしまったこの状況で、踵を返すのは無礼な行為にあたる。
貴族同士のそういう『決まり事』は心底面倒だ。胸中で毒づきつつ、彼らに道を譲り頭を下げた。
家の格、という意味では俺の方が上。
だが、英雄だと言われている俺の父は貴族出身ではない。もっといえば平民ですらない。
それを考慮すれば、恐らく俺の身分の方が下。
こういう『家』が判断基準である貴族のふるまいは本当にわずらわしい。
出身を考慮しない兵士の縦社会に骨の髄まで染みていて、自分が貴族であることに違和感しかない。
「誰かと思えば」
そのまま通り過ぎてくれと願っていたが、案の定ウルガン=シーゲルは、頭を下げている俺の前でわざわざ足を止めた。
「しばらく療養をしているという話を聞いていたが」
「王子様のご温情により本日より任務に戻ることを許されました」
「そうか。国の為にせいぜい励んでくれたまえ」
――心を、殺せ!
頭に血が上ったのを自覚した瞬間、強引に押さえつけるよう自分に言い聞かせる。
幼い日から師匠から言われていたことだ。いつでもそうできるように訓練もしている。
「彼女の鳴き声、最高だっただろう?」
と、耳元で俺にだけ聞こえるようにそう言うウルガン=シーゲルに、大きく動揺してしまった。
心臓が激しく鼓動を打つ。血液が逆流するような感覚に奥歯をかみしめて耐えた。
あの時感じた怒りが蘇る。
かっと頭に血が上り、呼吸もままならないまま顔をあげれば、あの厭味なウルガンの笑みが目に映った。
堪えろ!
目を閉じて、その姿を強制的に排除する。
その背中に伸ばしそうになる手を逆の手で必死で押さえつけた。
ここで、騒ぎをおこすわけにはいかない。
「ウルガンは優しいよな、あんな雑種に声をかけてやるなんて」
「そのまま消えていればよかったのに、まさか戻ってくるなんてな」
わざと俺に聞こえるように厭みを吐きつつ、取り巻き共々気配が去っていくのを感じ取ってから目を開ける。
その程度の厭味なら普通に受け流せる。
連中の姿が完全に見えなくなるまでその場に立ち尽くし、大きく息を吐いた。
知らず知らずのうちにきつく握りしめていた手は強張り固まっていた。ゆっくりと指を伸ばし、手のひらを見下ろす。
俺のこの手から奪い去って来た連中だ。やってもいいなら追いかけて八つ裂きにしてやりたい。
「その顔は何だ」
「いえ、別に。本日より、王子殿下付きになりました。よろしくお願いします」
「雑な挨拶だな」
鼻で笑うディノに持っていた書類の一部を手渡した。
市民権取得申請の推薦書だ。
「ご記入をお願いします」
「わかった」
ディノには専属の近衛兵が常に警護のためにつきそっている。
よく見知った顔のそいつが俺にしか見えない角度で親指を立てた。「復帰おめでとう」とでも言いたいのだろう。このぐらいわかりやすく反応してくれるのは楽でいい。
俺の仕事は警護ではなく、王子殿下直属の兵、いわば「何でもやる係」だ。
「関係部署に挨拶だけしたら今日はもうあがってもいいぞ」
書類に目を落としディノはそう言ってくる。
「明日からは目いっぱいこき使ってやるからな。だから今日は休んでその顔、引き締めてこい」
「……ご厚情、深く痛み入ります」
「気持ち悪いな」
礼儀に則って頭を下げ慇懃無礼な口調で礼を述べれば、心底嫌そうにディノが呟いた。嫌がるだろうと思っているからこそやってる。
使用人頭や文官詰め所などに顔を出して挨拶を済ませ、大人しく下城した。
いつまでもぶらぶらしていたら、また会いたくない人間に会ってしまうかもしれない。
城も、役場も城下とは雰囲気から言って全く違う。
半日も滞在していなかったのに、久しぶりにあからさまな敵意にさらされたせいか、ぐったりしてしまった。
こんな具合で本当に大丈夫なんだろうか。




