4-20 その先に導くもの
「ミルドレット」
「ね、ヒュー」
ミルドレットが手を差し伸べてくる。
これを、この手を取ったら、前のように彼女と一緒にいられるのだろうか。
「――違う」
脳裏に浮かんだ虫のいい考えを即座に否定し、俺に延ばされた彼女の手を振り払った。
不意に思い出したことがあった。
「だってミルは一緒には来てくれなかった。そうだろう?」
一緒にいたい。
着いてきてほしい。
何度かそれを口にしたことはある。
だが、そういう時必ずミルドレットは曖昧に笑って絶対に俺の手を取ることはなかった。
連れて行っても守る自信はあったからこそ、彼女を連れて行きたかった。
だが、彼女はそれを望まなかった。
俺はそれを不満に思わないように感情を抑えつけていただけ。気にしない振りをして、傷ついていた。
ミルドレットだけが傷つけられていたんじゃない。
ミルドレットは俺が行くところについてきてくれなかったから、俺もミルドレットにはついていかない。
言語化してしまえば何とも子どもじみた思考だと思う。だが、そういうことなのだ。
もう、俺たちの関係は随分前に終わっていた。
彼女と俺は他人だ。
「行かない。俺は<虫>にはならない」
「……私を置いていくの?」
ごめんなさい! 私を置いていかないで!
地面に這いつくばって、泣きわめきながら謝罪をするミルドレットが、俺が最後に見た生きているミルドレットだった。
裏切ってごめんなさい。許して、と。
許す、許さない、ではなく、話し合いをする心の余裕すらなかった俺は背を向けたまま、一度も彼女へと振り向くことができなかった。
それが最後。
「ごめん、ミルドレット」
彼女に振り返ることができなかった。最悪な別れ方をしてしまった。彼女が俺を恨み、憎しみを抱く理由は多々ある。
これがミルドレット本人ではないのはわかっている。わかっては、いた。だが謝らずにはいられない。謝って許されるかどうかはどうだっていい。
届けばいいのに。本物のミルドレットにも。
俺と別れた後、決して幸せになったとはいえないミルドレットの救いに少しでもなったらよかったのに。
「お願いよ! ずっと傍にいて!」
すがるように言われても、今は胸が痛むだけだ。心は動かなかった。
俺は俺の願いを叶えたい。
それは、その道は、きっと彼女も救える道だと信じているから。だからこそ、俺は生きて、<虫>を消し続けなければならない。
「こっちだ」
泣き崩れるミルドレットを黙って見下ろしていれば、誰かに腕を掴まれ引っ張られた。
「何ぼーっとしてんだよ! こっから出るんだろ!」
俺を引きずるように駆け出して、その人物、ケインが言う。
ここから出る、出なければならない。それは理解している。ここにいるのはすべて<虫>なはず。それは<虫>の方向性に反する行動じゃないのか。
このケインは、一体なんなんだ?
「俺は、<虫>で作られてる!」
俺の考えを読んだのか、こちらを振り返ることもなくケインはそう言ってくる。
「けどな、この意識は違う」
「意識?」
「力だ。妹たち二人の」
セフィとレミーの力……?
「二人の力が俺を俺でいさせてくれている。お前を助けるように動かしているのは二人がそう願って力を使っているから!」
ようやくケインを俺のほうを見ていつもの笑みを見せた。
「だから感謝しろよ、俺の自慢の妹たちに」
俺が後を追いかけているのを確認すると、俺の腕から手を離し尚も俺を先導するようにハイペースで走り続ける。その後ろを同じペースを保ちひたすらに追う。
よく知るケインの行動が、信じるしかないと言う気持ちを強くさせる。
裏切られたらそれはもう仕方がない。この兄妹たちを信じよう。
「セフィのこと、頼む。危なっかしくてひやひやするだろうけど」
「確かに」
まだ頭がはっきりとしていないせいで、思ったそのままケインの言葉に同意していた。
それを聞いたケインは、こらえ切れないように吹き出した。
「同意すんのかよ」
「レミーは『面倒な姉』だと言ってたし」
「俺から見たら両方とも面倒な妹なんだけどな。だからこそ可愛い妹でもあるんだぜ? でも、もうそろそろ自立させないとな」
「もう十分じゃないのか」
何があっても動じず生命力にあふれていたセフィの様子を思い出し、ケインにそう告げてやる。
何よりもあの娘は強い。たしかに危げではある。が、なんでも難なくこなしてしまいそうな、そんな感じがある。
「むしろ俺の方が助けられている気がする」
「だよな。俺も同じ」
笑いが自虐的な笑いに変わる。
「たくさん助けられてきて今の俺がある。大事な家族なんだ。だから無事に生き延びて欲しい。最後まで」
最後、か。
終わりは決まっている。<虫>を全て消滅させた、その時だ。その時まで、無事に。
「セフィを止めてくれてありがとな」
「あれは、俺がさせたくないと思ったからだ」
「お前が止めてくれる奴で良かった。俺もセフィも救われた。見ろよ」
走りながら、ケインは前方を指さした。
セフィが示した出口のような裂け目が進む先にある。
「出口だ」
ケインはそれだけ言って速度を緩め、俺の肩を思いきりはたく。
「行けよ。元気でな」
「ケイン、本当に助かった。ありがとう」
礼を述べて、ケインを追い越し、更に足をその先に進める。
セフィだけじゃない。ケインにもずっと助けてもらっていた。
この先には、もういない。
「時が戻れば、またいつか会えんだろ。俺はフィルツにも行く」
俺の背中にケインが声をかけてくる。
そうか、いつかは会う日がくるのかもしれないのか。
「その時の俺はお前のこと忘れてるかもしれないけど、多分、わかると思う。こいつ面白い奴だぞって」
面白いか?
聞きたいが、振り返ることはない。
「その時は、また飲みかわそうぜ! 家飲みでも店でもどこでもいい。だから、また会う日まで! お前も無事でいろよ! 生き延びろよ! 応援してる!」
裂け目の一歩手前で足を止め、一瞬だけケインの方を見た。
だいぶ離れてしまって表情までは見えない。ただ大きく手を振っているのだけわかった。
またあう日まで、か。その日が無事訪れるよう、頑張るしかない。
ケインに向かって一度深く頭を下げ、俺は出口へと飛び込んだ。




