5-3 未知の
『中の様子、必ず知らせてくれ』
「わかりました」
『中とは違うからな、水道水であっても生水は絶対に飲んじゃダメだ。あとその変に生えている草とかキノコも毒があるから絶対に食べるな。動物も魚も、寄生虫がいるかもしれないから絶対に生はいかん。それから――』
「はぁ……」
突然口うるさい父親のような口調に変わった会話の相手に、セフィはあからさまに辟易した表情を見せた。
まあ、若い娘からしてみればこういう世話焼きなおっさんは何かと面倒だと思っても仕方ないのかもしれない。
それでも続くお節介な言葉を途中で止めることもなく、セフィは適当な相槌を打ちながらも聞き流しているようだった。
『と、色々言っちまったが本当に大丈夫か?』
「あ、はい、多分」
……半分以上は適当に聞き流していた様子だったが、恐らく問題はないと俺も思う。
わざわざそれを言ってやる必要もないだろう。
『わからんことがあればいつでも連絡してくれて構わんからな。十分気を付けろ。じゃあな』
「あ! 待って待って! クルロさん、待って! 切らないで!」
『ああ? 何だどうした?』
「エントランスゲートの起動コード! 教えてください!」
慌てた様子で大きな声を張り上げるセフィに、声の主は何を思ったのか少しの間沈黙を返した。
『それを知らないで、どうやって戻るつもりだったんだか……』
どうやら呆れて二の句が継げなかったようだ。長いため息の後に呆れている感情がこもった声が返ってきた。
セフィはその声で恐縮したように肩を竦めて俯いているが、その様子は声の主に見えてはいないのだろうな。
『わかったわかった。後で送る』
「……すみません、ご面倒おかけします……。お気遣い感謝します……」
『くれぐれも気を付けろよ』
会話はそれで終わったのか、声はそこで途絶えた。それを確認してからセフィは手の中の黒い板のようなそれを見下ろし深く息を吐く。すぐに顔をあげると俺を真っ直ぐに見た。
「ええっと、これは、遠くに離れた人とも会話ができる道具」
「本当にマルカンにいる人間と会話をしていたのか?」
暗号か何かだと疑っていたが、そうではなく遠く離れた場所の人間と会話をしていたのか。思わず驚きの声をあげてしまった。
まるで魔法だ。
砂漠の民が独自の文化を持っていることは知っていたが、こんな魔法めいたことができるなんて予想すらできないだろう。
「うん」
「……」
セフィは当たり前のようにあっさりと肯定したが、にわかには信じがたい。
「あー……、そっか、そうだった。……えーと、私たち、砂漠の民って文明――文化がちょっとだけ外――周辺の国とは異なっていて」
「ああ」
しどろもどろにセフィは説明をしようとしているようだが、かなり困っているようにも見える。
砂漠の民が独自の文化を持つことは知っているし、魔法の道具のようなものを扱っているという、いわゆるフォークロアが人々の間には伝わっている。
それに、セフィの扱う力や、俺の所有している形を変えることができる剣、そういうものも俺の持つ常識とはかけ離れている。
「そういうもの、なんだな?」
「え、あ、そ、そう」
セフィは手に持っている黒い板に再び視線を落として曖昧に頷いている。
そういうものだ。納得する必要はない。砂漠の民とはそういうもの。きっと詳しく聞いても俺には理解できないだろう。それならばそういう認識でいい。
「砂漠の民だということはあまり周囲に明かさない方がいい」
「うん、わかってる」
あくまでこちらを見ないで返事をするセフィに本当にわかっているのか、という疑問が芽生えた。が、わざわざ念を押すほどのことでもない。
「わかってるつもりだけど、多分、私、わかってないことが多いから」
ようやくセフィは顔を上げて俺を見た。
強い意思が宿る目が真っ直ぐに俺を射抜いている。一瞬気を取られてしまってはっと我に返った。セフィのこういう表情はまだ慣れない。
「もし、おかしなこと言っていたらちゃんと指摘してほしい」
「……」
「――だけど、やっぱりそれって面倒?」
「いや」
真剣な目に気圧されかけていたことにようやく気付いて首を横に振る。
そこまで真剣に訴えるような話でもないように思う。
「わかった」
「ありがとう」
朝だ。
深く眠っていたようだ。目を開ければもう早朝の空気ではない。
体を起こせば、もう火が消えている焚火の端にセフィが座り込んで焚火の跡の上に置いた鍋をのぞき込んでいるのが見えた。
「あ、おはよう」
「……おはよう」
鍋から俺へと視線を移し、セフィの表情がぱっと切り替えたように明るい表情に変わる。
難しい顔をして鍋をのぞき込んでいたが一体何があるのか。それでも俺に向ける表情には陰りがないことに一応の安堵を覚える。
髪が湿り気を帯びているのは近くを流れる川で濡らしたのだろうか。
「魚が捕れないんだよねー」
ぽつり、と世間話でもするような声のトーンですぐに理解できないような言葉を吐いてくるセフィをただ見据える。
前もそんなことを言っていたような記憶があるが、まだあきらめていなかったのか。
「釣り、という概念はあるのか?」
「あ」
虚を突かれたような反応を見せるセフィに、言葉は知っているのだとわかる。知っているのに、気づかないものなのか。
「そっか。道具を使うのか」
納得したように頷きながらセフィは鍋の中身を器に注いで俺へと差し出した。
受け取って器を見下ろせば細かく刻まれた野菜? が沈んでいるスープだろうか。
「これは?」
まさかその辺の草を摘んできたとか? 警戒心を隠さず問いかける。なんだろう、そういうことをやってもおかしくない雰囲気がある。
「ちゃんと店で購入した乾燥野菜! 危険じゃないやつだから!」
俺の雰囲気を感じ取ったのかセフィが慌てて弁明してくる。
「そこは、信用して。クルロさんが言ってたことはちゃんと理解してるから」
「でも魚――」
「魚は、まず自分で食べてみて安全性を確認してからって思ってて。捕れなかったから叶わなかったけど。ちゃんと考えているから」
それならいいんだが。……いいのか?
なんだか腑に落ちないものを感じながらも器に注がれた乾燥野菜のスープを一口すする。普通の塩味のスープだ。不味くはない。
「あと、これも食べて」
そういいながらセフィが手渡してくるのは昨日のクラッカーだ。
受け取ってスープに浸す。溶け出す前にふやけたそれを取り出してとりあえずかじりつく。食べられなくはない。
「売り物以外の調理は禁止で、どうか頼む」
「あ、はい、わかりました」
セフィも色々思うところはあったようで、俺の訴えに素直に頷いた。
「じゃあ、携帯用の食糧を買い足しておかないと」
スープの入った器を傾けつつセフィが言う。
買い足し、という言葉に確認しておかなければならない事柄を思い出した。
「色々と購入しているみたいだが、金銭は足りてるのか」
「ケインのお金をそのまま使わせてもらっているから。多分大丈夫」
その『多分』が少しだけ怖い。
「最重要事項としてちゃんと教わってるから。値切るのはあんまり得意じゃないけど」
「値切る?」
「価格があからさまにおかしい場合は値切るべしって。人を見て値段を決めるから舐められたら負けだって」
誰だそんなの教えたのは。ケインか?
「父がそう言ってたんだけど、違うの?」
「父親が?」
「あまりにも悪意を感じたら、懐の刃物がわざと見えるようにして、もうちょっと安くなりませんか?って言うんだよね?」
「……それは、忘れたほうがいい」
揶揄いの類だとしても、娘に何を教えてるんだ。そしてそれを真に受けるのか。最悪な親子関係じゃないだろうか。
「やっぱり犯罪?」
「ああ」
わかっているのなら猶更だ。
「薄々そんな気はしてたけど」
「信じるのか、それを?」
「……そういう世界もあるのかなーって」
会ったことはない――いや、<虫>の中で垣間見たか――セフィの父親が「まさか信じるとは思わなった」と大笑いしている姿が容易に想像できた。
「父親の教えは全部忘れたほうがいい」
「わかった」
セフィは再度素直に頷いて、そのまま俯いた。
父親に嘘を教えられていたことが少なからずともショックなのかもしれない。
「何ていうか、本当に、自分が知らなさ過ぎて恥ずかしい」
ショックではなくどうやら恥じているのか。
俯いていてその表情までは窺えない、と、突然勢いよくセフィはその顔を上げて俺を見た。
紅潮した頬を隠すこともせずその視線は真っすぐだ。
「多大なご迷惑、というか、面倒をかけて、というのか、本当にごめんなさい」
「いや、そこまで面倒というわけじゃ――」
かぶりを振って応えておくが、面倒ではある。
だが、まあいいか、と昨晩も思ったから、もういい。
残された時間は余りないのかもしれないが、セフィが知る時間ぐらいはあるのだろう。じっくり知っていけばいい。




