5-1 すっかり日常
結局こうなるのか。
火にくべられた薪が、時折パチパチと爆ぜるような音をたてている。
日は傾きはじめればあっという間に日は暮れる。気を抜けばすぐに夜が来る。
日暮れ時になって慌てて拾い集めた枝木は何とか一晩凌げそうで、最低限の野営準備は整った。
もう少し余裕を持ちたいというのが本音だ。
「まるで待ち構えていたみたいに現れなくてもいいのにね」
火を挟んで向かい側を陣取るセフィは、木を組み合わせた太めの枝を器用に組み立て三脚を組みあげると、昼間に購入していた小さな鍋をそれに引っ掛けて焚火にくべている。
その表情に一切憂いはない。
町の中に<虫>の宿主が現れたため、いつものごとく消滅させると同時に逃げるように町を出てきたのだ。
さすがに刃物を振り回しておいて何食わぬ顔で乗合馬車に乗ることもできない。
「せめて説得して<虫>を振り払うようにできればいいんだけど。はい、どうぞ」
そう言いながらもセフィは焚火を回り込むように俺の横に立つと、包装紙に包まれたクラッカーを差し出してきた。
受け取って礼を言えば笑顔になってセフィは元の位置に戻っていく。
「食べて。お湯が沸いたら飲み物を準備するね」
「随分と準備がいいな」
まるでこうなるのがわかっていたかのようだ。
携帯食料であるクラッカーはひたすら硬い。水分に浸さなければとてもかみ砕けそうにない。どうしたものかと考えつつも、とりあえず湯がわくまで待つことにした。
「食べなくても死なないんだけど、動けなくなるって最近思い知らされたから」
セフィは手の中のクラッカーを無理やり指で砕くと欠片を口の中に放り込んだ。力技がすぎる。
「準備だけはしっかりしておいたらさっそく役に立っただけ。硬い」
「水に浸して食べるものだからな」
「なるほど」
小さな欠片でもかみ砕けなかったのだろう。
俺が食べ方を説明すれば、セフィは大きく頷いた。すぐに荷物から何かを取り出すと火にかけてある鍋に無造作に放り込む。
しばらく待てば辺りにふわっとお茶の匂いがただよったのがわかった。茶葉を放り込んだようだ。
手早く器を取り出し、セフィは鍋の中身を注ぐと俺へと差し出してきた。
「紅茶。浸したら食べられるかな?」
「……ああ」
器を受け取って、持て余していたクラッカーを包装紙から取り出して浸す。
セフィも俺と同様に器に砕いたクラッカーの破片を注ぎ込んでいた。
しばらく待って茶とともにふやけたクラッカーを飲み下す。
食事じゃなくて、補給と言った方が正しいだろう。セフィの言うとおり動けなくなる前の補給作業だ。
「結構おいしい」
「本気か?」
思わず聞き返してしまった。味わう余地があるのか、これ。
「うん、拒否感ないし」
セフィにとってどこまで「おいしい」の範囲なのか少しだけ気になったがわざわざ尋ねるようなものでもない。
感覚は人それぞれだ。
何も言わず、手の中のクラッカーが溶けたお茶を何も考えず飲み下すことに集中した。……美味くはない。
セフィもしばらくちびちびと紅茶を飲んでいたが、飲み終えたのか器を地面に置くと荷物を手元に手繰り寄せ中から一枚の紙を取り出した。
眉間に皺を寄せてそれを見下ろしていたが、ややあって小さく吐息を漏らしてから、俺の方を見た。
「今ってどの辺り?」
そう問いかけながらセフィが手に持った紙を両手で広げるように俺に見せてくる。地図だ。
この辺り一帯の大雑把な地図だった。
やたらと細かくあれこれと書き込みがされていて、白い部分がないぐらいのかなり使い込まれた地図である。
「この辺り。もう少しで国境だ」
俺が指し示す先をセフィは手にしたペンで黒い丸を書き込み、その横に今日の日付を書き加えた。既に書き込まれた情報が多いため、すぐに他の情報に埋もれてしまいそうだ。
「国境を越えれば死の砂漠までそう遠くない」
「そっか」
位置関係を確認しているのか、セフィはその地図を見下ろして再び息を吐いた。
「これ、ケインの物なの。全部ケインが書いたメモ」
「そう、だったのか」
ごちゃごちゃと小さく書き込まれたそれがケインの字だと知らされて、驚くよりほかなかった。
ぱっと見た限り名物や名所などの情報や、セフィが今しがた書き込んだような日付、あとは何を示すのかは不明な記号が書き込んであった。
「……適当なメモばっかりで有益な情報が何一つとしてない。びっくりするほど」
「……」
ケインもまさか適当なメモを書き入れた地図が妹の手に渡るとは思ってなかったんだろう。
なんと返していいのか思い浮かばず沈黙を返しているとセフィが苦笑漏らしたのか、再び吐息を漏らした。
「書き込みたくさんあって使いづらいけど、捨てることもできないし、無理やり使うしかないんだよね」
「大事にしまっておいても構わないだろう」
「道具は使うためのものだからね。使ってあげないと」
そういうものか。よくわからない理屈だ。だが、使ってあげたいという言葉に隠されているセフィの本音には何となく感づいていた。
ケインの物だからなのだろう。
「今の場所がわかれば何とか使えると思う。地下都市にも行ける――と思う」
先日もそうだったが、行けると断定できないのは何かがあるのだろうか。
死の砂漠に赴いてど真ん中で立ち往生という事態にならなければいいが、この反応はうっすら怖と感じる。
その怖さを口に出してぶつけようか悩んでいる間にセフィは地図を荷物の中に戻してすぐに顔を上げた。
「さて、どうしようか、火の番は必要だよね?」
「ああ。俺が――」
「途中で交代。……ヒューは今から寝ろって言われたら眠れそう?」
一晩ぐらいだったら眠らなくても普通に動ける。任せてくれればいい、と言いかけたところでセフィが強い口調でそう言ってきた。
今から寝ろと言われれば、無理やり休むこともできる、という返答になるが。
「私が先に休ませてもらう、でいい?」
「ああ」
鍋に空になった器を入れて、セフィは立ち上がると地面に敷いていた布を広げ直す。
「器は適当に置いといて、明るくなったら片づけるから。交代時間適当でいいから、起こしてくれると助かる」
口早にあれこれ言いたいことだけを言って、セフィは敷いた布の上に転がるように横になった。
ほとんど間をあけず規則正しい寝息をあげたのがわかった。眠気が限界だったのだろうか。
全く警戒する様子も見せずにすっかり眠りに落ちている様を見て、呆れつつも、半分以上は感心する気持ちが強い。
気丈な娘だとはわかっていたが、何とも逞しい。
その逞しさには気圧されるばかりだ。
ほんの数日前のあの閉塞感を思えば俺も随分気が楽になっているのがわかる。
だから――
「まあ、いいか」
今は色々思い悩むのは止めておこう。
焚火に枝を投げ込んで、小さく呟いた。




