2-11 復職
昨日は結局帰宅が夜中になってしまった。
早朝から城へ向かう。まずは兵士の詰め所に行き、兵士長に復帰の挨拶からだ。
久しぶりの場所は、長い間訪れていなかったはずなのに離れていた感覚が不思議とない。
好意と敵意が混ざりあった視線を受けながら、兵士長への挨拶を問題なく済ませた。
兵士長から告げられた俺の所属はディノの直属の一人部署。俺の為に新設された部署だと心底呆れた顔で告げられた。
あれこれと周囲に気を遣わせるのがわかっていたので、却って今はその特別扱いがありがたい。
ありがたくもあり、多方面に迷惑をかけているので申し訳なく思う気持ちもある。
このままこの場に留まるのもいたたまれず、本日の仕事である書類業務を済ませるようと役場へと足を向けた。
話をしたい人間もいるが、これから時間はたくさんあるから今でなくてもいいだろう。
ディノの代行で市民権の発行手続きに来たと係員に告げれば、こちらが困惑するほど恐縮されてしまった。
「書類仕事は私どもの仕事です! どうぞお任せください!」
と、頭を下げられてしまえば何も言えない。
丁寧な詳細説明を受けた後、申請者本人と、推薦者であるディノの自署が必要な書類を持たされ、見送られるまま役場から追い出されてしまった。
――ひょっとしてこれは厄介払いなのだろうか。
受け取った書類を確認しつつ、知らず知らずのうちにため息が漏らしていた。
復帰したその日から周囲とうまくやっていけると思えるほど楽天的ではなかった。だが、もしかしたら思っていた以上に風当たりが強いのかもしれない。
それでも逃げるのはやめると決めたから、淡々と目の前の仕事をこなしていくしかない。
己を奮い立たせ、前方にそびえたつ城を見上げた。
次は城に戻って直属の上司になったディノに着任の挨拶をするべきか。
役場から城までは議事堂の中を通れば近道だ。
定例会の時期ではないから、人などいないにも等しいだろう。向けられる視線にややうんざりしつつあったから丁度いい。
人はほとんどいない、はずなのに。
前方からこちらへとやってくる集団に気づき、息が詰まった。
顔も見たくないと思っている人間だ。
こんなに容易く遭遇を許す自分の不運を呪いたくなる。
しかし相手は貴族で、俺も一応は貴族だ。ここは公の建物の中。
それ相応の対応が求められる。
向こうも俺の存在に気づいたらしい。
その表情に嘲りの色が混じる。
四人組の集団の中心にいるのは、シーゲル家の嫡男、ウルガンだ。
ミルドレットの墓石に『我が愛する妻』と刻んだ男。
そのウルガンの周囲を固めるのは貴族派の貴族の子息たち。
俺自身下町育ちで、貴族としての素養がない。
なおかつ頭のてっぺんから足のつま先までどっぷり王子派である。
この連中とは派閥という意味では敵。
生まれながらの貴族である彼らは俺にとっては遠い存在であり、まともに会話すらしたことはない。
だが、お互いの存在を認識してしまったこの状況で、踵を返すのは無礼な行為にあたる。
貴族同士のそういう『決まり事』は心底面倒だ。胸中で毒づきつつ、彼らに道を譲り頭を下げた。
家の格、という意味では俺の方が上。
だが、英雄だと言われている俺の父は貴族出身ではない。もっといえば平民ですらない。
それを考慮すれば、恐らく俺の身分の方が下。
こういう『家』が判断基準である貴族のふるまいは本当にわずらわしい。
出身を考慮しない兵士の縦社会に骨の髄まで染みていて、自分が貴族であることに違和感しかない。
「誰かと思えば」
そのまま通り過ぎてくれと願っていたが、案の定ウルガン=シーゲルは、頭を下げている俺の前でわざわざ足を止めた。
「しばらく療養をしているという話を聞いていたが」
「王子様のご温情により本日より任務に戻ることを許されました」
「そうか。国の為にせいぜい励んでくれたまえ」
――心を、殺せ!
頭に血が上ったのを自覚した瞬間、強引に押さえつけるよう自分に言い聞かせる。
幼い日から師匠から言われていたことだ。いつでもそうできるように訓練もしている。
「彼女の鳴き声、最高だっただろう?」
と、耳元で俺にだけ聞こえるようにそう言うウルガン=シーゲルに、大きく動揺してしまった。
心臓が激しく鼓動を打つ。血液が逆流するような感覚に奥歯をかみしめて耐えた。
あの時感じた怒りが蘇る。
かっと頭に血が上り、呼吸もままならないまま顔をあげれば、あの厭味なウルガンの笑みが目に映った。
堪えろ!
目を閉じて、その姿を強制的に排除する。
その背中に伸ばしそうになる手を逆の手で必死で押さえつけた。
ここで、騒ぎをおこすわけにはいかない。
「ウルガンは優しいよな、あんな雑種に声をかけてやるなんて」
「そのまま消えていればよかったのに、まさか戻ってくるなんてな」
わざと俺に聞こえるように厭みを吐きつつ、取り巻き共々気配が去っていくのを感じ取ってから目を開ける。
その程度の厭味なら普通に受け流せる。
連中の姿が完全に見えなくなるまでその場に立ち尽くし、大きく息を吐いた。
知らず知らずのうちにきつく握りしめていた手は強張り固まっていた。ゆっくりと指を伸ばし、手のひらを見下ろす。
俺のこの手から奪い去って来た連中だ。やってもいいなら追いかけて八つ裂きにしてやりたい。
「その顔は何だ」
「いえ、別に。本日より、王子殿下付きになりました。よろしくお願いします」
「雑な挨拶だな」
鼻で笑うディノに持っていた書類の一部を手渡した。
市民権取得申請の推薦書だ。
「ご記入をお願いします」
「わかった」
ディノには専属の近衛兵が常に警護のためにつきそっている。
よく見知った顔のそいつが俺にしか見えない角度で親指を立てた。「復帰おめでとう」とでも言いたいのだろう。このぐらいわかりやすく反応してくれるのは楽でいい。
俺の仕事は警護ではなく、王子殿下直属の兵、いわば「何でもやる係」だ。
「関係部署に挨拶だけしたら今日はもうあがってもいいぞ」
書類に目を落としディノはそう言ってくる。
「明日からは目いっぱいこき使ってやるからな。だから今日は休んでその顔、引き締めてこい」
「……ご厚情、深く痛み入ります」
「気持ち悪いな」
礼儀に則って頭を下げ慇懃無礼な口調で礼を述べれば、心底嫌そうにディノが呟いた。嫌がるだろうと思っているからこそやってる。
使用人頭や文官詰め所などに顔を出して挨拶を済ませ、大人しく下城した。
いつまでもぶらぶらしていたら、また会いたくない人間に会ってしまうかもしれない。
城も、役場も城下とは雰囲気から言って全く違う。
半日も滞在していなかったのに、久しぶりにあからさまな敵意にさらされたせいか、ぐったりしてしまった。
こんな具合で本当に大丈夫なんだろうか。
家の中に入ると同時に、セフィが顔を出す。
出仕だと言って出かけた俺の帰宅があまりにも早かったことに、セフィは何も言わずにすぐにどこかへ行ってしまった。
あの無表情からは何も窺えないが放っておいてくれるのはありがたい。
自室に戻って着替え、剣を枕元へ置いた。
ディノには「顔つきをどうにかしろ」と言われたが、思い出してしまった情景はなかなか消えてくれない。
こういうものから逃れたくて、酒に飲まれていたのだなと自省した。
同時に、飲まれることが楽でもあった、と、自己正当化をしていることに気づいてかぶりを振る。
こうやって家にいると不快感は募る一方だ。
せめて散歩にでもいこうか、と、勢いをつけて立ち上がった。
自宅から一歩外へ出た途端、丁度帰って来たケインとぶつかりそうになった。
「あれ、出勤したんじゃなかったけ?」
「上司に無理やり帰らされた」
「ほー、良い上司だな」
俺を見るケインの目が怪しく光った――ような気がした。
嫌な予感を覚え、足早に立ち去ろうとしたが。、ケインに襟を掴まれ一瞬息が詰まる。
「んじゃあ飲みに行こうぜ!」
「この時間からか!?」
昼前だ。
まだ昼食の時間にもなっていないのに、とケインを睨みつけながら襟を掴んでいる手を振り払う。
「ほら、ヒューの復帰祝い。時間があるならやっとくべきかなって思って。奢るぜ?」
「……」
復帰祝い、と言われても、そんなめでたい話じゃない。
しかし好意からの言葉をそんなにばっさりと切り捨てるのもどうなんだ。
どうせ行く場所なんて師匠のところぐらいしかない。
断る必要もないのではないか。
ケインには聞きたいこともあったし、言っておきたいこともあった。
「わかった。行こう」
「え? 本当に!?」
なぜ誘った方がそんなに意外そうな顔をするんだろう。
商店街までやってきて、ふとケインが思いついたように口を開いた。
「あ、そっか、別に店で飲む必要はないのか」
「……」
ケインの言っていることは一理ある。
だがそれは悪魔の発想だ。
「酒と食べられるもん買って家で飲もう!」
「……わかった」
家飲みには際限がない。過去の経験からいやというほど身に染みている。
しかし、こんな真昼間から開いている店なんて碌な店ではないことはわかっている。
だからその判断は正しい。
正しいが、それが、危険極まりない行為だということをわかっているのだろうか。
学生時代の友人たちや兵士の同年代の集まりが頭の中を一瞬で駆け抜け、途端に心が嫌な気持ちに塗り替えられたような心地になった。
あれを、今からやれ、と?
ケインは全然わかっていない様子で、商店街の方へと歩きだしている。
重い足取りで、俺もその後を追った。
「セフィ! 適当につまみを頼む」
「……」
出迎えた途端にケインから手渡された食材にセフィは無表情で食材とケインの顔を見比べている。どうやら面食らっている様子だ。
「……いいけど、どうしたの?」
「お祝いだから。ヒューの復職祝い」
セフィのぼんやりとした目が俺を見て、すぐにうなずいたことでその目がそらされる。そのままその目は誰にも向けられることなく、セフィは食堂へと行ってしまった。その姿はいつも以上にぼんやりとしているように見えた。
「とりあえず復職おめでとう」
一応酒の購入量は極力抑えたつもりだ。
手のひらサイズの酒瓶を俺に手渡し、ケインも同じものを手にして、酒瓶同士をぶつけ合う。
瓶に直に口をつけ勢いよく飲みはじめるケインを見やる。
色々不安材料が多いが、大丈夫なんだろうか?
訝しがりながら、俺も酒瓶に直接口を付け、少量口に含んでからゆっくりと飲み込んだ。
飲み込んだ瞬間、体内にアルコールが浸透していくようなあの感覚が唐突に蘇って、ほんの少し小さな恐怖心が生まれた。
あの時に戻ってしまうのは、正直言って怖い。
あの場所に戻ってしまったらもう二度と戻ってはこれない。
そんな気がしていた。
あの時、あったのは消えたいという強い思いだった。
何かで塗りつぶして俺自身をこの世界から消してしまいたかった。
でも『俺』といういう形は案外しっかりしていて、どうやっても消えてくれなかった。
しかし、酔ってしまえばそこは現実ではない場所で、何もかもが曖昧になった。
その時間だけ境界が溶けて形がなくなるような感覚に陥ることができた。
そうやって俺は酒にのめり込んでいった。
そんな風に自分が置かれていた状況を分析していると、あの時俺に常に付きまとっていた非現実感を渇望する思いが蘇ってきた。
酒に伸びそうな手を何とか理性で押さえつける。




