↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
128/133

5-11 生きている限り

 視界を埋めつくすほどの<虫>が彼女を中心に広がった。

 また、だ。また<虫>に飲み込まれる。

 咄嗟に剣を振るって体にたかってきた<虫>を消滅させるが、<虫>が消滅した空間に濁流のように<虫>が押し寄せて空間を埋め尽くす。きりがない。


「……そうよ、全部、消えて、あいつらも、私も――」


 娘が恍惚とした表情でまるで歌うように口ずさんでいる言葉が聞こえた。

 

 消えて――たまるか!

 体にたかる<虫>をはたき落としつつ、娘に向かって足を進める。

 人が<虫>を退ける可能性を、この娘に期待することは酷だろう。

 <虫>に促されたからではなく、心の底から消滅することを願っている。


 あの連中は人の尊厳を踏みにじる行為を簡単にやってくれたもんだ! おかげで<虫>にのみこまれそうだし、世界がどうなるのかも怪しい。

  恨み言のようなことを思うが奴らの大半はもう屍と化している。

 今はたぶん<虫>にむさぼり食われているのだろう。

 

 俺もじわじわ食われているのがわかる。剣を掴む手の輪郭がところどころ欠けているのが見えている。多分全身そうなっていると予想できた。

 

 俺だけじゃない。<虫>の宿主となった娘も、<虫>に纏わりつかれ体がゆっくり溶けるように失われている。


 こんなことになるのなら、斬ってやればよかったのかもしれない。

 死にたいと願うのならば、迷うことなくばっさりと。

 終わらせてやればよかった。彼女が望んでいたから。

 躊躇ってしまったのは、哀しかったからだ。


「ああ! これでようやく、私、浄化されるわ! 穢れた私じゃなくて、綺麗な私に戻れる……!」


 一気に彼女にたかる<虫>の数が増え、彼女の形が失せていくスピードもあがった。

 このまま、この娘の全てが<虫>に食い尽くされたら、消えてしまったら一体どうなる?

 爆発的な大繁殖だ、と以前聞いていたが、それが起こったら?


 俺が<虫>に阻まれ近づけないうちに、恍惚をその目に宿した彼女の相貌がじりじりと<虫>によって食い荒らされていく。

 あと、一息で――。


 一瞬、空気の感じが変わったのが分かった。

 宿主となった娘が在ったその場所に空気が集まるように風が吹く。

 はじまる。

 ランプの灯に照らされ、キラキラと光るゆらめきが、全てを飲み込むような大きな波のように目前に迫った。

 これが、終焉?


 ――覚悟などできるか!

 最後まで抵抗してやる、と構え直したその時、目の前に立ちはだかる影があった。


 迫りくる<虫>たちに手のひらをかざし、その軌道をそらす。


「セーフ」


 セフィだった。

 その力を使って、<虫>の動きをコントロールしているのか。


「セフィ」

「貸して」


 片手を目の前にかざしながら、空いている反対の手で有無を言わさず俺の手にある剣の柄を奪い取ると、セフィは片手で剣を構えた。

 集中するように、何度か呼吸を繰り返し剣を頭上へと掲げると、その剣がまばゆいばかりの光を放つ。

 <虫>の中で見た、この剣にある力だ。


「いっけえええええっ!」


 掛け声と同時にセフィは光を放つ剣を振り下ろした。

 同時に辺りが光に包まれ真っ白になる。目を開けていられないほどの眩さだ。

 目を閉じて、瞼の向こうの眩しさが失せてから目を開ける。


 景色は一変していた。

 連なっていた天幕は、すべて姿を消し、幕を支えていた支柱が数本、地面に突き刺さっているのが見えた。残っているのはそれだけだ。

 あとは何もかもが失せ、砂漠の地だけがその場に残っている。

 池、なんだろうか、水辺は残っている。セフィが言っていた地下都市の入り口はあれか。


 俺は、生きて、残った?


 辺りの様子をざっと見まわし、胸中に浮かんだ疑問をかみしめるように自分の両手を見下ろす。

 血にまみれた手、と、思いついたそのままを思う。

 だがそれは口に出さず先ほどまで手の中にあった剣を無意識に探せば目の前でセフィが膝をついていることに気づいた。

 慌ててしゃがみこんで彼女の様子をうかがう。


「セフィ、大丈夫か」

「……何とか!」


 荒い息を繰り返しながら、セフィは手に持った血ぬれた剣を俺に押し付けるように戻した。

 そしてその視線をあげて俺を見た。

 伸ばされたセフィの両手が俺の顔を包み込む。


「……あちこち、かじられ、てる……」


 小さく声を漏らすと、セフィは目を閉じた。

 再び集中しているような間を開けて、俺の全身がぼんやりとした光に包まれた。

 光に触れて、体中あちこちが痛んでいたことを知った。<虫>に表面を食われていたようだ。


「治せるのか?」

「レミー――妹から、使い方、聞いた……」


 俺の頬から手を放し、セフィはそのまま崩れ落ちるようにその場に倒れ伏した。

 

「セフィ!」


 呼びかけるが反応はない。

 細かく荒い呼吸を繰り返すのみだ。気を失ったようだった。

 

 セフィが意識を手放してしまえば、その場に残るのは俺一人だった。

 他に生き残った者は誰もいない。砂漠に一人だけ取り残された。そんな感覚に、全身から震えがきた。

 生き残った事実こそ、恐ろしくてたまらなくなった。




 完全な失態だ。


 湧き水池だと聞いた水辺までセフィを抱えて移動し、かき集めた枝を積み上げて火をつける。

 砂漠の夜は冷える。まだ砂漠の入り口だからか肌寒いぐらいの気温ではあるが、体温低下は避けなくてはならない。


 どんなに悲惨な光景が広がっていようと、セフィは連れていくべきだったのかもしれない。

 セフィがあの場にいれば、あの娘はもしかしたら思いとどまったかもしれないし、<虫>が大繁殖を起こす前にその力で止めることができただろう。

 ここまですべてを食い尽くされることは避けられたかもしれない。

 だが、それはあまりにも現実的ではない。


 俺はセフィを危険にさらす可能性があるあの場に連れていくつもりはない。

 もし時間が遡ってあの場に行っても同じ選択をするだろう。

 あの空気に、悲痛な叫びをあげる娘に、なによりあの下衆どもに触れさせたくはない。


 だから俺にできたのは<虫>を発生させる前のあの娘を斬ることだけだ。

 だったのに、下手な同情心を抱いてしまった。躊躇いが命取り、とはいつも俺がセフィに言い聞かせている言葉だというのに。それができなかった。


 先ほどまで苦しそうに時折呻き声を上げていたセフィは、規則正しい呼吸を繰り返して眠っている。

 夜明けまではまだ遠い。




「一体何があったの?」


 空が白み始めたころ、セフィが目を覚ました。

 体を起こして開口一番にそう言って、すぐに顔色を変えた。


「それよりも、血! ケガしてるの? 治したつもりだったけど……」

「返り血だ」

「……」


 セフィは沈黙し、自分の両手を見下ろした。

 剣を握ったときに付着したのだろう。手に付着した血を見て、もう一度俺を見た。


「……血……って誰の?」

「あそこにいた連中の」

「商人の?」

「いや。用心棒のようなものか、もしくはあれは野盗どもの根城だったんだと思う」


 それだけ聞いて、セフィは立ち上がると池のほうへと歩いて行った。

 手についた血を洗い落としているのだろうか、両手を池の水に浸して両手をこすり合わせるような動作をした後に手を水から出した。


「ここで少し休む?それとも出発する?」


 両手のひらと甲とを確認しながら、セフィが世間話をするような口調で問いかけてきた。


「寝てないんでしょ?」

「……出発しよう。あまりここにはいたくない」

「そう」


 思わず弱音に近い言葉を放ってしまったが、セフィは気にする様子もなく立ち上がり、焚火の近くまで戻ってきた。


「色々言いたいことも聞きたいこともあるけど、一個だけ言わせてもらうなら」


 腰に両手を当て、座っている俺の前に立ちはだかりセフィは言う。怒っているというポーズだが、その口調はいつもの明るいものだ。


「とりあえず生きてるから、問題なし」

「……また雑な……」

「何を! 生きていればまだ次のチャンスがあるんだよ。奇跡を手につかむチャンスなんでしょ」


 そうだ、まだ、終わっていない。

 終焉を覚悟したものの、俺はまだ生きている。

 

「ってことで、行こうか」


 この大雑把な思考に、明るい口調に、どれだけ救われているのか。

 自分の失態を責めるのはいつでもできる。

 まだ次があるから、次に備えねばならない。


 疲労で重くなっている体を動かし、その場に立ち上がった。



 荷物を持ったセフィが向かったのはほとんど崩壊した井戸であった。迷わず井戸の中に片手を突っ込んで、内側の壁を探っている。


「あった」


 声を上げセフィが井戸から手を抜くと同時に池の水がすさまじい勢いで底に吸い込まれるように引いていき、すべての水が引いた後に地下へとつながる大きな穴が現れた。高さと幅が規則正しくそろっている階段が穴の底へと続いている。

 セフィは躊躇うことなく階段へと足を踏み出し、軽い足取りで階段を下りて行った。

 驚きのあまり固まってしまっていた。はっと我に返って俺もセフィの後を追う。


 底まではそんなに深くはない。

 最後の段を降りれば先に降りたセフィが待っていた。


「ここが地下都市なのか?」

「ううん。ここは入口につながる入口」

「入口の入口……」


 随分厳重だとでも思っておけばいいのか。呟いていたらセフィが手拭いを投げ付けてきた。


「血、洗い落として来たら? 時間かかりそうだし」

「ああ」


 そうだった。返り血にまみれたままで放置していた。

 すっかり忘れていて何も感じていなかったが、意識してしまえば気持ち悪くなってきた。

 セフィが指さす先には勢い激しく水を吐き出す蛇口があった。湧き水池の水が引いたことと何か関係があるのかもしれない。


 <虫>に食われたせいで所どころ小さな穴が空いているシャツを脱ぎながら蛇口へと歩み寄り吐き出されている水の下に直接頭を突っ込んだ。

 思った以上に冷たい声をあげそうになったのを歯を食いしばって耐え、乱暴に頭をかきむしるようにがしがしと洗い流した。

 水の下から抜け出して、軽く水気を払う。血の付着した衣服はどうしようもなく、シャツに再び袖を通してから借りた手拭いで頭を覆った。

 手拭いの上から水気をとるようにこすりつけていれば、急に日が昇ったかのように周囲が明るくなった。


 薄暗くよく見えていなかったところに光が当たり、鮮明に見回せるようになれば驚きしかなく、思わず絶句してしまう。

 地下の洞窟のようなものを想像していたが、大きな広間のような場所に立っていることがわかった。


「……こ、……ここは……!?」


 砂漠の地下であったはずなのに。

 まるで石でできたように硬くて艶やかな床と、同じ素材でできた壁。床よりやや暗い色をした天井。天井には何箇所か光を放つ眩しい棒のようなものが埋め込まれているように見える。急に明るくなったのはこれが光っているから、なのか。

 慌ててセフィの様子を見やれば、階段から降りてきて突き当たる壁の中央にある黒い扉の前で何かをしている様子。集中しているようで俺の様子には全く気付いていない。


「一体……何なんだ……?」


 蛇口から吐き出される水の激しい水流と、その下に設置されている排水溝に水が飲みこまれていく音だけが辺りを支配していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
analyze
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。