2-9 友情とタイミング
「仕事はいいのか?」
「今日は店休日。仕込みも終わったし、ヒューと飲みに行ったって言やかみさん――エセルも怒れないだろうし」
悪企みをしているような笑みを浮かべて横に並んだドニに俺も苦笑いで応える。
「そんなに遅くならないように、子どもたちが寝る前にゃ解散すりゃいいだろ」
「それなら、まあ」
「久しぶりなんだから、楽しもうぜ」
ドニに肩を掴まれ引きずられるように店に入り、カウンター席に並んで座る。
ケインとはまた違う強引さだ。
「どれぐらいぶりだっけ? 最後に飲んだのは確か――」
「子どもが生まれる直前」
「そっか。そうだったよな」
臨月のエセルを家に置いて地元の同窓生たちと飲みに出てきたのがドニと飲んだ最後の記憶だ。
飲み会の途中で乱入してきたエセルに引きずられていったから絶対に忘れられない。
翌日エセルに呼び出され婦人会総出で叱られたという苦い記憶だった。
エールを注文するドニに対し、俺はソーダを注文しておつまみとして出された豆を塩で炒ったものを摘まむ。
「本当に店で飲むなんて何年ぶりだ? いいよな、こういう感じ」
「あと十数年すれば自分の子どもと飲めるだろ」
「そうか、そうだよな。うわー考えたこともなかった。楽しみだな。頑張って働かないと」
無邪気にそんなことを言ってくるドニはいっそ微笑ましくもある。
頬杖をついて、やってきた炭酸水で喉を潤しながら幼馴染を見やる。
ドニはエールを何口か喉に流し込んで、はあと大きく息を漏らした。旨そうに飲むもんだ。
「俺は、お前が帰ってきてくれてすっげえ嬉しいんだぞ、本当に」
塩炒り豆を一つ口に入れて、屈託のない笑顔を見せるドニに軽く頷いて、俺も豆を一つ口に放り込んだ。
そこへ注文していた肉のペーストとハムの盛り合わせが運ばれてくる。一緒に皿に乗せられたクラッカーに乗せて食べる。
さくっという歯ごたえと、がつんとくるしょっぱさを味わい、炭酸水を飲む。多分酒が進む味だ、これは。
何となく、どうでもいい世間話を交わしながらも、ドニは二杯目を注文した。
「かみさん、エセルは絶対に言うなって言ってるんだけどな。あいつ、お前がミルドレットと別れた時に、ミルドレットと絶交したんだよ」
「は?」
突然そんな話題が出てきたことに驚いて、間抜けな声を出してしまう。
「お前との絆を取ったんだよ。親友じゃなくて」
ミルーーミルドレットと、エセルは学生時代、大親友と言っても過言でないほど親交が深かった。それは卒業したあともずっと続いていたように思っていたが、そうじゃなかったってことなのか。
だとしてもなんで今更そんな話をしてくるのか、思惑がわからずただドニを見た。
「ミルドレットの葬式ん時、お前の憔悴しきってる様子に、何にもしてやれなかったって、エセルはずっと後悔してた。今でも十日に一度ぐらいはその話題口にだしてて」
「それは、エセルが気にすべきことじゃない。俺は」
「わかってても、気になるだろ。俺もさ、自分のことで精一杯でお前のことなんて気にしたことなかったんだよな。別れたって聞いても、まあヒューなら平気だろうって」
それはドニの反応の方が正しい。
誰と誰が付き合おうが別れようが、目の前にやるべきことがあるのならば気にしている余裕なんてなくて当たり前だ。
ドニもエセルも恨む気なんてなかったし、むしろ、見限られて当然だと思っていた。
「ミルドレットが裏切ったのを、エセルは絶対に許さなかった」
「裏切ってない!」
思わず、強い口調で否定してしまう。
彼女が裏切ったわけじゃない。むしろ――
「俺がしっかりしていなかったから、諦めたから、結果そうなっただけで、ミルドレットは何も――」
「はあ」
ドニは呆れたようにため息をついた。そして同じように呆れたような視線を俺に向ける。
「お前を切り捨てて、別の貴族の家にさっさと嫁いでったミルドレットを悪く言う奴はこの国には多いぞ。だから、葬式だってあんなに――」
「やめてくれ」
聞きたくない、と首を振ればドニも口を閉ざす。
「出奔したお前を馬鹿にするような奴はこの街にはいない。同情されてんの、わかってんだろ」
「わかっては、いる」
ここが、故郷の居心地が思った以上に悪くないのは、皆が同情していて放っておいてくれているから、というのは肌で感じていた。
会えば大抵「よかった」と言ってくれる昔馴染みや、旧知の間柄にある人々。ありがたいが、彼女が悪女呼ばわりされているのを耐え続けるのはつらい。
「ヒュー、あん時さ、おふくろさん亡くして間もなかったんだろ。だから、お前も悪くない。悪かったのはそう、タイミングだ」
「タイミング、か」
「一応、経験者からのお言葉として、聞き流してもいいけど、聞け。結婚って結局は勢いとタイミングだぞ」
いきなり何を言い出す? 反射的にドニを睨みつけてしまい、たじろいだ様子にすぐに目を逸らす。
飲んでいないのに、少しだけ酔っているような感覚になってしまっているのは店の雰囲気なのか。
「つーか、タイミングさえ合って、勢いがあれば。誰でも結婚できると思う」
「誰とでもか」
「おう、逆にそれがなきゃどんなに縁が深くても結婚できねーよ。ヒューに足りないのは、勢いだな」
勢い、か。
どこか及び腰になっていたのは、自覚がある。原因もわかっている。
「出世したかったんだ」
「あーだよな」
思わず本音を口に出せば、「わかるわかる」と何度もうなずいてくれるドニは本当にいい奴だと思う。
そうだ、権力が欲しかったんじゃない。欲したのは安定した給料だった。
金もない状態で結婚とかどうこうできると思っていなかった。
安定するその未来が訪れるまで先延ばしにしてしまっていた。
未来は訪れなかった。そういうことだ。




