5-5 あれから時間だけが過ぎて
「師匠さん……って、あの道場の?」
「ああ、娘が一人いる」
セフィを師匠のところに連れて行ったことはあった。そういえば、師匠はセフィが言う『父』とは知り合いだと言っていたか。
あの師匠と対等にやりあえると言う話だった。最強を名乗れるはずだ。
「そうなんだ。どんな方? ヒューとは親しい?」
「……」
「ど、どうしたの!? 急に青ざめたけど、何かあった?」
数々の虐げられた過去が思い起こされて言葉が出てこなかったが、顔に出ていたのか。
「いや、そこまで親しくない。頼む聞かないでくれ」
「え、あ、うん。了解。わかった」
あれについては語れることはない。先に話題を振ったのは俺だがこのまま闇に葬り去りたい話題である。セフィには悪いがこの話はこれでおしまいだ。
「えーと、まあ、そんなわけで、何の話だっけ? あ、そうだ、期待外れだって思ってたけど、それが違うんだったら少しだけ救われるかもしれない」
「随分親孝行なんだな」
このぐらいの年頃で親のことを思いやれるのはかなり感心だ。俺がセフィぐらいの頃はどうだったか。
毎日日々を過ごすことに夢中で、母のことを思いやる余裕などなかったかもしれない。
思ったそのままを告げれば、セフィは意外だと言わんばかりに目を瞬かせた。
「うーん、親孝行っていうのはちょっと違うかも。師匠だから一応尊敬はしているし、母に追い出されて別居してたから、同情みたいなのもあるかな」
「追い出された?」
「適当なことばかり言ってたし、働いてなかったし、私に剣術仕込んじゃうし。他にも色々母の逆鱗にふれちゃってね」
セフィが口にした内容だけで追いだされるには十分な理由である。
ただ、何の前置きもなく聞かされた家庭の事情にはどう反応すればいいのやら。
「あ! そっか、あのね、砂漠の民にとっては離縁って珍しくない話だから!」
俺の様子に気づいたセフィが慌ててそう口添えしてくる。
珍しくない?
「むしろ、一緒に住んでないのに離縁してない方が珍しいぐらいなの!」
「そうなのか」
何度も大きく首を縦に振るセフィに、やはり砂漠の民の常識は俺の知っているそれとは違っていることを再認識した。
生まれる場所が違うだけで、常識が変わるのは妙な感触だ。
同じ人だと、そう言ったのはセフィか。奴隷に対する感情も普通のそれとはズレているように見えたが。
「そう。別れた後にもう一回復縁するって稀なケースだけどそういうのもあるよ」
離縁して復縁なんて、奇跡的なことがありえる、と?
訳がわからなくなりそうだ。そんなに簡単にくっついたり離れたりできるのか。
「理解できない」
「だよねー」
苦笑いとともにセフィは同意のような相槌を打った。
「そういう事情があって、ちょっとだけ心情が複雑。父には地下都市にいるのは勿体ない人物だったんじゃないかな」
「好き勝手やりすぎて外に出るのを禁じられたんだったか」
<虫>の中で確かそんな言っていた。
セフィに尋ねれば苦笑いのまま頷く。
「そう。とにかく仕事をしないの。強い人間を探し回って喧嘩を吹っ掛けたりそういうことやってたみたい」
「……」
駄目人間だ。だが、そんなことを実の娘に面と向かっては言えないから沈黙を貫くことにする。
強者と求め続けていた、か。師匠と会ったということは、もしかしたら俺の父にも会っていたのかもしれない。勝敗がどうなったのか、は少しだけ気になるが今となってはその勝負が本当に行われたのか、そして結果がどうなったのかを知る者は誰もいないだろう。
そもそも、セフィの父親がフィルツにいた頃、父は生きていたのだろうか。
父について困ったように、ほんの少し誇らしげな感情を交えて語るセフィを見て、俺も亡き父のことを思い出そうとした。
幼少期に病で亡くなった父だ。剣を握りはじめたばかりの俺に何か言葉をかけていたのか、「お母さんを助けてやれるぐらい強くなれ」だったのか。何だかんだ父もあの浮世離れした雰囲気の母をかなり気にかけていた。
あの劇のような激しいロマンスはなくとも、愛情はあったのだろう。母にも、俺にも。
もう少し歩けば街の出入口だ。
フィルツから逃げ出して、現実から逃げて酒に逃げていたこの街に、再度足を踏み入れることになるとは思わなかった。
夕日が夜の訪れを告げる。一日の中で一番酔いから醒めていた、嫌な時間。あの時の感情を思い出してもさほど不快ではない。ただ空虚なだけだ。
寝泊まりするために借りていた今にも崩れかけそうだった小屋は既になかった。
時間はあの日から確実に進んでいる。
終わりに向かってなのか、再生に向かってなのか。今はまだわからない。




