2-14 あの夜から逃げだして生き延びたから
翌日、師匠のところで修復が終わった剣を受け取った。
鞘から引き抜けば、鋭く磨かれた刃が姿を見せる。
「随分早かったですね」
「英雄の形見なんて、そりゃ職人冥利に尽きるんだろうなあ」
俺の手の中にある剣をまじまじと観察しながら、師匠は言う。
この国では俺の父の名前は特別である。
死してなお憧れる者は後を絶たず、その背を追い続ける。
父が実際に使っていた剣なんて、マニアには垂涎ものに違いないだろう。
「そうだ、師匠。俺、城勤めに戻ることになりました」
「そうなると思った。ま、引退したらここを継ぐかどうか考えろ」
「だから、娘婿が――」
「カッシュの娘は?」
言葉を遮るように、師匠がセフィの様子を尋ねてくる。
昨日あんな風に倒れたから心配なのかもしれない。
「朝、目が覚めたようですが、少しぼんやりしていたので、会話までは」
「そうか。まあ生きてるならいいか」
災害の話を、ケインにも聞けてなかった。
何となくそこまで突っ込んだ話をしていいのか躊躇う気持ちが強いのもあるし、セフィが怯えていたように見えたから、聞くのが怖いような気がする。
「いつでもここに連れてくればいい。お前の家にずっと置いとくより気がまぎれるだろう」
「そうですね」
ずっと置いておく、わけではない。そのことをすっかり忘れていた。
今は、帰れば当たり前のようにケインがいて、セフィがいる。
だが、彼らは近々ここを去っていなくなってしまう。
そうか、また一人になるのか。
いや、俺は一人じゃない。なんだかんだ言ってディノの面倒を見なければならない。多分家に帰る時間すらもらえないような予感があった。
「お前もな。打ち込み稽古ぐらいなら付き合ってやる」
「そう言って、頻繁に来たら怒るでしょうが」
「当たり前だろう、引退したジジイをどこまでこき使うつもりだ」
声に出して笑う師匠は衰えているとは全然思えないぐらいに強い。
以前だったら、師匠と互角以上に戦うことができたが、今は正直無理だった。俺ももっと鍛えなければならない。これからの為に。
さっそく稽古をお願いすれば、師匠は嫌々そうなふりをしながらも応じてくれた。
夕方前に自宅に戻る。
玄関を開けたが、セフィの出迎えはなかった。
小さく息を漏らして、気が進まないまま一階にある食堂ではないもう一つの部屋へと向かって足を踏み出した。
ケインとセフィには絶対に入らないようにと言い聞かせている部屋だ。
ドアノブに手をかけて、一瞬だけ躊躇う。
忘れていた震えが全身を襲う。この部屋に入る時に覚えるのは恐怖だった。
付きまとう恐怖心を自覚しつつ、 「受け入れろ」と自分に言い聞かせ扉を開いた。
最後に見た時と同じように、整えられた部屋。床にも置かれた作業用の小さなテーブルにも、本棚にも埃が積もっているが想定内だ。
この埃が、ここに誰も立ち入っていないという証のように感じられた。
あの日から変わることのない。俺と一緒に立ち止まっている場所。
あの夜、久しぶりに自宅へと帰ってきた俺を迎えたのは、小さな違和感だった。
木が軋んでいるような小さな音。不調子で繰り返されるそれに気づいたのは、なぜだったまではもう思い出せない。
音の在り処を探ったことで、母を発見することができたことを不幸中の幸いと言っていいのか。
長時間母が吊るされたままだったらと想像するだけで寒気がくる。
梁に引っ掛けられたロープで首を括って吊られていた母を見つけた時、全てが凍り付いたような感覚だった。
足元に転がっていた丸椅子は、今部屋の隅に寄せているだけでまだ存在している。
梁にはロープがこすれて着いた傷が生々しく残っている。
あまり長い時間が経過していなかったのが幸いしたのか、目を背けたくなるほど遺体の損傷は激しくなかったと思う。
半ば錯乱していたからこの辺りの記憶が曖昧だ。
ただ、下に降ろした時、母はもうこと切れていた。それはしっかりと認識できた。
認識した瞬間、絶叫していたのだと思う。自分の喉が震えていたのは憶えている。
覚えていることと、記憶から消されていること。あの夜の出来事は混濁した記憶の中に沈んでいる。
わかっているのは、母親が亡くなったこと。
――殺された、こと。
知らず知らずのうちに、息を止めてしまっていた。
意識して息を吐く。目を閉じながら大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
大丈夫だ。
声は、出なかった。
この母親の部屋で叫び声をあげて、それで逃げ出したから。
全部を捨てて酒に逃げて、それで、もう一度帰って来た。
その時には何も思っていなかった。
深酒をしばらく繰り返して戻れないと悟った。このまま死んでもいいと思ってさえいた。でも死んでいなかった。
「……は……」
荒くなっていた息を無理やり吐いて整える。
許すつもりなんてない。
戻れないと思ったのに、戻ってきたのだから。
今度こそ、事実を見つける。
恐怖を決意に変え、俺は母の私室を後にした。




