5-9 どうしたって消せないし、晴れない
足を止めたのは歩き出してからすぐだった。
目の前に広がるのは広大な砂漠のほんの一部だ。
目がくらむような強い日差しと、日差しを照り返す黄土色の砂が積もった地面。
そしてその地面を覆っている天幕の群れ。
「あれが、町できいた隊商なのかな?」
「恐らく」
いくつもの天幕が軒を連ね、寄せ合う様子はまるで小さな村のようにも見えた。
砂漠の入口の町で、死の砂漠を根城にする隊商がいるという噂を聞いてはいた。
噂を総合すれば、あまりまともではない部類の商人の集まりのようだが。
扱っているのが奴隷か武器か、もしくは盗品か。
そういえば、死の砂漠近くに野盗の根城があるという噂も聞いていた。
商人連中と野盗どもが繋がっている、その可能性もあるかもしれない。
「関わらない方がいい」
「……待って」
扱っている物が違法でもそうでなくてもそれを取り締まる権限は今の俺にはない。
下手したら口封じに殺されかねない。見てみない振りをすべきなのだが、セフィが方向転換をしようとした俺を止めた。
「下手に関わるのは危険だ」
「わかってる。じゃなくて、どうしよう、地下都市の入り口、あの辺り」
そういってセフィが示すのは天幕の群れだ。
「知らん顔して近づくのが最適解?」
「なんでそうなる」
最適解というのなら、奴らがこの地を去るのを待つのが安全にやり過ごせる手なんだろうが、いつあの連中がここを去るのか全くわからない。
「じゃあ、夜まで待って、闇に乗じてこっそり忍び込むべきかな」
セフィの口調はいつもどおり軽い。全然危機感のない声色に少しだけひやりとしたものを覚えた。
「セフィ、あの場所にいる人間の大半は、金のためならなんでもできる人間だ。人を殺すぐらい造作もない」
「わかってる。ケインを殺したのと同じ人種ってことでしょ」
声のトーンを下げて、セフィは吐き捨てた。
忘れることはない、みだりに触れてはならない事実だとわかっていながらも苦言を呈したのは失策だったかもしれない。
「気を抜いたら全部奪われるんだよね、ヒューはそれを危惧してるんでしょ」
「ああ」
「忘れてないから、忘れられないから、もう、あんなの二度と嫌だ」
あらわにした感情を、セフィも制御しきれないのか、困惑した目で言葉を紡いでいる。
「だから、――油断はしない。絶対に」
「わかっているならいい。悪かった」
「……ううん。軽々しく言ったのは私の方だから」
素直に詫びれば、セフィも落ち着きを取り戻したようだった。
だが、セフィが感情的になってしまうのは当たり前だ。あの日から恨みつらみや悲哀をほとんど吐露することはなかった。ずっと胸の内に抱えこんでいたのだろう。
「夜になるのを待つの?」
「……それが、最善策だろうな」
砂漠の入り口から少しだけ離れた川沿いで野営の準備だ。
手慣れたようすで薪になりそうな木を枝を集めてくると、セフィが素早く組み上げて点火する。夜には移動するので薪は少なくて構わない。
セフィが焚火の上に鍋のせ湯を沸かしはじめた。
「……治安が悪いってこういうこと」
「取り締まる者がいないからな」
治安を維持するべく兵士は<虫>に食いつくされている。
元々このあたりの警備をしていた兵士たちは、どこへ行ったのだろうか。
給金もなく、故郷が消えてしまったとなったら、その役目を放棄してしまっても不思議はない。
そうやって、フィルツという国は消えていくのかもしれない。ディノが身を尽くして守り抜こうとしていたこの国が。
「これから先、もっと荒れていくんだろう。盗賊も横行するだろうし、ラグエドの侵攻も――」
だが、俺には何もできない。
守れるものなら守りたい。何を賭しても。
だが今は<虫>だ。あれが世界を食らいつくすのを阻止することが最優先である。それは絶対だ。
「ヒューは、あの隊商を潰すの?」
「いや、そっちに労力は割けない。潰したくても」
「うん」
どこかぼんやりした様子でセフィは相槌を打った。
そうだ、守りたかったものを踏みにじるもの全てを、消してやりたい、つぶしてやりたい。
そんなのはずっと心の中にくすぶっている感情だ。
しかし、それをやったところで失ったものは戻らない。
失ったものを取り戻すためには<虫>と対峙し続けるしかないのだ。
「だよね。やっぱりぶっ潰してやるって思うよね!」
突然、セフィが声を荒げて立ち上がった。
まるで火花だ。熱い鉄を打った時に飛び散るような火花のように感情がほとばしっている様子で勢い任せに言葉を紡ぐ。
「全部! できれば――この手で、壊してやりたいって! なくしてしまいたいって!」
先ほど少しだけ露呈させたせいで抑えが聞かないのか、思いつくままに口にしたようにそう口走る。言い終えて間髪を入れず、はっと我に返ったようにセフィは視線を伏せた。
「って、まあ、私にはそこまでのやれる腕も度胸もないから、やろうと思ってもできない、かな」
「もしそれをやったとしても、憤りは消えない」
「え」
「潰したところで気分が晴れることなんてない」
耳を切り落としても、首を突いて命を刈りとっても、何も感じなかった。
ただ後から虚しさがこみ上げるだけだ。
「壊しても消し去っても、失ったものは戻ってこない」
「……じゃあ、恨みは、悲しみは……どうしたら、報われるの?」
「それは一生消えない。一生苛まれる。そうやって生きるしかないんだ」
「……消えない……」
納得がいかないという感情をわかりやすく表に出してしまうあたりが、セフィが未熟であることの証明のように思えた。
素直さはなくさないまま成長してほしいなどと思うのは俺の身勝手な感傷なのだろう。
セフィには普通の娘としての人生を歩んでほしいと思うことがある。それはケインの望みでもあったのだと思う。
でも、そんな願いをこの世界のシステムは許してはくれない。
セフィこそが<虫>をコントロールをする力を持っていて、<虫>を消滅させる武器の正当な持ち主だからだ。
俺ができるのはそんなセフィの負担を軽くすることだけ。
なるべく力になってやりたいが、どうもこの娘は常に想像の斜め上を突き進む。
長く行動を共にしていれば情ぐらい湧く。
どうやったら一番良いようにしてやれるのか、恐らくそんな考えはセフィにしてみれば余計なお世話なのだろう。
どうやったらセフィらしさを損なわずに生かしてやれるのか。
「だから、やりなおしが保証されている今が奇跡なんだ」
「……き、せき……」
「奇跡だから、絶対につかまなければならない。どんなことをしてでも」
「何を、犠牲にしても……?」
呆然とした様子で問いかけてくるセフィに頷いて応じる。
以前、「手段は選ばない」というセリフを吐いたのはセフィだ。だからわかってはいるのだろう。気持ちが追い付かないだけで。
「……」
セフィは何かを言いたそうに口を開いたが、言葉が見つからなかったのかそのまま口を閉ざした、その後も何も言ってはこなかった。




